社会貢献の功績
冨永 幸子
「国際協力NGO・IV JAPAN」を1988年に設立し、ラオス共和国において、「援助とは、自立できて報酬を得られるようになるまで」という考えの下、独創的な職業訓練を17年にわたり続けている。1994年に小学校を建設したのをかわきりに、ビエンチャン職業訓練センターの建設、そしてソフト面でも、木工家具や理美容、調理・裁縫などの技術を中学を卒業または中退した子ども達に修得させ、これまでに2,000人以上の卒業生を送り出している。ラオス教育省の協力体制の元、センターを卒業するとビエンチャン都教育局より職業訓練修了証が授与される。この他農村の開発や教育インフラ整備、日本とラオスの文化交流なども事業として行っている。。
何か見えない大きな力に押されてここまで来たような気がします。国際協力の道にいつのまにか入っていましたが、節々にいくつかの出来事がありました。
百科事典でサリーの着付けの写真を見て「私も着てみたい」と思い、中学1年生のときインド人とペンフレンドになりましたが、それが全ての始まりだったような気がします。興味は国際活動に移り、ガールスカウトに入りますが、そこで何事も実践活動・行動力が大事であるということを学びます。とくに1980年、タイでガールスカウトのカノック会長に巡り会い、国際協力とは何かを学べたことが、その後の私の原動力となりました。
帰国後、まず行動を起こそうと「国際ボランティアの会」IV-JAPANを創設しました。1988年のことです。何の後ろ盾もない無謀な試みだったのですが、活動初年度にもかかわらず100人もの友人が呼び掛けに応じて奨学金ドナーになってくれました。そして現在までのべ7,300人のタイ・ラオスの貧しい子どもたちに奨学金を支給することができました。ラオスに魅せられて活動の場をラオスに移したのは1997年でした。事務所のあるさいたま市にたくさんのラオス人難民がいて、祖国ラオスの支援を依頼されていました。結局、私自身がラオスに赴任したわけですが、夫との離婚はやむを得ない選択でした。
専業主婦だった私がラオスで食べていけるかどうか、最初は不安もありましたが、ラオスの人々に経済的自立をすすめる自分が自立できないとはなんと恥ずかしいことか、と自らを叱咤しました。おかげで現在まで何とか生活できています。ありがたいことです。IV-JAPANはこの23年間、何度も経済的危機がありましたが、そのたびに思いがけず寄付をいただいたりして乗り切ることができるのですから、本当に不思議です。
当会の特徴は会員をはじめ、ボランティアに恵まれていることです。現在、日本に2名、ラオスに13名の職員、タイ財団に2名の事務局ボランティアが居て、日本の開発援助(ODA)やJICAの支援をいただいて活動しています。主に職業訓練事業(縫製・理美容・調理・家具)に携わり、教育や技術のない青年たちに起業・就業の機会を与えています。卒業生の中には美容院を開業して公務員の月収の6倍を得ている成功者もいますが、自分が生きているうちに成果を見ることができて本当に幸せです。95歳の母をはじめ、支えてくれている理事、会員、多くの友人とともにいただいた賞だと思っています。