表彰式典

受賞者代表挨拶

受賞者代表・名取ハマボウフウの会 代表 大橋 信彦 さん

受賞者代表・名取ハマボウフウの会 代表 大橋 信彦さん

皆様、こんにちは。
ご紹介いただきました、名取ハマボウフウの会の大橋信彦と申します。
東北は宮城県名取市、太平洋に面した閖上(ゆりあげ)という小さな海岸からやって参りました。

この度の災害では、多くの皆様から励ましの言葉や、直接、間接のご支援を頂きまして、誠にありがとうございました。そしてこの度、社会貢献支援財団様より名誉ある賞を頂くことになり、誇りに思いますとともに、受賞者の皆様を代表して心より感謝申し上げます。

さて、ここでハマボウフウの話を少しさせて頂きます。この植物は、北は北海道から南は沖縄まで、どこの海岸にも自生しておりました日本古来の海浜植物で、濃い緑の葉と夏に咲く白い小花、そして垂直に長く伸びた根、そのような特徴を持った海浜植物の一種です。

私たちが子どもの頃は、春先になりますと、浜のあちこちに出てきた新芽を摘んでは親のところに持って帰り、それを酢味噌和えにして食べるのがどこの家庭でも習わしになっておりました。また夏には、熱い砂の上でハマボウフウの葉っぱに裸足の足を乗せ、冷やしながら波打ち際まで駆けて行ったあの感触を、私たちの足の裏がはっきりと覚えています。  

いつの頃からでしょうか、ハマボウフウが私たちの海岸から姿を見せなくなってしまいました。それはどうやら日本の経済の復興と歩調が合っていて、開発や乱獲がどこの海岸でも頻繁に起きていた、そんな時代の出来事でした。そしていつしか、彼らの姿が海岸から消え、土地の人もその存在を忘れてしまうようになってしまったのです。

どのぐらいの年月が経ったでしょうか、ある時、私たちの海岸で幻のハマボウフウが見つかりました。正直、胸が躍り、血が騒ぐのを覚えました。盗掘を恐れた私たちは、それを地域内の農業高校に運んで保護と増殖のお願いをしました。ハマボウフウは農業高校の畑に程なく根付いて、翌年には花を咲かせるようになりました。そして、平成13年8月15日、私たち「名取ハマボウフウの会」は発足いたしました。会員20名でのスタートでした。  

目的は、美しく健康な海岸を再生させること、地域の人たちが親しんできたハマボウフウを新しい食材として育てること。ちょっと欲張っているようですが、この二つの目標をもって会の活動がスタートして、以来10年。本日、たくさんの皆様が40年、50年の長きにわたって活動しておられる、そんなお姿を拝見し、お話をお聞きするにつけ、私たちの活動はまだまだかわいらしいものではありますが、しかしながら、10年が経ってみますと、ハマボウフウたちが保護区内に無数に繁殖し、ある時には種が勝手に防護柵の外に飛び散って小さな群落をつくる、そのような姿が海岸に現れるまでになりました。

そして、この春の大きな波が、町も人も私たちの保護区も全て押し流してしまったのです。しかし、ひと月経ったその時、浜にハマボウフウの新しい芽が出て参りました。私たちは「復興のシンボルか!」そんな風に感じながら、この6月、開催が危ぶまれた「ふるさと海辺フォーラム」(ハマボウフウ交流会)を名取市の海岸で実施いたしました。そこには、志を同じくする全国の仲間が集まってくれました。私たちは大きな感動に包まれました。 

今回このような大きな賞を受賞出来ましたのも、災害にめげずに小さなイベントを地域で催した、そのようなことが評価されたのかと、だとすれば、それは私たちだけの力ではなく、全国のネットワークを結んでいる皆さん、そして地域の小中学生や高校生、町内会の皆さんの友情や支援の力が働いてのこと、そんなふうに感じております。

今回の災害は、確かに大きなダメージを私たちに与えましたけれども、私たちはこれからも地域の人、ネットワークを結んでいる仲間、そして陰になり日向になって私を支えてくれた家族とともに、海岸での活動を続けて行こうと思っています。

皆様、本当にありがとうございました。

名取ハマボウフウの会
代表 大橋 信彦