社会貢献の功績
前田 延英
肢体不自由児施設で勤務後、老若男女が障害の有無にかかわらず一緒に暮らす任意団体で共同生活を送った。そこで出会った夫と共に、平成9年に里親登録して里子を受け入れ始めた。平成13年に滋賀県愛荘町に転居。自宅で親子4人、里親として里子5人とケアホームのホームキーパーとして障がいをもつ4人と暮らす。里子たちとの生活の中で思い浮かぶ言葉やメロディーを書き留め、これまでに100曲以上のユニークな歌を作りコンサートを開き、親子の絆を強めるなどユニークな養育里親としての活動を続けている。
ここまでのあゆみ
私達夫婦は、養育里親をしており、里子達やケアホームの障がいをもつ人達と共に生活しています、そんな生活の中で、日常の出来事、失敗、思いなどが歌として浮かぶようになりました。コンサートで子供達と一緒に歌ったり、CDや歌集を作ったりしています。
私は、長野県の肢体不自由児施設で働いていたある日、「茗荷村」の創設者である田村一二先生の講演を聞いて感銘を受けました。「茗荷村」(任意団体)は、田村一二先生の構想をもとに、自給自足の生活を基本にして、障がいの有る無しに関わらず共に暮らす所です。
滋賀県の茗荷村に移り、出会いがあって家庭をもち、障がいをもつ人達と家族として共に暮らすようになりました。一緒に暮らすようになって、長い人は25年になります。また障がいのある人達との生活が定着したあとのことですが、私達の周りには、里親をしている人達がいて、私たちも里親をしたいと思うようになりました。里親登録をして里子達の受け入れを始め、いろいろな出会いがあり、愛荘町で今は5人の里子達と共に暮らしています。そのうち4人は何らかの障がいがあります。
自作の歌は記録して保存し、時々所属しているママさんコーラスの発表会で採用され、歌ってくれました。自分で歌うようになったきっかけは、8年前のことでした。父が癌になり、生きているうちに何かをしてあげたい、歌の好きな父に自作の歌を聴いてもらおうと思い、故郷の友人達に協力してもらいCDを作ることができました。そのCDの歌を聴いて父は喜んでくれました。
それがきっかけになり、再び故郷の友人達に協力してもらいながら録音して、自作のCDは増えていきました。CDのコピーやダビングは、息子たちが応援してくれました。健康診断で再検査になったのがきっかけで、自分が歌える間にもっと多くの人達に聴いてほしいと思うようになり、そして小学校で放課後にピアノを教えてくれた恩師、施設でお世話になった上司に、元気なうちに自作の歌を聴いてほしいと願い長野で初めてのコンサートをして喜んでもらうことができました。次に滋賀でコンサートをしました。
歌を聴いて「元気が出た」「癒された」という声を聞き、少しでも人に喜んでもらえたなら有難いと思いました。一緒に出演した子供たちが、楽しそうに活き活きしている姿を見て嬉しく思いました。依頼があった時は歌わせてもらい、この頃は県の里親研修会などで時々歌わせてもらっています。
里子達との毎日は、笑ったり楽しい事もあるけれど、悩んだり行き詰る事もあります。そんな時は、周りの里親さん達に話を聞いてもらい相談しながら、また児童相談所と連絡をとりながら、乗り越える事ができました.親同士が親しくなると子供同士も安心して親しくなり、交流が深まりました。先輩里親さんから言われた「自分の子供と同じように育てればいいんだよ」というアドバイスを思い出しながら、向かい合っています。実子も良きお兄さん役になってくれて、子供達同士の育てあいの力も大きく、共に育つ大切さを感じます。子育ては親育てだと言いますが、その通りだと思います。里親の学習会で講師の方が言われた「子育て60点」を目標にしたいと思います。私達の1年ごとに年はとりますが、体力のある間は今の生活を続けたいと思います。