社会貢献の功績
中山 眞理子
平成元年に中野区国際交流協会設立以来、23年間、日本語を学ぶための「日本語講座」システムをボランティアと共に構築、地域の多文化共生に尽力してきた。指導と並行して「いつでも、だれでも、いつまででも」をモットーに、ボランティアのための日本語養成講座を開講。これまで延べ600人が受講した。当初は7~8人の学習者の講座が、昨年だけで約4,000人のボランティアが指導し、延べ8,500人の外国人が学ぶ大きな講座に成長した。同20年より「日本語支援を必要とする子どものための日本語ボランティア実践講座」を開講している。
23年前、家庭・仕事で多文化の私は中野区国際交流協会(以下協会)で地域の国際化のお役にとの気持ちで専門員として仕事を始め、発足年の10月、早速パイロット事業として「日本語入門講座」を開きました。そこで、従来の私の国内外の大学での日本語教育が、極一部のエリートを対象にしていたことを学び、新たな職業人生の視点を得ることになりました。地域の生活者のための日本語を含む支援の重く深い需要をどうするかの視点でした。
先駆的試みと新聞各社に報道され、記事を目にしお手伝いをと飛び込んできた1区民に啓示を受け、手段を模索していた私は「入門講座」終了直後、早速ボランティア養成講座を開き、第1期生が誕生、現在は成人向け22期生、子供向けボランティアの4期生までを養成、一般3、子ども2の全5クラスで180人が活動するボランティア組織となりました。
ボランティアが養成講座終了後も年間80時間の勉強会で主体的に学び、専門家となるべく更なる高みに挑戦しているのも、基本方針「(1)学習者の持つ目標がゴール (2)いつでも、だれでも、いつまでも支援し、どのような需要にも応えられる態勢整備 (3)100%分かる日本語で教える技術の研鑚」を十二分に理解しているからです。以上で外国からの新たな人材を地域に多く輩出することが可能となり、これが日本語支援活動「中野方式」の全容です。
一方、ニューカマーの第2世代の自分の意志無く来日した子供達が急増する中、彼らを対象に特化したボランティア養成、日本語での教科学習で潜在能力が発揮できるよう集中して日本語を学習する環境整備も急務になりました。5年前から開始した有資格者指導員の小中学校派遣事業も区教育委員会との連携が更に進み、今年度はボランティア活動も含め、最大120時間で協会の子供クラスと連動、年間400時間、日本最大級の支援となりました。
多文化共生社会実現のもう1つの大きな柱、情報伝達では、言語の障害が生活上の差別を生まぬよう、情報難民が生じぬよう情報伝達の体制の確立を目指しています。それが、情報伝達での「中野方式」で、多言語化の限界を見越した「誰でも分かる日本語への翻訳」更にそこからの「誰でもわかる多言語化」によって、「限りなく100%に近い住民への情報伝達を実現する」体制整備の確立を意味します。日本語支援活動での「中野方式」の日々の研鑚が功を奏し、日本語ボランティアがそのまま情報伝達でも「分かる日本語の通訳者」となり、想像を凌駕する努力と能力で地域社会への貢献の担い手として協働しています。
時代の波を最も受ける国際交流・協力分野では必ずしも平坦な道ばかりではありませんが、共に歩む人々との信頼関係,同志としての絆と情熱が私を鼓舞し支えてくれました。ですから、今回の受賞は公私共に私の活動を支えてくださる全ての方々、私に新たな視点を学ばせてくださる方々、いつも私に考える機会を与えてくださる方々があって実現したと理解しています。中野区国際交流協会を始め、理事長を務めさせて頂いている「公益財団法人母と学生の会」、共同研究者を務めさせて頂いている「全国の教員組織」、「東京ボランティアネットワーク」、「東京の日本語教育を考える会」その他、私が係らせて頂いている全ての活動母体・組織の方々、同志の方々の導きに発展途上の私がここまで歩めました。
晴れの日を多くの方々と共に喜び、感謝しつつも、これが、私への「ご苦労さん」ではなく、「これからもう一頑張り、努力してご覧」との励ましの言葉と受け止めております。