平成23年度 社会貢献者表彰 受賞者紹介
(敬称略 年齢は受賞時)
人命救助の功績
* 海難・水難、交通事故、遭難等に際し、身命の危険を冒して救助・救援に尽くされた功績
* 犯罪等の発生に際し、身命の危険を冒してその解決に協力された功績
* 災害・事故・犯罪の発生を未然に防いだ功績
野村 純 (46歳/大阪府高槻市)
功績内容
平成22年6月27日午前10時25分頃、通りかかった高槻市の芥川で、溺れている3人の児童を目撃。川に入り流されてきた男児(6)と水面から手を伸ばしていた男児(2)を右手に、水面から顔を出していた女児(8)を左手に抱えながら、通行人2人の協力を得て、無事3人を救助した。普段30cmほどの深さの川は当日は豪雨の影響で120cmまで増水し、児童らは150m程流されていた。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
リチャード・ハウエル (26歳/アメリカ合衆国)
功績内容
平成22年9月12日午後1時頃、沖縄県読谷村の波平海岸を散歩中、沖で児童を抱えながら助けを求める男性を発見。着衣のまま海に飛び込み児童とパニック状態の男性を岸まで救助した。児童は、意識がなく呼吸が微弱だったが、人工呼吸を施し、意識を回復した。手当をするうちに救急車が到着、後日搬送された病院からの連絡により、児童の命が救われたと伝えられた。当時ハウエル氏は、在沖縄米国空軍の兵長であった。 >>詳細
推薦者/在沖縄米国空軍 第18航空団 第961航空空中管制中隊
立本 敬三 (50歳/大分県豊後大野市)
功績内容
平成22年8月12日午後1時20分頃、豊後大野市の大野川で渓流りの最中に、男性が、河川内で転倒し溺れているのを目撃。流れの速い川に入り、沈んで動かなくなっていた男性を引き上げた。男性は意識不明・呼吸停止の状態であったため、人工呼吸と心臓マッサージを施し、一命を取り留めた。 >>詳細
推薦者/財団法人 警察協会
功績内容
平成22年10月7日19時25分頃、湧別町内に勤務する中国人の女性研修生4人のうち3人が湧別漁港の斜路で溺れた。残った1人が、現場近くの徳野さんと清水さんの勤務先に助けを求めた。清水さんが持って来た救命胴衣を身につけた徳野さんは、溺れている女性のところまで泳ぎ、清水さんは119番通報し、連携により3人を確保し救助した。1人は心肺停止状態であったため二人で心肺蘇生を施し、一命を取りとめた。 >>詳細
推薦者/遠軽地区広域組合消防本部(全国消防長会)
功績内容
平成22年8月6日16時頃、福井市鷹巣海岸で小寺さんは遊泳中に苦しそうに呼吸しながら泳ぐ男性を気にしていたところ、急に姿が見えなくなったため潜っ探すと、沖合10m水深約2.5m程の海底に沈んでいるのを発見、砂浜へ引き上げた。意識と呼吸のない男性に田中さんが心肺蘇生を施したところ男性は水を吐き出し呼吸を始めた。近くにいた三上さんも救急隊到着までの間、心肺蘇生を施した。 >>詳細
推薦者/福井市消防局(全国消防長会)
松倉 昌昭 (44歳/東京都新宿区)
功績内容
平成22年6月19日午後11時38分頃、東京メトロ有楽町線の千川駅ホーム後方で電車を待っていたところ、右側にいた女性がバランスを崩して線路内に転落するのを目撃、電車が入線してくるにも関わらず線路に飛び降り、女性を退避溝に引き込んで救出した。電車は直後に入線してきたが、迅速な判断と行動により女性は一命を取りとめた。 >>詳細
推薦者/財団法人 警察協会
武末 慎 (38歳/埼玉県さいたま市緑区)
功績内容
平成22年6月6日午後2時頃、台東区JR鶯谷駅山手線のホームで、向かい側のホームから目の不自由な男性(34)が線路に転落しているのを目撃。線路に降りて走り寄り、倒れている男性を抱え上げ、ホーム上の通行人と協力して救出した。男性が車椅子に収容されたのを見届けた後、振り返ると転落場所の近くに列車が停止していた。男性は左足を骨折したが一命を取りとめた。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
吉田 秋一 (68歳/北海道恵庭市)
功績内容
平成23年2月26日14時15分頃、自らが所有し居住するアパートで、2階の住人から警報器が作動しているという報告と、1階の部屋から煙が出ていることを聞きつけ、すぐにその部屋に入り、怯えて動けない男児(5)を玄関で救出。その後黒煙が充満する部屋に再び入り、足にしがみついてきた女児(1)を発見し救出した。自身は気管支や顔、網膜に火傷を負い入院となったが、幼児たちは怪我もなく無事だった。 >>詳細
推薦者/恵庭市消防本部(全国消防長会)
社会貢献の功績
* 精神的・肉体的に著しい苦労、危険、劣悪な状況に耐え、他に尽くされた功績
* 困難な状況の中で黙々と努力し、社会と人間の安寧・幸福のために尽くされた功績
* 先駆性、独自性、模範性などを備えた活動により、社会に尽くされた功績
澤田 正一 (49歳/大分県大分市)
功績内容
自身も児童養護施設で育った経験を持つ。会社勤めの後施設の職員になった。施設の子どもたちに卒業後もサポートの必要性を感じ、平成16年に私財を投じて、自立援助ホーム「ふきのとう」を設立。夫妻とスタッフやボランティアで定員6名の里親型ホームを運営し、帰る所のない15~20歳の青少年の就職の相談、金銭や健康管理などの自立に向け援助をしている。自身が孤児で厳しい環境に置かれ、苦労して保育士や社会福祉士の資格を得て、NPOを運営し社会貢献活動に従事する姿は若者の手本となり、励ましとなっている。 >>詳細
推薦者/特定非営利活動法人 病気の子ども支援ネット遊びのボランティア 坂上 和子
京都中国料理厨師会 琢磨会 (京都府京都市下京区)
功績内容
京都市内の中国料理調理師の有志20名により、会員相互の親睦と、調理師の社会的地位の向上と福祉活動を目的に昭和57年に設立。京都を中心に全国21府県の老人施設や児童養護施設で中国料理を提供する調理奉仕活動を実施。年30回から40回の奉仕活動を29年間継続して実施し、平成23年7月現在、通算982回を数える。 >>詳細
推薦者/京都児童養護施設長会 会長 樋口 文昭
茂木 幹央 (75歳/埼玉県深谷市)
功績内容
3歳で失明し盲学校卒業後、苦労の末点字受験により大学に入学。卒業後、国立東京視力障害センターに勤務。その後、自身の働きかけと自治体や団体等の協力により、盲老人施設のない埼玉県に初めて「養護老人ホームひとみ園」を昭和54年に完成させ、社会福祉法人日本失明者協会を組織し理事長となる。以来35年、盲人の就労施設や身体障害者のためのケアホームなど9種の社会福祉事業を営み、利用者245名と職員133名を擁し地域福祉を支えるとともに雇用促進を図っている。 >>詳細
推薦者/川野 楠己
社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター (東京都杉並区)
功績内容
視覚障害者のための大学の門戸開放、学習支援や卒業後の就労促進を主な目的として昭和62年に結成し、25年にわたる活動をしている。奨学生制度の創設、運営を担い、教科書や学術書の点訳も行う。また、点訳者養成の講座を毎年開催し、正確な点訳を迅速に盲学生に届ける仕組みを発展させた。300人を越える奨学生を支援、弁護士や官公庁や有力企業などに、視覚障害者を多く送り出した。社会福祉法人認可後、就労訓練施設を開設。平成14年までに地方公務員や民間企業に29人を送り出している。 >>詳細
推薦者/榑松 武男
NPO法人 六星 ウイズ (静岡県浜松市東区)
功績内容
平成8年に浜松市半田町に視覚障害者中心の小規模授産所を開設。平成18年には市内の蜆塚(しじみづか)にも開設。現在両作業所合わせて48人の利用者と職員11人が作業に励んでいる。白杖の開発製造と点字印刷の作業を通し、視覚障害者の生活の質の向上や自立を促進してきた。また中途視覚障害者の社会復帰や盲重復障害者の社会参加を支援するとともに平成15年には、スリランカに支所を開設するなど、活動を広げている。 >>詳細
推薦者/社会福祉法人 国際視覚障害者援護協会
笹島診療所 (愛知県名古屋市昭和区)
功績内容
昭和60年名古屋市に、失業し病気で困窮している高齢者や日雇労働者などを支援していた人たちが、医療支援の強化をするために設立し、26年にわたり活動している。炊き出し会場での医療・生活相談活動のほか、ボランティア医師・歯科医師とともに無料診察と生活健康相談や生活保護申請の同行支援などのホームレスの支援活動を行っている。また、ホームレス問題に対する市民の理解と協力を図るためセミナーやホームページを通じて啓蒙活動も行っている。 >>詳細
推薦者/森 亮太
バーバラ・ホーガン (77歳/東京都新宿区中落合)
功績内容
ボストン出身の米国人シスターであり看護師として奉仕していたが、1962年27歳の時に修道会により派遣され来日、翌年から聖母病院に勤務。日本の看護師資格も取得。海外からの移住労働者や難民の受診者が多い同病院で看護師としての仕事の他、通訳や事務手続き、バザーを開催し支払困難な患者の治療代を負担したり、亡くなった患者の葬儀の手配までもするなど、奉仕活動は48年に及んでいる。 >>詳細
推薦者/エフゲニー・アクショーノフ
特定非営利活動法人 あかねグループ (宮城県仙台市若林区)
功績内容
仙台市で昭和57年に主婦の社会参加を図る場として10名で発足し、29年にわたり活動をしている。老人介護の社会化と、ヘルパー制度を発足させ活動を開始。独居老人の食生活の偏りに気付き、配食活動へ移行した。会員89人とボランティア29名により一日230人程に昼と夜の配食をしている。
3月11日の東日本大震災により、グループの厨房も被害を受けたが、翌日には会員や利用者の安否を確認し、16日からは通常通り配食を行うなど、高齢者が住み慣れた地域で暮し続けられる地域づくりを目標に活動を続けている。 >>詳細
3月11日の東日本大震災により、グループの厨房も被害を受けたが、翌日には会員や利用者の安否を確認し、16日からは通常通り配食を行うなど、高齢者が住み慣れた地域で暮し続けられる地域づくりを目標に活動を続けている。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
徳田 安子 (78歳/岡山県倉敷市)
功績内容
倉敷市立万寿小学校の通学路に立ち、児童の交通安全とともに気持ちの良い挨拶や児童の様子を見て適切な声掛けをしている。また困っている児童の相談に乗り、宿題の手伝いや参観日には親代わりに出席、家族に代わって修学旅行の小遣いを持たせるなど、母親代わりともいえる親身な世話もしている。20年以上にわたり学校と児童の家庭とをつなぐ役割を果たし、児童を見守り続けている。 >>詳細
推薦者/倉敷市立万寿小学校(倉敷市教育委員会)
のわみ相談所 (愛知県一宮市)
功績内容
平成10年に設立され、同12年に名古屋市南区でホームレス、生活困窮者、社会的弱者の自立支援施設を作った。同19年に拠点を一宮市に移し、現在男性シェルターを2ヵ所、女性シェルターを2ヵ所運営し常時30名が生活している。生活相談、就労支援、炊き出し、断酒会の実施などの支援を行っている。シェルター開所以来400人の自立支援をしてきた。今年「のわみサポートセンター」が認証され、リサイクルショップやカフェ等の利用者が運営に携わり自立へつなげる取り組みも始めている。 >>詳細
推薦者/特定非営利活動法人 自立と共生をめざす会 もやい
石崎 克雄 (64歳/東京都荒川区)
功績内容
都内4ヵ所(新宿地区、品川地区、馬喰町地区、荒川地区)にて約68人のボランティアと共に弁当を調理し、30年にわたり路上生活者に配っている。上野公園(馬喰町地区・荒川地区が担当)では約20人のボランティアが参加している。毎朝3時に起床、調理師だった経験を生かし、100~150食分の弁当を365日作り、3回に分けて自宅と公園を往復し、園内を巡って顔見知りの人に手渡す。自らも勤務先が突然廃業し公園暮らしを余儀なくされた時期があったことから、公園で暮らす人の気持ちがよくわかり、体調は万全ではないが、これからも弁当を配り続ける予定である。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
竹内 健二 (63歳/静岡県浜松市中区)
功績内容
昭和42年頃、会社に勤務の傍ら浜松市で最初の点字グループ「浜松六点会」に入会、平成15年退職後は点字点訳に専念し、約40年にわたり点訳奉仕を続けている。「コツは無理をしないこと。」とこれまでに2,500冊以上を県立点字図書館に寄贈している。また障害者は、旅をする機会が少ないので、旅の気分を味わって貰おうと旅行誌「旅の手帖」を点訳し喜ばれている。 >>詳細
推薦者/竹内 龍幸
前田 延英 (58歳/滋賀県愛知郡愛荘町)
功績内容
肢体不自由児施設で勤務後、老若男女が障害の有無にかかわらず一緒に暮らす任意団体で共同生活を送った。そこで出会った夫と共に、平成9年に里親登録して里子を受け入れ始めた。平成13年に滋賀県愛荘町に転居。自宅で親子4人、里親として里子5人とケアホームのホームキーパーとして障がいをもつ4人と暮らす。里子たちとの生活の中で思い浮かぶ言葉やメロディーを書き留め、これまでに100曲以上のユニークな歌を作りコンサートを開き、親子の絆を強めるなどユニークな養育里親としての活動を続けている。 >>詳細
推薦者/滋賀県愛知郡愛荘町 町長 村西 俊雄
武内 幸次郎 (76歳/宮城県宮城郡松島町)
功績内容
長男の罹患がきっかけとなり、35年近く日本筋ジストロフィー協会で患者の支援に関わっている。昭和53年岩手県支部を結成、「岩手県方式」と呼ばれる在宅訪問検診事業を興し、同疾病患者を発掘する。その後、患者自立訓練の場である「西多賀社会訓練センター」や自立生活の場である「バリアフリーアパート」の創設メンバーとして参加、建設した。
3月11日の東日本大震災で自宅が損壊したにも関わらず、患者家族の安否確認や支援物資の運搬などに奔走した。幸い患者に犠牲者はいなかったが、訓練センターが使えなくなるなど活動の停滞を余儀なくされているが、患者の支援のために活動を再開させている。 >>詳細
3月11日の東日本大震災で自宅が損壊したにも関わらず、患者家族の安否確認や支援物資の運搬などに奔走した。幸い患者に犠牲者はいなかったが、訓練センターが使えなくなるなど活動の停滞を余儀なくされているが、患者の支援のために活動を再開させている。 >>詳細
推薦者/社団法人 日本筋ジストロフィー協会 貝谷 久宣
髙橋 秀治 (68歳/東京都江東区)
功績内容
都内の盲学校を卒業後、点字出版一筋に情熱を注いだ。「社会福祉法人ぶどうの木ロゴス点字図書館の館長に就任し、常に点字の重要性と視覚障害者の読書の権利を守り、バリアフリーの普及に取り組み、一般社会の視覚障害者への理解を深める活動を推進している。統一されていなかった公共施設における点字表示を統一しJIS化、点字技能検定試験開始して厚生労働省に働きかけ公的認知、点字選挙公報全文発行への実現、点字図書給付事業(活字図書と点字図書の価格差補償)の改善、「考える図書館」作りなど約48年にわたって活動を続けている。 >>詳細
推薦者/社会福祉法人 聖明福祉協会 本間 昭雄
日明リサイクル工房 (福岡県北九州市小倉北区)
功績内容
知的障害者の保護者などでつくる、社会福祉法人北九州手をつなぐ育成会が運営する事業所の一つとして、家庭から出される空缶や空瓶といった資源ごみのリサイクル部門の一部を工房が市から委託を受け知的障害者の働く場所として運営している。平成6年に開所され、目標の一つに「向上心」を揚げ、フォークリフトなどの免許取得にも挑戦し、利用者35人のうち既に9人がフォークリフト、2人は重機の免許の資格を取得するなど作業する障害者と運営する工房側が一体となり、障害者の社会的自立を目指し活動している。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
高山 良二 (64歳/カンボジア王国)
功績内容
平成4年から5年に自衛官としてカンボジアのPKO(国連平和維持活動)に参加。退官後、地雷処理を円滑に行うために私財を投じて、自衛隊OBと共にNPOを平成14年に設立し、不発弾処理活動を現地で立ち上げた。平成18年にはCMACと共同して住民参加型地雷処理活動を立ち上げ、村人約100名を指導して年間約30~40ヘクタールの地雷原を安全な土地にした。更に、その土地で学校や道路の建設、井戸掘り事業などを村人とともに実施、子どもたちには日本語やパソコンを教えて、そのうち1名を日本の高校に留学させている。また、村で獲れるキャッサバ芋で焼酎を作り地場産業の促進を図るとともに、雇用創出のために日本企業3社の誘致を行った。NPO法人国際地雷処理・地域復興支援の会(IMCCD)を今年7月に設立させ、カンボジアバッタンバン州で住民と共に活動している。 >>詳細
推薦者/大野 修一
功績内容
1998年にインドへのスタディーツアーに参加。ある駅で目にした数えきれないストリートチルドレンに衝撃を受けた。「見て見ぬ振りはできない」という思いを強く持ち、以来、夫妻でストリートチルドレンの支援活動を続けている。03年より現地のNGOと連携し同国東部ビシャカパトナム市郊外で、子どもたちの自立に向けた「子どもの憩いの村」(宿舎、台所・食堂、職業訓練所、農園、図書館、瞑想センター、診療所 36,422m2)を建設、09年には学校の建設も始まり、12年に開校予定している。昭吾氏は、定年後再就職先の警備会社からの給料をすべて、和子氏はバザー等により支援している。 >>詳細
推薦者/内田 正志
冨永 幸子 (67歳/ラオス人民民主共和国)
功績内容
「国際協力NGO・IV JAPAN」を1988年に設立し、ラオス共和国において、「援助とは、自立できて報酬を得られるようになるまで」という考えの下、独創的な職業訓練を17年にわたり続けている。1994年に小学校を建設したのをかわきりに、ビエンチャン職業訓練センターの建設、そしてソフト面でも、木工家具や理美容、調理・裁縫などの技術を中学を卒業または中退した子ども達に修得させ、これまでに2,000人以上の卒業生を送り出している。ラオス教育省の協力体制の元、センターを卒業するとビエンチャン都教育局より職業訓練修了証が授与される。この他農村の開発や教育インフラ整備、日本とラオスの文化交流なども事業として行っている。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
功績内容
アフリカとの貿易業で得た売上を、野生動物の保護に投じる活動などしていた。1994年密猟者の銃弾に倒れたレンジャーや部族間の抗争で親を殺された子どもたちのために、ナイロビに孤児院を建て、多くの孤児や肢体不自由児を収容した。またウガンダ北部で、少年兵や慰安婦として誘拐される子どもたちを守るためにシェルターを建設し、戦争が終結するとそこに洋服を作る職業訓練校を開設するなど東アフリカの人々のために40年近い活動を続けている。 >>詳細
推薦者/久永 進
特定非営利活動法人 ACE (東京都台東区)
功績内容
世界中のすべての子どもが権利を守られ、希望を持って安心して暮らせる社会をめざし、市民と共に「児童労働の撤廃と予防」に取りくむ国際協力NGO。1998年に107か国で行われた「児童労働に反対するグローバルマーチ」に日本から参加、1997年に学生の有志5人で結成し、2005年にNPO法人化された。現在、主にインドとガーナで子どもを危険な労働から守り、教育を推進する国際協力活動や日本国内で市民、企業、政府に働きかけ児童労働の取り組みを促進するアドボカシー活動を行っている。 >>詳細
推薦者/長坂 寿久
特定非営利活動法人 エクアドルの子どものための友人の会 (埼玉県飯能市)
功績内容
1987年に南米エクアドルで起きた地震がきっかけとなり、日本に住んでいた同国の人の呼び掛けで、「エクアドルの子どものための友人の会」が結成された。目的は、エクアドルの人々が自分自身の手で公正で豊かな社会を実現できるように、教育を通して協力すること。貧困から学校にいけない子どものための奨学金プログラムや教育改善事業を手掛ける。現地のNGOと共同で活動し、今年で22年を迎える。180名以上の中・高校生が卒業し、延べ230校以上の学校施設を地域の人々と建設、修理するなどの支援を続けている。 >>詳細
推薦者/宮地 友美子
日・タイ親善交流グループ (東京都練馬区)
功績内容
昭和54年にタイ国僻地の教育支援を目的として設立されたNGO団体。赤十字などへの物資の寄贈、学校や診療所、汚水処理施設、保育所、寄宿舎の建設を始め、同国の困窮児童や住民たちのためのさまざまな援助活動を実施している。これまでに、教育施設など17施設以上を建設し、同60年から15年間にわたり、キャラバンによる無医村や僻地への巡回医療の他、国境に接するアジア諸国の難民問題に対し人道的支援も行っている。「出来る人が出来る事を出来る所へ愛ある行動を」を理念として30年以上にわたり活動を続けている。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 笹川平和財団 理事長 関 晃典
根岸 美智子 (74歳/シエラレオネ共和国)
功績内容
1974年に所属する修道会からアフリカに派遣されて以来、36年にわたり活動を続けている。ナイジェリアからシエラレオネに移り、ルンサという町のOLG(Our Lady of Guadalupe)中学で責任者として勤務。98年に激化した内戦の中、反乱兵に捕まり殺されかけるが奇跡的に助かり、一時国外に脱出。02年に戻り、空爆で破壊されていた学校の再建に努めた。再び中学校を作り、現在は見放されたり、学校にも行けなかった女性などの職業センターの校長として活動し、生徒たちの自立をサポートしている。 >>詳細
推薦者/海外邦人宣教者活動援助後援会(JOMAS)
阿部 春代 (57歳/タイ王国)
功績内容
日本のハンセン病療養所勤務がきっかけで、患者や回復者が末梢神経障害によって手足の変形をきたすという後遺症に悩む現実を目の当たりにして、手足の保護の重要性を認識し、セルフケア・クリニックの実践に取組んだ。1991年に所属する団体からタイ国東北部コンケン県へボランティア看護師として派遣される。以来一貫して、障害のある手足を洗い、創傷の手当をしながら後遺症対策のセルフケアを患者自身が行えるように促してきた。20年にわたる実践の結果、その重要性が患者やその家族に理解されるようになり、医療施設の職員からも信頼される存在になっている。一緒に取り組んできた理学療法士が、患者の傷の治療のために自ら手伝いギプス治療を受け継いでくれるようになったので、高齢で動けない人への訪問看護も取り組み始めている。 >>詳細
推薦者/梅本歯科記念奉仕団
黒川 妙子 (50歳/東京都足立区)
功績内容
昭和58年から約28年間、アジア・太平洋地域の虐げられた少数民族が抱える問題を社会に訴える等、支援活動を行っている。タイとミャンマーの国境地域で暮らし、少数民族の伝統文化維持を訴える記録ビデオを撮影し、広く社会に訴える一方、南インドの不可触選民と呼ばれるダリッドの若い女性たちの文化活動に参加し、歌や踊りで権利の回復を訴えるプログラム作成や運営に参画した。またアジアの国々で、識字教育などの人材育成にも努めている。 >>詳細
推薦者/田島 伸二
呉山 良雄 (69歳/滋賀県湖南市)
功績内容
湖南市で25年にわたり、警察や学校と連携しながら、地域の清掃活動などを通じ素行不良の青少年たちの更生と育成を続けている。自身の子が通う中学校のPTA会長を務め青少年を指導する過程で、大人が本気で関われば子どもは変わるという体験から、平成10年に「青少年指導支援の会」を設立。平成15年に、更生したかつての非行の若者を集め、地域の清掃活動に取り組むための若者ボランティアグループ「スイーパー」を設立。清掃や特別養護老人施設の支援、不法投棄されたゴミの撤去を請け負うなど、警察や地域との信頼関係を育む中で活動を続けている。 >>詳細
推薦者/宮治 一幸
野口 義弘 (68歳/福岡県北九州市小倉南区)
功績内容
平成7年に北九州市でガソリンスタンドを開業して以来、少年院や刑務所の出所者、不登校経験のある少年少女を雇用し、立ち直りを支援。のべ87人を雇用した。現在経営中の三店舗の、従業員の多くは非行歴のある子どもたちである。「非行に走る少年たちは、本当は素直な子ばかり。原因は、大人が創出した社会環境にある」と訴え、「信頼され、立ち直る場所さえあれば、子どもは必ず変わる」という信念を貫き、家族ぐるみで支援を続けている。 >>詳細
推薦者/西日本新聞北九州本社 副代表 竹下 元生
伊集 盛元 (71歳/沖縄県南城市)
功績内容
沖縄県議会議員として文教厚生委員部会に所属する中で、青少年問題が多々あることに気づき、同63年より高校中退者の問題解決に献身的に関るようになった。平成8年に県議を退いた後、「沖縄産業開発青年協会」を立て直し、若者を育成するとともに、平成22年には念願であった更生保護事業が認可され、「やんばる青少年隊」を設立、非行や犯罪を犯した青少年を受け入れている。自宅から120キロ離れた施設に毎朝4時に出勤し、青少年たちと関わり自立させ社会人へと導いている。 >>詳細
推薦者/新里 恒彦
ジョゼリア・ロンガット (51歳/愛知県豊田市)
功績内容
1990年の入管法改正により、豊田市の保見団地内で働くブラジル人の人口が、1万人近い住民の約半数を占めるなど激増。文化摩擦だけでなく子どもたちの教育問題が深刻化。2005年新設されたNPO法人が運営する「パウロ・フレイレ地域学校」にブラジルから校長として招かれ、大きな人間性で生徒に接し、さらに年代を問わず、地域の識字教育の向上に努めている。親はまず教育費を削ろうとするが、学校の経営状態が厳しい中、自らの給与の引下げ、子どもたちに学ぶことの大切さを伝えている。 >>詳細
推薦者/保見ケ丘ラテンアメリカセンター 河合 真平
松本 雅美 (48歳/静岡県浜松市中区)
功績内容
浜松市の企業で外国人労働者の雇用に携わり、外国人子弟の教育の劣悪な状況を知る。「どんなこどもたちも教育から置き去りにしてはならない」と2003年に私財を投じて、出稼ぎ日系南米人の子どもたちの学びの場「ムンド・デ・アレグリア学校」を設立し、校長となる。たびたびの資金難などを自らの働きかけと企業の支援などで乗り越え、2004年同校は国内初の各種学校として認可された外国人学校となった。現在、幼稚園から高校生まで200余人のペルー人、ブラジル人、パラグアイ人の子どもたちが学んでいる。 >>詳細
推薦者/奥山 誼子
中山 眞理子 (65歳/東京都中野区)
功績内容
平成元年に中野区国際交流協会設立以来、23年間、日本語を学ぶための「日本語講座」システムをボランティアと共に構築、地域の多文化共生に尽力してきた。指導と並行して「いつでも、だれでも、いつまででも」をモットーに、ボランティアのための日本語養成講座を開講。これまで延べ600人が受講した。当初は7~8人の学習者の講座が、昨年だけで約4,000人のボランティアが指導し、延べ8,500人の外国人が学ぶ大きな講座に成長した。同20年より「日本語支援を必要とする子どものための日本語ボランティア実践講座」を開講している。 >>詳細
推薦者/中野区国際交流協会
特定非営利活動法人 3keys (東京都豊島区)
功績内容
児童虐待数が平成22年度5万件を超え、3万人の子どもたちが親もとではなく、児童養護施設で暮らしている。そしてその子どもたちの多くは、不安定な家庭環境などで学習が大幅に遅れた状態で入所している。施設でも職員1名が6名の子どもたちのケアをしており、資金も不足している中、なかなか学習支援にまで手が及んでいない。3keysは平成21年から大学生をはじめとした学習ボランティアの採用、育成をし、独自の学習プログラムを用いて、施設にいる子どもたちの学習を支援することで、子どもたちの自信、意欲を育む活動をしている。 >>詳細
推薦者/児童養護施設聖ヨゼフホーム 副施設長 吉沢 隆志
牟田 昭一郎 (79歳/佐賀県神埼市)
功績内容
小さい頃からの本に対する渇望から、地域の幼児や児童を対象に、森の中の子ども図書館を造ろうと平成8年に私財を投じ敷地内に、子ども向けの絵本、図鑑など1千冊を所蔵するログハウス風の私設図書館「すぎの子文庫」を神埼町内に設立。地域のお母さんなどによる10名のボランティアとともに、図書の貸出や読みきかせ、すぎの子便りの発行など幅広く活動し、子どもたちの読書習慣の形成と青少年の健全育成や地域の和を広げるためにに活動している。現在、約3,500冊を所蔵している。 >>詳細
推薦者/神埼市教育委員会
岡田 博勝 (60歳/京都府木津川市)
功績内容
平成13年から大阪市旭区の知的障害児施設に療育活動として日本太鼓の指導を開始。日本太鼓連盟の公認指導員の資格を取得。太鼓の音を怖がるような子どもたちが、繰り返しの練習と高い指導力で昇級試験を受けられるようになる。日本太鼓全国障害者大会にも出場、高い評価を得る。平成20年からは近隣府県で不登校や引きこもり、ニートの青少年らの自立を支援。太鼓指導を通じ、行動の改善を促すとともに、自己表現の拡充と可能性を広げている。 >>詳細
推薦者/財団法人 日本太鼓連盟 秋田 稔
あじ朗志組 (宮城県石巻市)
功績内容
人口500人余りの高齢化が進む石巻市の網地島(あじしま)で、平成16年に島おこしのため結成。倒木の除去や、海岸の清掃などを、島外からの隊士(ボランティア)により、島民と交流する中で作業を行っている。また仙台市内の児童養護施設の子どもたちを島へ招待し、島民の高齢者との交流をはかり、心の拠り所にしてもらう意図から「網地島ふるさと楽好」も開校している。
3月11日の東日本大震災の津波により、海岸も流木やゴミで埋まるなど、活動の中止を余儀なくされているが、復活に向け活動を再開させている。 >>詳細
3月11日の東日本大震災の津波により、海岸も流木やゴミで埋まるなど、活動の中止を余儀なくされているが、復活に向け活動を再開させている。 >>詳細
推薦者/石巻市
NPO法人 印旛野菜いかだの会 (千葉県佐倉市)
功績内容
千葉県民の水道水源の印旛沼の水質汚濁を改善するために、平成12年「印旛野菜いかだの会」を設立。植物や二枚貝が持つ自然浄化機能を用いて沼の再生を取り組んでいる。アルミ製の通路状で両側に苗床を浮かせる「植栽いかだ」を水路に設置し、空芯菜やハーブなどを水耕栽培した結果、全国湖沼水質ワーストワンの汚名をきせられた沼の浄化効果を上げている。また栽培した野菜や貝から取れた真珠などは販売に向けて取り組んでいる。他県やベトナムにもこの取り組みは広がっている。 >>詳細
推薦者/NPO法人 印旛沼広域環境研究会
中川 一郎 (78歳/福岡県直方市)
功績内容
平成6年から福岡県直方市で市民と警察、そして市側に働きかけ、暴力団追放(排除)運動に地道かつ熱心に取り組み、指定暴力団組事務所を閉鎖撤退に追い込んだのをはじめ、全国初の暴追条例となる直方市暴力団等追放推進条例の制定・施行へと活動をつないだ。この条例は、福岡県暴力団排除条例制定等の礎となるなど市民が安心して暮らせる街づくりに貢献した。 >>詳細
推薦者/財団法人 警察協会
佐藤 初女 (90歳/青森県弘前市)
功績内容
昭和58年より、弘前市で「弘前イスキア」として自宅を開放。人生や生活上の問題をかかえる人の話を「母の心」で聞き相談に応じる為、平成4年に岩木山麓に移拠し、「森のイスキア」と改め救いを求める人を受入れ、手製のおにぎりを振舞う。年間70~80
の相談者がいる。自身の闘病体験から「食はいのち」との思いを深め、毎日の食事の大切さを講演会や著書を通して広く啓蒙している。食を通じた講演活動は、海外にも及んでいる。 >>詳細
の相談者がいる。自身の闘病体験から「食はいのち」との思いを深め、毎日の食事の大切さを講演会や著書を通して広く啓蒙している。食を通じた講演活動は、海外にも及んでいる。 >>詳細
推薦者/下村のぶ子、本間 操
特定分野の功績
海の貢献賞
* 海の安全確保、環境保護、汚染防止等に尽くされた功績
* 海に関わる産業分野において
傑出した技能による同分野への貢献と技能の伝承に尽くされた功績
優れた発明・考案・改良等により同分野の発展に尽くされた功績
* 海に関わる文化の発展・依存・保存・伝承等に貢献された功績
日本カブトガニを守る会 (岡山県笠岡市)
功績内容
昭和53年にカブトガニの繁殖地として、唯一国の天然記念物指定を受けている笠岡市で守る会を結成。海の環境汚染により絶滅の危機にある「生きている化石」ともいわれるカブトガニの保護運動を展開、海洋生物の環境維持を支える。他県など5支部と個人合わせて約1,000人の会員により構成。各支部ごとに海岸清掃、生態調査、産卵調査、藻場の再生のためのアマモの植栽事業などの活動を行っている。年に一度の総会を開催し、研究会や繁殖地の見学会、市民参加型の公開講座を実施し、カブトガニと海の環境保護活動を市民と共に盛り上げている。 >>詳細
推薦者/岡山県笠岡市 市長 高木 直矢
名取ハマボウフウの会 (宮城県名取市)
功績内容
名取市閖上海岸で絶滅したと思われていた海浜植物「ハマボウフウ」が市民らによって発見。その株が地元農業高校に運ばれて実をつけた話を聞き、ハマボウフウの生息する美しいふるさとの海を取戻そうと平成13年に発足。100名近い会員を中心に、海岸に1,000㎡程の保護区を設置、育成に努めている。毎年6月に幼苗の移植会と11月には種まき会を実施。10年を経て「海岸のお花畑」が実現化を目指している。移植会や種まき会は農高生や小中学生、町内会が参加する協働作業にもなっている。
3月11日の東日本大震災の津波により、集落は壊滅
、会員6名が亡くなり、1名の行方が不明、ハマボウフウの保護区も土砂で埋まっている。このような中で、亡くなった会員のためにもとハマボウフウの復活に向け活動を再開させている。 >>詳細
3月11日の東日本大震災の津波により、集落は壊滅
、会員6名が亡くなり、1名の行方が不明、ハマボウフウの保護区も土砂で埋まっている。このような中で、亡くなった会員のためにもとハマボウフウの復活に向け活動を再開させている。 >>詳細
推薦者/宮城県 環境生活部 環境対策課