社会貢献の功績
茂木 幹央
3歳で失明し盲学校卒業後、苦労の末点字受験により大学に入学。卒業後、国立東京視力障害センターに勤務。その後、自身の働きかけと自治体や団体等の協力により、盲老人施設のない埼玉県に初めて「養護老人ホームひとみ園」を昭和54年に完成させ、社会福祉法人日本失明者協会を組織し理事長となる。以来35年、盲人の就労施設や身体障害者のためのケアホームなど9種の社会福祉事業を営み、利用者245名と職員133名を擁し地域福祉を支えるとともに雇用促進を図っている。
私の施設作り
私は昭和11年に、埼玉県大里郡藤沢村(現在の深谷市)に農家の長男として生まれましたが、3歳の時に麻疹(はしか)が原因で両眼とも失明し、以後七十数年間を全盲者として生きてきました。
小・中・高は盲学校で過ごし、大学は目の見える人達が行く一般大学を卒業しました。
大学を卒業して、国立施設の教官をしていた頃の事です。昭和50年9月の点字新聞で、関東地区1都6県の内で盲老人ホームが無いのは埼玉県だけである、という記事を読んだのです。
その事がきっかけとなり、私は出身地の深谷市に盲老人ホームを作る活動を始めたのです。土地は父から農地を借り、施設建設資金は百円募金を展開しました。
ところが、百円といえども中々集まらず、運動を止めようと思った事もありましたが、やがて運動が実を結び、更には各種諸団体から補助金をいただく事ができて、昭和54年4月から埼玉県に於いて初めての盲人の為の老人ホームであります「養護盲老人ホームひとみ園」を発足させる事ができたのです。
現在は、ひとみ園の他に、特別養護老人ホームむさし愛光園・むさし愛光園ショートステイ・むさし愛光園デイサービスセンター・むさし愛光園居宅介護支援センター・ケアホームむさし静光園・盲人ホームあさひ園などを設置経営しております。
今後は、養護盲老人ホームひとみ園の入所定員を100名から120名にする為の増築園舎を建設する事。18歳以上の視力障害者の生活の場としてのケアホームを建設する事。18歳以上の重度視力障害者が働く場としての盲人ホームあさひ園の増築園舎を建設する事等を目標として活動してまいります。
この度は、公益財団法人社会貢献支援財団様より表彰していただき、誠に有難い次第であります。