犯罪被害者支援 ひだまりの会 okinawa
2005年2月、河井由美さんが二人目の子どもを出産し、病院から自宅に戻った翌日、夫の正則さんは育児休暇明けで久々の出勤途中、那覇市の路上で強盗殺人に遭い突然帰らぬ人なってしまった。正則さんは傘で顔面をつかれて脳まで到達するほどの傷を負っていた。翌日から新生児と三歳の子どもを抱えて、犯罪被害者遺族となった由美さんは、助けを求める先が沖縄県内に無かったことから、県外の犯罪被害者支援グループに参加し助けられたことで、同じように「グリーフ」を抱える人を助けたいと、2006年に那覇市に犯罪被害者とともに歩む自助グループとして会を設立した。犯罪被害者、または犯罪被害者家族、近親者の精神的・心理的な支援を目的として、個別相談・メール相談・裁判支援を行い、シンポジウムの開催を通じて、市町村単位での犯罪被害者家族への支援を広めている。「グリーフ」は「悲嘆」と訳され、死別や喪失など、かけがえのないものを失った悲しみと嘆きという意味。「悲嘆」は身体面や感情面、精神的・心理的な面、そして心の奥深くまで影響を与え、行動、考え方、認知に大きな影響をあたえる。人のグリーフへの向き合い方はそれぞれで、悲しみ方、悲しみの乗り越え方もひとりひとり違う。グリーフの渦中にある人には時間の流れと適切なサポートが必要で、それが得られれば、かけがえのないものを失った悲しみ、喪失と向き合い、新たな人生をスタートさせることができる。
今回はこのような名誉ある賞をいただきまして、推薦者その他関係者の方々にあらためて感謝申し上げます。
当会は2006年9月に設立し、17年目となります。きっかけは、2005年に家族が犯罪に巻き込まれ、命を落とすという非情な現実に直面し、警察の捜査協力や検察庁とのやり取り、裁判等、全くの未知の世界に放り込まれた事でした。
当時は沖縄県内に被害者支援を行っている機関が無く、インタネットを通じて県外の犯罪被害者支援自助グループにつながることが出来ました。そのグループには、同じような犯罪により遺族となった方々が参加しており、警察や検察の対応方法や、裁判の流れ等いろいろな支援をしていただきました。その中で、一番感謝しているのは、同じような思いをした人に話を聞いてもらえたことでした。そこで、地元沖縄でも私たちのように犯罪被害で苦しんでいる人の力になりたいと、県内で初の自助グループを立ち上げました。
どのようなグループにしたいのかと考えていた時に、グリーフケアという活動を知り、その活動を中心とした犯罪被害者支援を行っていこうと決意しました。グリーフとは「悲嘆」と訳されます。大切な人を突然亡くしてしまった大きな心の傷は、裁判が終われば元の生活に戻れるというような生半可なものではなく、悲しみを抱えながら、何年もかけて少しずつ新しい生活になじんでいく作業です。失われたものは決して戻らないけど、行きつ戻りつしながら、何年もかけてその環境を受け入れていく、そのようなお手伝いができればと思いました。その後、家族支援カウンセラーやグリーフケアアドバイザー等の資格を取得し、目の前の一人ひとりのニーズをきちんと理解し、誰一人取り残さない、途切れることのない支援を目指し取り組んでいます。
2022年には沖縄県犯罪被害者等支援審議会の委員にも委任していただき、沖縄県における犯罪被害者条例の運用にも関わらせていただいております。また、東京都に本部のある「いのちのミュージアム」の会員としても、県内で「生命のメッセージ展」を展開しながら、特に子どもたちを中心として「命の大切さ」を伝える活動も行っています。
今後、県条例だけでなく各市町村条例の制定や生命のメッセージ展の学校巡回展示会の開催などを行いながら、被害者にも加害者にもならない社会の実現に向けて、より一層精進してまいりたいと考えております。これからも当会の活動にご支援賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。