社会貢献の功績
バーバラ・ホーガン
ボストン出身の米国人シスターであり看護師として奉仕していたが、1962年27歳の時に修道会により派遣され来日、翌年から聖母病院に勤務。日本の看護師資格も取得。海外からの移住労働者や難民の受診者が多い同病院で看護師としての仕事の他、通訳や事務手続き、バザーを開催し支払困難な患者の治療代を負担したり、亡くなった患者の葬儀の手配までもするなど、奉仕活動は48年に及んでいる。
私が聖母病院で働き始めてから、今年で48年になります。長い間、外国人の患者さんのために奉仕してきました。1990年までは、病棟で、外国で病気にかかり不安になっている患者さんたちの身体的・精神的なケアにあたりました。
そして、日本に外国人労働者が増え始めた1991年からは、外来で働くようになり、外国人労働者たちの、身体的・精神的な問題ばかりでなく、彼らを取り巻く経済的・社会的な問題にもかかわるようになってきました。日本の労働力の不足を補うために雇われた外国人労働者たちは、自国に比べれば高額な賃金を手にすることはできましたが、家族から離れ、言葉も習慣も異なる外国で長時間の労働により、多くのストレスがたまり、病気になる人も多かったようです。しかし、日本語もできず、日本の習慣もわからないために、病院にかかることを躊躇する人が大勢いました。その上、ほとんどは、日本の健康保険や労災にも加入していないために、医療費の心配もありました。外国人の中で、聖母病院に行けば通訳のサービスもあり、外国人だといって差別を受けることもなく心配なく診察を受けることができるというロコミが広がり、かなりの遠方からも通院してくるようになりました。病院では、受付の申し込み、問診票なども、英語・スペイン語・フランス語・ポルトガル語で準備し、またドクターの診察には通訳をし、検査等にも付き添い、最後は服薬の説明をします。また結核やHIVのような場合には、専門病院まで、付き添っていくこともありました。
外国人の患者さんが治療を受けやすいようにいろいろな奉仕をしてきましたが、一番大きな問題は経済的な問題です。夫婦で来日している外国人労働者も多く、出産の費用など莫大な額になります。そのために、いろいろな工夫をしてきました。東京都からの補助が少しはありますが、バザーをたびたび開いたり、個人的な寄付を募ったり、また修道会からの援助を願って、医療費の払えない患者さんのために資金集めをしていますが、非常に困難な状態が続いています。
そして最近は、非正規滞在者の数が減り、難民申請者の患者さんの数が増えてきました。それに伴い、医療の問題ばかりでなく、住居、食糧もないという人も増え、支援の枠を広げる必要が出てきましたが、やはり経済的な問題が障害になっています。
今回、このような栄えある賞をいただき、身に余る光栄でございます。私としては、聖母病院の理念に従って、ただすべきことを精一杯果たしたに過ぎません。これからも、いただいた賞に恥じることないように、外国人患者さんたちのために奉仕を続けていく所存でございます。