社会貢献の功績
黒川 妙子
昭和58年から約28年間、アジア・太平洋地域の虐げられた少数民族が抱える問題を社会に訴える等、支援活動を行っている。タイとミャンマーの国境地域で暮らし、少数民族の伝統文化維持を訴える記録ビデオを撮影し、広く社会に訴える一方、南インドの不可触選民と呼ばれるダリッドの若い女性たちの文化活動に参加し、歌や踊りで権利の回復を訴えるプログラム作成や運営に参画した。またアジアの国々で、識字教育などの人材育成にも努めている。
この手記を書いている現在、3.11の原発事故によりひきおこされた困難な状況が、これから何十年、何百年と続くたいへんな時代の、まさにその入り口にあることを痛感する日々です。こうした中で、2011年度の社会貢献の賞を頂戴することの意味を考えさせられ、また大きな責任をも痛感します。
わたしは、アジア太平洋地域の文化・教育協力事業を行う職場で14年間仕事をした後、国際機関の会議室の議論からでは見えない世界を実感したくて、それまでの職場を離れました。そして私を受け入れてくれたのが、タイ・ミャンマー・ラオスの国境近くで山岳少数民族のための活動を行う、タイのトゥエンチャイ・ディーテさんでした。ミャンマーにおける少数民族への圧迫から逃れ、国境付近のタイ領内の山岳地帯に移り住んできた人々が、その地域の住民として平和に生活を営めるように、教育・農業・環境の分野で重要な仕事をしていらっしゃいました。ここでお手伝いをさせていただきながら、買ったばかりのビデオカメラをかついで、私は村の長老たちの話をきいてまわり、「永遠のアカ民族の魂」と題した映像プログラムを作り、この番組はタイ政府のノンフォーマル教育巡回車両に搭載されました。山の村から発信された、長老の言葉がいかに現代に深い示唆を与えるものであるか、これから空気も土も水も放射能に汚染された土地に暮らしていかなければならない私たちとって、前にも増してその言葉が心に響きます。
南インドのダリットの女性たちの心の解放を、芸能を通じて行う「シャクティ」と私の協働関係は、おたがいに芸能を愛する者としての共通の土台からなりたっています。歌やおどりの魅力は、どんなしこりや垣根、そして心の傷があったとしても、共に歌いおどることにより、傷がいやされ不思議と連帯感がめばえるのです。ダリットというのは、インドのカースト制度の最下層におしやられ、不可触民とされてきた人々が、自らを呼ぶ呼称です。おしつぶされそうな差別社会の中で、自尊心をはぐくみ、それぞれが与えられた能力をのばして、皆が少しでも幸せに生きていけるようにするのは、並大抵なことではありません。それでも「シャクティ」創設者のチャンドラさんは、一人一人のダリットの少女たちと寝食を共にしながら、若い人材を育てています。うまくいかないこともありますが、列車から降りていく人、列車にのる人があるなかでも、列車は進んでいくという「ことわざ」があるそうです。これからも淡々とダリットの女性たちの輝く能力をひきだす仕事をお手伝いしていきたいと思っております。