人命救助の功績
徳野 孔人
清水 裕一
平成22年10月7日19時25分頃、湧別町内に勤務する中国人の女性研修生4人のうち3人が湧別漁港の斜路で溺れた。残った1人が、現場近くの徳野さんと清水さんの勤務先に助けを求めた。清水さんが持って来た救命胴衣を身につけた徳野さんは、溺れている女性のところまで泳ぎ、清水さんは119番通報し、連携により3人を確保し救助した。1人は心肺停止状態であったため二人で心肺蘇生を施し、一命を取りとめた。
徳野 孔人
平成22年10月7日午後7時過ぎでした。工事現場の責任者である私は現場作業終了後、仮設の現場事務所で書類整理や作成をしていると、すごい勢いで女性が事務所に駆け込んできました。「タスケテクダサイ!」片言の日本語だったので、中国人だと思いました。「ヒトガオボレテルンデス!」というので、私は急いで付いて行きました。
現場に着くと、船揚げをする斜路の水際から20mほど沖にいった所で溺れている人がいました。私一人では無理だと思い、隣に同じく現場事務所を構えている後輩の清水君に携帯電話で応援を要請しました。私は電話しながら海に入って行くと、4~5m行った所で急に深くなり、足場が突然無くなりました。このまましがみ付かれたら自分も溺れてしまうと感じ、一旦引き返しました。そこに後輩の清水君が到着。すぐ119番通報するようにお願いし、私はロープか何か必要と感じ、辺りを走り捜していると、その様子を見ていた清水君が119番への通報をしながらライフジャケットを手渡してきました。仕事でよく着用するライフジャケットのことをすっかり忘れており、清水君の冷静な判断には感心しました。
もう一度海に入り、救助に向かうと、溺れているのは3人だと気付きました。その中の1人がうつぶせで浮かんでおり一番危険を感じたので、あおむけに返し、必死に片手で泳ぎました。他の2人はその女性に捕まっていたようで、一度に3人引き上げた結果になりました。
うつぶせで浮いていた女性は意識も息も無かったので、私は胸骨圧迫、清水君は気道確保をして心肺蘇生に入りました。無我夢中に2セットくらいやり終えると、救急車が到着。救急隊の方にバトンタッチし、かすかではあるが呼吸と脈があると聞き、少し安堵したのを覚えています。その女性は意識不明で集中治療室に入っていたようですが、結果的には意識を取り戻し元気に退院。後日、わざわざ現場事務所にお礼に来て頂けました。全員助かって本当に良かったです。
また、この出来事の6日前に弊社の安全衛生教育の一環として、地元消防署から普通救命講習を受講していたため、心肺蘇生術を比較的スムーズに行えたことは、私も含めて大変幸運だったと感じています。
清水 裕一
当時、私は湾岸土木工事の現場責任者であり、翌日の作業の準備を行っていました。
午後7時頃、隣の現場事務所にいる先輩である徳野さんから電話がきました。
「人が溺れている!すぐに来い!」。普段はおとなしい徳野さんからの怒声にも似たその声に、ただ事では無いと察し、すぐに現場に向かいました。現場に着くとびしょ濡れになった徳野さんと沖に浮かぶ人影が見えました。
徳野さんの指示により救急連絡をし、沖のほうを確認すると「最初に目に入った人影がうつぶせであること」「その他にもかろうじて水面から口だけ出ている人が二人いること」が確認できたので、状況を電話で伝えました。
徳野さんが再び救助に向かったのが見えたので、「このままでは全員が溺れてしまう」と思い、なにか浮輪になるものは無いか辺りを確認しました。車の中の救命胴衣が目に入り、「これを切れば溺れることは無いだろう…。」と、すぐに徳野さんに投げ渡しました。
救命胴衣を着た徳野さんが、うつぶせの人を仰向けに返し、泳いで岸に向かってきました(この時、他の二人も救助されている人に捕まって一緒に岸に向かってきました。)「息がない…」そう言うと徳野さんは直ぐに心臓マッサージを開始しました。
その姿を見て、ちょうど一週間前に会社の安全衛生教育で行われた普通救命講習を思い出し、直ぐに人工呼吸のための気道確保を行いました。しかし、相手の方がショック状態であったためか口を開こうとしても、ものすごい力で口を閉じようとします。
このままでは水を吐くことができないと思い、相手の首を横に曲げて、思いっきり両手で口を開きました。そうこうしている間に救急隊員の方が到着し、蘇生術を引き継ぐことができ、病院に搬送されました。
後日、三人とも無事に退院したことを伝え聞き、本当に良かったと思いました。
最後に、このような名誉ある賞を受賞できるほど、私自身はたいしたことをやっておりませんが、勇気ある行動をとった徳野先輩の救助の一助になれたことをうれしく思うとともに、この賞の受賞者であることを自負し、今後も社会に貢献できればと思っております。