社会貢献の功績
佐藤 初女
昭和58年より、弘前市で「弘前イスキア」として自宅を開放。人生や生活上の問題をかかえる人の話を「母の心」で聞き相談に応じる為、平成4年に岩木山麓に移拠し、「森のイスキア」と改め救いを求める人を受入れ、手製のおにぎりを振舞う。年間70~80
の相談者がいる。自身の闘病体験から「食はいのち」との思いを深め、毎日の食事の大切さを講演会や著書を通して広く啓蒙している。食を通じた講演活動は、海外にも及んでいる。
この度、栄えある受賞に浴し、多くの方の善意のご芳志のおかげと心から感謝申し上げます。
食べることを大切にすること、お料理を作って全国から訪ねてくる方と一緒に食べてお話をする、そんないたって平凡な活動ですが、私一人の力ではできないことでした。
私は幼少の頃、半農半漁の田舎で暮らしました。おせっかいと言うか、親切と言うか人と会うことが喜びであり楽しみでした。思い越せば80年以上前でも、今でいう"鍵っ子"になってる家庭もありました。学校から帰ると留守がちになっているので結局友達のところに行きます。このような状況を感じたのかわかりませんが、父が庭に二人乗りの、子供から見るとおきなブランコを作ってくれたのです。またまた子供は集まって来ましたが、小学校5・6年になりますと外に向かって行きます。例えば、ボーイスカウト、ガールスカウト、子供会等の活動に参加するように自然に巡回していきます。私も小さいことから一歩一歩体験し、現在を迎えています。
私の活動は形にもなっていませんし、決まりもない、毎日毎日の生活の積み重ねにほかなりません。
私はこれまで『今』を生きること、今ほど確実なことはないので先を見て進むのではなく、今を真実に生きることによって夢にも希望にも繋がっていくことを体験を通じて話し、私自身もまた深く受け止めていました。
その『今』が、未曽有の大震災であろうとは誰がこのことを知っていたでしょうか?発生は午後2時半頃でしたが揺れ動いたと同時に「地震!」。居合わせた5・6人が顔を見合わせ黙々とあちこちのスイッチを押しましたが反応がないので停電に気づきました。断水も同時でした。今でこそすべて電気になっていますが、以前は火が生活の中心になっていましたので、地震の時は先ず火を止めることを厳しく教えられてきたのです。
初めて体験する大地震も事実として受け止め、よい状況にすすめるように力を合わせて進むことを誓いあったのです。
あの時からもう半年経過しています。
震災の後、大震災は多くの人に何か大きな変化をもたらしていると感じさせられています。
出会いを大切に一日一日精一杯生きていきたいと思っています。