社会貢献の功績
片桐 昭吾
片桐 和子
1998年にインドへのスタディーツアーに参加。ある駅で目にした数えきれないストリートチルドレンに衝撃を受けた。「見て見ぬ振りはできない」という思いを強く持ち、以来、夫妻でストリートチルドレンの支援活動を続けている。03年より現地のNGOと連携し同国東部ビシャカパトナム市郊外で、子どもたちの自立に向けた「子どもの憩いの村」(宿舎、台所・食堂、職業訓練所、農園、図書館、瞑想センター、診療所 36,422m2)を建設、09年には学校の建設も始まり、12年に開校予定している。昭吾氏は、定年後再就職先の警備会社からの給料をすべて、和子氏はバザー等により支援している。
〜インド・家なき子らに命と希望を〜
小学校教諭を定年退職した妻・和子は、翌日の1997年4月1日、ボランティア団体を設立し、海外支援と福祉活動を、気軽に活動していくつもりでしたが、翌年の12月、二人で参加したインド・スタディツアーが、運命を変えました。
深夜、オリッサ州の、とある駅に降り立ち、真っ暗な構内のあちこちに転がっている小さな固まりの1つに夫が躓き、それらが薄い布切れ1枚にくるまって寝ている幼い子どもたちと分かった時の驚きは、生涯忘れることができません。「見てしまった以上、放ってはおけない」と、私どもは、その後の人生を、インドのストリート・チルドレンの支援に捧げることにしたのです。
ツアーを案内してくれた現地NGOと共同で、家なき子どもたちの自立支援センター「子どもの憩いの村」建設・運営に本格的に取り組んだのは2003年1月からです。孤立無援の中での資金作りでした。夫は、警備会社に再就職し、妻は、バザーにコンサートにと東奔西走しました。その間には、夫の狭心症の治療、妻の脳梗塞、離れて暮らす娘が心を患い、引き取った幼い孫たちの養育等々、幾度か挫折の危機にさらされながらの苦難は、筆舌に尽くし難いものでした。が、少しずつ整っていく施設に、笑顔、笑顔の子どもたちを見て、「この子どもたちのために頑張ろう。」二人は、歯を食いしばって乗り越えました。
そして、2009年3月、荒野だった36,422平方メートルの広大な敷地は、宿泊棟4棟、台所と200人が一緒に食べられる大食堂、職業訓練棟2棟、瞑想堂、音楽堂、診療所、図書館、菜園・花畑・バナナプラント・牛10頭に鶏200羽のいる農園、サッカーやバレーボールの出来るグラウンド、100m直線トラックもある、子どもたちの暮らしを丸ごと受け入れる「楽園」となって完成しました。
現在は、敷地内に、州認可の学校を建設中で、2012年3月の落成・開校を目前に控え、ポーチには大時計が設置され、マンゴーの大樹のシンボルツリーに白く映える、校舎の全貌が現れつつあります。「教育こそが、世界の平和と幸せを築く原点」という理念の実現を目指し、100年先をも見据えた私どもの願いは、今後、このエリアを日印青少年の交流と切磋琢磨の拠点とすることです。
さらに、今、400メートルトラックを有する、世界公認の大グラウンドの建設に向け、スタートを切ったところです。ここから、将来のオリンピック選手を育成することが、私どもの究極の「夢」であり、今回の栄えある賞を推進力として、今後、一層、活動に邁進する決意を新たにいたしました。