社会貢献の功績
松本 雅美
浜松市の企業で外国人労働者の雇用に携わり、外国人子弟の教育の劣悪な状況を知る。「どんなこどもたちも教育から置き去りにしてはならない」と2003年に私財を投じて、出稼ぎ日系南米人の子どもたちの学びの場「ムンド・デ・アレグリア学校」を設立し、校長となる。たびたびの資金難などを自らの働きかけと企業の支援などで乗り越え、2004年同校は国内初の各種学校として認可された外国人学校となった。現在、幼稚園から高校生まで200余人のペルー人、ブラジル人、パラグアイ人の子どもたちが学んでいる。
すべての子どもたちに学ぶ歓びを
この度は社会貢献支援財団より、このような栄えある賞を頂き、大変恐縮しております。
きっかけは小さな志からでした。1990年日本がバブル景気の中、労働力不足で国外からの労働力補充のために入国管理法が改正され、日系人(日系2世、3世)に合法的に労働できる在留資格が与えられるようになりました。それに伴い、経済状況が不安定な中南米から多くのデカセギの日系人労働者が日本にやってきました。デカセギですから、その多くの人たちは短期間でお金を貯めて、帰国する予定のはずが、当初の目的から少しずつずれていき、定住する人たちが増えていきました。
そして、定住する日系人たちは本国から家族を呼び寄せ、来日する日系人の子どもたちが増えていったのです。日本語を知らない子どもたちが、来日すると日本の学校に行きます。母国語もままならない子どもたちが、外国語である日本語で勉強しなければならないのです。ですから、その子どもたちがどうなっていくのか、想像することは簡単です。日本語もわからない、勉強もわからない、日本の文化、習慣がわからないから些細なことで誤解されいじめにあったり、人間関係がうまくいかない等々大変な状況に置かれるのです。
そんな子どもたちに私は8年前に出会い、その子どもたちの問題に直面し悩む親たちに「マサミ、子どもたちがスペイン語で勉強できる学校を作ってくれないか」と頼まれたのがムンド・デ・アレグリア学校の設立のきっかけです。日本に来たがために学習する機会を失い、困る子供たちが増えないよう、そして、日本に来てよかった、日本でよかった、と思って欲しいという小さな思いからでした。
しかし、思いだけでは経営は成り立たず、開校してすぐに困難は押し寄せてきました。一番の問題はお金でした。自分の貯金を切り崩し、アルバイトをしても、長く暗いトンネルの中をさまよっているようでした。何度辞めようと思ったかしれませんが、ある日生徒たちに言われた「先生、学校を作ってくれてありがとう」という言葉に、折れそうな心が何度も救われました。
そして、努力が実り南米系外国人学校として国内初の各種学校認可を取得し、その後地元企業の支援、大使館、浜松市の支援、そして多くの支援者の方々に支えられ今日があります。
現在、ペルー人、ブラジル人、パラグアイ人の子ども達190名が学んでいます。まだまだ大変ですが、これからも、子ども達が日本社会で孤立せず、自立でき、自分の将来に夢がもてるような教育を目指していきます。この賞を頂き、さらに精進していきたいと思います。