第47回 社会貢献者表彰 受賞者一覧
(敬称略)
社会貢献の功績
- 精神的・肉体的に著しい苦労、危険、劣悪な状況に耐え、他に尽くされた功績
- 困難な状況の中で黙々と努力し、社会と人間の安寧・幸福のために尽くされた功績
- 先駆性、独自性、模範性などを備えた活動により、社会に尽くされた功績
- 海の安全や環境保全、山や川などの自然環境や絶滅危惧種などの希少動物の保護に尽くされた功績
補足:社会貢献の功績は、日本国内での日本人並びに外国籍の方、海外での日本人による活動など、広い活動を対象とします。
塗魂ペインターズ(群馬県)
「塗装でできる社会貢献」というテーマを掲げ、全国の塗装業者の有志たちが仕事とは別に集まり、被災地や必要とされているところへ行き、建物や遊具などを塗装するボランティアを行っている。2009年に現在団体の会長代行を務める池田さんが、企業による社会貢献活動に興味を持ち、同業者の有志5、6人で発足させた。現在有志は143に増え、年間5万円の会費を払い、活動を行っている。ペインターズの活動に係る交通費、宿泊料などはすべて自己負担で行われ、塗料は賛同してくれる塗料メーカーが協力してくれる。これまでに約75ヵ所の塗装実績があり、年間30件、月2.3回くらいの依頼を受け、幼稚園、市役所、駅、公園などの塗装を手掛ける。東日本大震災の被災地へは毎年1回、全国公認行事として塗魂ペインターズの有志達が全国から150名程集まり、ボランティア塗装を行っている。今年は塗魂インターナショナルも発足し、ハワイのキャンベル高校、ホノルル妙法寺、そしてベトナムの病院などのボランティア塗装を行い、さらに、リトアニアの杉原千畝記念館の海外ボランティア活動も予定している。 >>詳細
田中 三紀子(福井県)
福井県武生市(現越前市)で、平成12年に障がいがある子どもの保護者数人と「エンジェル・キッズ」を結成して放課後等デイサービス事業に取り組み、その後NPO法人の認定を受け、障がいのあるなしに関わらず地域で生きていく事を目的に社会と解け合う場の提供や生活介護事業を行っている。当時、障がいの性質別に複数存在していた保護者の団体をネットワーク化させ、当事者や保護者の発言力を高め、組織未加入者も気軽に参加でき、情報交換が図られ、市の保育や教育現場での支援員の配置、障がい者就労支援施策などに貢献した。 >>詳細
推薦者/越前市
特定非営利活動法人 日本喉摘者団体連合会(東京都)
喉頭がん、咽頭がんなどの頭頸部のがんによって声帯を含む喉頭を摘出し、発声機能を失った人たちに、食道発声、電気式人口喉頭(EL)発声、気管食道瘻(シャント)発声などの代用音声の獲得にサポートする全国57のボランティア団体で構成され、これらの発声法や研究及び指導を行い、福祉向上に寄与することを目的に活動している。東京都港区を拠点に昭和45年に26団体で発足し、現在約6,100人の会員が全国151ヵ所の教室で指導を受けられる。発声指導員の資格制度を確立して、全国で668人の発声訓練士を誕生させた。各代用音声の訓練教材をはじめ、発声訓練士のために指導カリキュラムや指導マニュアルなどを作成し、発声訓練士の質の向上と維持を目的に指導の標準化を図っている。喉摘者の発声研究・指導・資格、開発・親睦などの活動とともに障害者等級、障害者年金、日常生活用具の公費負担、指導員養成助成金など、公的支援に向けての活動を展開し重要な役割を果たしている。 >>詳細
推薦者/公益社団法人 銀鈴会
更生保護法人 函館創生会(北海道)
明治40年(1907年)に函館監獄の教誨師藤井大威らが「函館出獄人保護会」を監獄の一画に構えたことを起源とする更生保護施設。平成8年に現在の「更生保護法人函館創生会」となり、組織変更と改称を重ね100年以上の長きにわたり、帰るべき場所のない刑務所出所者などを保護している。同18年より「入所者に再犯をさせず一日も早く自立させる」「入所者の今後の生き方を考えさせる学校のような更生保護施設を作る」との考えのもとに、就労支援、退所先確保支援、金銭管理指導、と再犯防止、更生意欲喚起、心身の健康維持のためのミーティングや清掃ボランティアへの参加、誕生会の開催、「生き方教室」や「写経教室」「書道教室」などを行っている。同27年には「巴寮」の定員を15人から20人に増やし、年100人程を収容保護し、1人平均3ヵ月で自立更生に導いている。常勤職員6人、非常勤職員3人、日直・宿直協力保護司13人。更生保護女性会会員が土曜日に「男の料理教室」を、日曜日には夕食を作り寮生と共に食事する「ふれあい夕食会」を実施している。また「引き受ける」としている刑務所在所者に3ヵ月に1回各自宛てに手紙を書いて「函館創生会隔週通信」6通を送り続けている。 >>詳細
推薦者/更生保護法人 両全会
だんだん こども食堂(東京都)
東京都大田区で八百屋「だんだん」を営む近藤博子さんが、野菜を買いにきた小学校教諭から、「あるこどもの母親が病気で朝晩の食事がバナナ1本だけで、毎朝、先生がおにぎりを作って生徒を迎えに行き、学校に給食を食べに来てもらう」 という話を聴いて、食べ物に溢れたこの時代に、先進国でこんな話があるのかと信じられなかったが、そうした問題は地域で取り組むべきことだと思い、自分の店で食事が出来るようになれば、と2012年の夏から始めた活動。この「こども食堂」の取り組みは全国に広がり始めており、「こども食堂」の名付け親が近藤さんだと言われている。 >>詳細
平成17年に京都で設立され、食物アレルギーの子どもと保護者の居場所づくりや食事の心配をすることなく集まり交流できる機会を作り、食や子育てに関する相談や保護者への支援を行っている。また京都の人にアレルギーを学んでもらう講座「アレルギー研究会」、災害時に直面するアレルギーの子の食事問題を解決するため、災害支援ネットワークの構築を図る「災害支援」、子どもを遊ばせながら、母親は相談できる交流や学びの場としての「食物アレルギーサポートデスク」や全国初となる食物アレルギーに配慮した「つどいの広場」の運営、ニューズレター発行などの情報発信を行っている。これまでに運営にかかわったスタッフは5.60人。利用した母親は700名を超えている。 >>詳細
NPO法人 ワンファミリー仙台(宮城県)
宮城県仙台市を拠点に「世界は一つの家族(ワンファミリー)」という理念の下、2002年から地域で生活する路上生活者をはじめ身寄りのない生活困窮者たちを支援しようと①グリーンボランティア530活動②住居支援事業③無料職業紹介事業④農林水産研修・農産物販売事業⑤更正を支援する事業⑥情報提供事⑦生活相談事業⑧食料提供事業⑨飲食事業⑩震災復興支援活動を行っている。グリーンボランティア活動は、毎週水曜日の朝に仙台駅から七夕まつりが開催されるアーケイドを通り、市役所にかけて、生活困窮者が路上清掃を行い、それに対して200円と朝食を提供している。清掃活動は通算700回を超え、これまでに延べ22,700人が参加した。 >>詳細
住田 佳子(東京都)
東京都で平成2年から27年間にわたり保護司として活動している。担当して更生させ、世に送り出した人は少なくとも40件以上で、保護観察処分を受けて更生した人の結婚式に招かれた経験もある。また地元の西東京市で、近隣の住民と知り合うことで互いに助け合い子どもや高齢者を見守りが自然に生まれるような住みやすい楽しい街づくりをしようと「ひだまり谷戸」を平成14年に発足させ代表世話人を務めている。自分たちの地域を知る活動や「ひだまり喫茶」、絵手紙教室や歌声教室、子ども対象の「谷戸まつり」などを開催し、地域住民の連帯感高めている他、都の「こころの東京革命推進事業」が開催する「こころの東京塾」でチーフアドバイザーとして子どもの健全育成にも尽力している。 >>詳細
推薦者/内山 清一
特定非営利活動法人 宮前ふれあいの家(神奈川県)
不慮の事故や病気で身体に障がいを抱え、家に閉じこもりがちな人たちが、精神的な自立を取り戻せるようにと、松浦悦子氏が中心となり神奈川県川崎市宮前区に平成14年に設立された障害者地域作業所。松浦氏のご主人が病気で退職を余儀なくされ、その後再就職を目指し懸命に就職活動をしたが叶わず、「なんでもいいから何かさせてほしい」と役所に相談に行った際、同市高津区の作業所を紹介されて通ううちに、「宮前区にもこの様な場所を作ろう」と有志の人たちと準備し、開設までに困難はあったが誕生させた。地域の企業などから受注した部品の組み立てや製品の箱詰めなどの仕事を行っている。利用者は仕事がしやすいように工夫して手作りされた道具を使用して丁寧な作業を行っている。月曜日から金曜日9:30〜15:30まで14人の利用者で作業している。 >>詳細
推薦者/石山 絹子
花と一万人の会(茨城県)
茨城県下妻市(旧千代川村)の鬼怒川の美しい自然環境を地域づくりに活かそうと、1991年9月に設立。当時の千代川村の人口「1万人」を会の名称にして「ちょっと素敵なまちづくり」を合言葉に25年活動している。不法投棄のゴミ撤去から始め、河川敷の基盤整備が作業の大半で、資金も機械もない中で建設業を営む仲間が重機を、耕作作業は自前のトラクターを持ち込んで作業をした。荒廃していた鬼怒川河川敷を多くの花が咲き誇る「鬼怒フラワーライン」として整備した。多くの来訪者があり、毎年5月の第三日曜日に「花とふれあいまつり」を開催している。2015年9月の関東・東北豪雨水害では、鬼怒川の堤防が決壊し鬼怒フラワーラインは全面浸水し、土が流されたり、流木や漂流してきたゴミや土砂などが花畑にも散乱したが、下館河川事務所と協力して復旧作業を進めて今年の5月も「花とふれあいまつり」を開催された。 >>詳細
川口自主夜間中学(埼玉県)
公立夜間中学校の無い埼玉県で、1985年から川口市で始められた自主夜間中学。現在10.80代の男女約70人が学び、ボランティアスタッフ約30人。昨年30周年を迎え、これまでに1,000人以上に無料で学ぶ機会を提供してきた。毎週火曜日と金曜日の午後6時半から午後8時半まで市内の公民館などで教室を開催し、教科学習、日本語学習をする人のテーブルにわかれ、ボランティアスタッフが各テーブルに付いて学習のサポートをする。学ぶ人の7割は外国人が多く、また不登校や引きこもりの子ども、不登校で形だけ学校を卒業してしまった人が学び直しに来るなど、様々な理由で義務教育を終えられなかった人たち。この教室で最も大切にされている事は、ボランティアスタッフも生徒も「互いに学び合う」こと。自主夜間中学では中学校卒業資格を得られないことから、県内に設置されるよう、行政等への働きかけを続けている。 >>詳細
町田市民間交番運営委員会(東京都)
東京都町田市で、市内の治安を守り、地域住民と商店会などで自分たちの手で安心安全な町を築こうと、署名運動、市長への陳情など働きかけ、平成16年に町田市民交番「セーフティボックス・サルビア」を誕生させた。この民間交番は年末年始を除く360日間開所し(平成26年度)年17,475件の地理指導、迷子の世話、救急車の手配、警察への通報などの実績がある。同市の刑法犯認知件数は同16年は8,452件であったが、民間交番設立後は年々減少し3,382件となった。民間交番で地理指導などの業務を行ったことから、警察が本来の犯罪の予防や捜査に注力できるようになったことで改善されたと推測される。市内の治安は向上し、市全体のイメージアップに貢献したが、現在深刻な後継者不足と運営費の不足で閉鎖の危機に瀕している。 >>詳細
推薦者/町田市市民部防災安全課
丹沢 こと子(山梨県)
山梨県市川三郷町で39年間ほぼ毎月休むことなく町の広報紙の点訳をボランティアで行い、社会福祉協議会に納めている。旧市川大門町教育委員会が募集していた点字ボランティアに応募したのがきっかけ。週2回の講習を2年間受講し、点字を習得した丹沢さんは、これまで多くの絵本の点訳を完成させたほか、町広報紙「いちかわみさと」の点訳にも毎月欠かさず取組んでいる。「必要としている人は少ないかもしれないけれど、それでも楽しみに待ってくれる人がいる。その方のためにも頑張りたい。」と話し、93歳になった今でも、毎日点字タイプライターを打っている。 >>詳細
推薦者/市川三郷町役場
福岡市で行政とNPOが協働で里親普及を推進する取り組みが始まり、2006年に「NPO法人子どもの村福岡を設立する会」が設立され、2010年に同市西区今津に日本初の「子どもの村福岡」が開村された。子どもの村では里親が、家族と暮らすことができない子どもたちと一つの家に共に暮らして家庭を築いて村をつくり、「家庭環境」「専門的なサポート」「実親との連携」を柱に、地域とともに子どもたちを育てる。2014年6月に「NPO法人SOS子どもの村JAPAN」に名称変更し、活動している。
※「SOS子どもの村」は、1949年第二次世界大戦後のオーストリアではじまり、現在世界134の国と地域で活動している国際NGO。SOS子どもの村JAPANは正式に日本で唯一の加盟団体として承認され、加盟証が授与された。正式加盟団体としてのスタート地点に立った。 >>詳細
※「SOS子どもの村」は、1949年第二次世界大戦後のオーストリアではじまり、現在世界134の国と地域で活動している国際NGO。SOS子どもの村JAPANは正式に日本で唯一の加盟団体として承認され、加盟証が授与された。正式加盟団体としてのスタート地点に立った。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 日本音楽財団
大牟田 一美(鹿児島県)
鹿児島県屋久島の永田浜は北太平洋最大のアカウミガメの産卵地で、絶滅危惧種のアカウミガメ保護を介して砂浜を守ろうと昭和60年に「屋久島ウミガメ研究会」を発足し、同島でウミガメの生態調査・研究及び環境保全・啓発活動などを行っている。ウミガメの上陸シーズン中の上陸回数や産卵回数、子ガメのふ化状況などの生態調査、県内外に向けての情報発信を続けている。全国から集まるボランティアと協力して、見学者に対し、ウミガメについての啓発や、浜の清掃や松などの植樹を行い、ウミガメとウミガメが上陸する環境の保全を広く啓発するために「うみがめ館」の運営を行っている。 >>詳細
NPO法人 ポケットサポート(岡山県)
病気を理由に入院、または自宅で療養している子どもたちに学習支援や学校へ戻るための支援、当事者同士のコミュニティ作りなどを平成23年から岡山県で行っている。代表の三好祐也さんが、5歳のころから病気で入院し、義務教育の殆どを岡山大学付属病院にある院内学級で過ごした経験から、自身が岡山大学大学院を卒業後に設立した。岡山大学病院を拠点に院内学級と病床での学習サポート、長期入院を終え、自宅療養している子どもの家庭を訪問し学習と復学のサポート、学習支援事業に関わる学生ボランティアの育成、病気の子どもたちのための交流会や体験学習などのイベント活動を行っている。 >>詳細
NPO法人 札幌チャレンジド(北海道)
平成12年に任意団体として北海道札幌市に設立し、翌年NPO法人格を取得。障がいがある人(チャレンジド)にパソコンの技術の習得援助や社会参加、就労などの支援を行っている。パソコン講習から活動を始め、同法人で働いてもらう就労支援や企業への就労につなげる就職支援を行っている。就労支援では企業からの受注で、パソコン講習講師、画像処理、動画監視、データ入力、ホームページ作成など多岐にわたる仕事を請け負う。就職支援では、日商PC検定3級合格程度のパソコン技能の習得を中心にコミュニケーション講習、ビジネスマナー講習、履歴書の作成などを行い、企業などへ就職するためのサポートを行っている。平成27年度は5人が就職した。 >>詳細
「女性や子どもがのびやかで安心して自分らしく生きられる社会をめざして」を目標にDV被害の家族の生活保護や、自立に向けた活動へのサポートを平成4年から神戸市で行っている。同16年にDV被害者及び家族の一時避難所として開設されたシェルターは、公的機関の保護を受けられなかった女性や子どもの最後の砦となっており、これまでに261組を保護してきた。助けを求める相談の電話から面接を経て、必要に応じて弁護士や警察等への付き添い、シェルターへの緊急一時保護、その後の生活再建までの長い支援を行い、シェルターを出てからの就労準備支援や相談に応じるためのセンターの運営も行っており、シェルター利用者以外でも地域のシングルマザーが集う場所になっている。その他、女性に対する暴力を無くすための活動も行っている。 >>詳細
認定NPO法人 ロージーベル(宮城県)
宮城県で東北・北海道の少年院で放送されるDJ番組を制作放送する活動を行っており、番組を聞いた少年院の少年から寄せられる相談内容は出院後の不安に関するものが多いことから、出院後一時的にでも彼らの生活基盤を整えると共に、「帰る家」の必要性を感じ、平成20年に5ヵ年計画建設に向けて準備をスタートさせ、NPO法人化した。その間東日本大震災が発生し、急きょ少年らの受け入れが必要になったことから、借家にて運営を開始しました。これまでに行き場のない少年を31人受け入れ、家庭を伝えつつ、衣食住の提供、就職先の紹介や生活相談に応じ、更生を促し社会へ送り出している。少年たちをサポートする人材を養成するボランティア養成講座の開催も行っている。 >>詳細
岐礼さくら会(岐阜県)
岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲岐礼地区で平成4年に地元の中壮年12人で河川環境の整備や美化運動に設立された任意団体。岐礼谷川両岸の桜の植栽、紫陽花の植栽、河川の清掃、下刈り、枝払いなどを地道に続けてきた。桜や紫陽花の咲く季節には地域住民の憩いの場として小さな観光地となっている。活動資金は無く、すべて会員が個人で自前の機材を調達し行っている。平成元年の大型台風で岐礼谷川が決壊氾濫し大規模な被害を被り、4年近くかかった復旧工事が終わったことをきっかけに活動が開始された。 >>詳細
推薦者/堀口 賢一
社会福祉法人 太陽の家(大分県)
整形外科医の中村裕博士が昭和40年大分県別府市に創設した社会福祉法人。中村医師はスポーツを通じた心身のリハビリテーションを導入しようと、障がい者スポーツの普及に尽力し、様々な困難を経て日本初の身障者スポーツ大会の開催や世界大会への参加を通し、障がい者スポーツに対する世間の認識を改めさせ、その後東京パラリンピックが開催されるまでになった。しかし、中村氏は、障がい者には収入がなく、仕事をしたいと思っていることに気付き、彼らのための雇用の場を作ろうと「太陽の家」を別府市に開設した。その後オムロンと提携し共同出資会社、オムロン太陽株式会社が太陽の家の敷地内に設立され、多くの障がい者の雇用が可能になり、初年度から黒字を計上するまでになった。この成功にソニーやホンダ、三菱商事、デンソー、富士通エフサスといった大手企業も追随しはじめ、街に障がい者が多くなったことで地域の人々も協力的となった。現在太陽の家には、バリアフリーの住宅、トレーニングルーム、体育館、プール、温泉、障がい者が働くスーパーマーケットもあり、隣接する駅もユニバーサルデザインで銀行を含め全ての施設は障がい者にとって働きやすく暮らしやすい環境が整っている。 >>詳細
NPO法人てーねん・どすこい倶楽部(東京都)
東京都墨田区で、定年を迎えた人たちが主体となり、それぞれの経験や技能、趣味や特技を活かしたボランティア活動で、地域社会に貢献・参画して住みよい地域づくりを目指そうと、平成14年に結成されたNPO法人。シニア人材バンク部をはじめ様々な分野の部を設けて活動しているが、同20年から「すみだ日本語教育支援の会」と協働で行っている外国人介護従事者を対象とした日本語教育の支援活動は、受講者一人一人の目的に合わせ細部にわたる指導を行い国家試験合格者を輩出したり、厚生労働省へ介護福祉士試験の問題について、受験する外国人に配慮するよう要望書を提出するなどのバックアップ活動なども行い、地域の外国人介護従事者に欠かせない存在となっている。 >>詳細
多田 千賀子(兵庫県)
兵庫県姫路市内で美容院を経営しているが、平成19年ごろから知人や来店者から自殺や孤独死、認知症者の徘徊などの話を聞くようになり、その原因は、話し相手もない高齢者の一人暮らしの増加や、近所付き合いの少ない孤独な暮らしにあり、いずれは自分たちもその仲間になる恐れは明白だといった思いから、隣家の空き家店舗を購入し、”一日中いても100円”の「いきいきセンターみんなの広場(以下広場)」を平成20年に開所した。広場では利用者の意見と情報を参考に様々な教室を催したり、市から不要になって譲り受けた卓球台を設置したところ、子どもと高齢者の卓球交流が盛んになったり、うつ病や認知症の人が人とコミュニケーションをとることで症状が軽くなるといった効果がみられている。 >>詳細
推薦者/永嶺 静昭
池上 千寿子(埼玉県)
幼少期や進学時に「女のくせに…」と投げかけられた性差別発言が起因となり、国内やアメリカで女性史やセクソロジーを学び、タブー視されがちな、人権にまつわる「性」の問題に取り組み、世の中の性に関わる定説は「思い込みと偏見である」と執筆や翻訳、社会活動を通じ「性」についての啓蒙活動に取り組んでいる。1982年ハワイ大学「性と社会太平洋研究所」に所属、アメリカ本土でエイズ発見によるパニックと差別報道に接しアトランタで開催された第1回国際エイズ会議に出席し、ハワイエイズNGO活動に参加以来「性・社会・エイズ」をテーマにしている。1994年にNPO「ぷれいす東京」を設立し、種々のプログラムやトレーニングの実践を始め、アジアで初の国際エイズ会議開催に尽力した。HIV陽性者への直接支援を中心にコミュニティや行政、医療と信頼関係を気づきながら「研究と研修・直接支援・予防啓発」を掲げ活動している。 >>詳細
推薦者/武井 優
矢澤 健司(東京都)
長男と次女が難病を抱えていたことから、1991年に障害を持つ子の両親が働けるように、子どもたちの放課後や休暇中の居場所となる「自主保育グループかるがも」を作る。2002年からは「NPO法人たすけあいぐるーぷぬくもり」で理事長を務め、訪問介護サービスなどの支援を行っている。また一般社団法人日本筋ジストロフィー協会副理事長を務め、インターネットの発達以前から筋ジストロフィー患者によるパソコン通信研究会を発足させ、同患者のコミュニケーションや最新医療情報の収集及び訪問診療の実施などQOL向上と社会参加のために研究、提案などの活動を行っている。 >>詳細
推薦者/一般社団法人 日本筋ジストロフィー協会
滝口 仲秋(千葉県)
30代半ばで難病を患い、下半身の機能を失って車いす生活となった。千葉県夷隅郡御宿町で平成12年から車いすユーザーの視線で近隣市町村の公的・私的施設のバリアフリー調査を続け、6冊の福祉マップを作製し、さらに他市町村・学校等の福祉マップづくりに協力した。同町の町道・公共施設の設置・改善に当たり、バリアフリー化の視点から関係者に提言することもある。当初は同町だけを調査する予定だったが、夷隅郡全体に広げて調査を続け、マップ作りを行ううち、協力者やマップの希望者も増え、町民のバリアフリー化への意識が高まったり、交通弱者が自力で出入りできる施設が増えた。 >>詳細
推薦者/田辺 義博
特定非営利活動法人 珊瑚舎スコーレ(沖縄県)
代表の星野氏は埼玉県の自由の森学園という、競争に頼らない個性を伸ばす理念を基本に設立された私立中・高学校の校長を長年務め、退任後沖縄に移住し、もう少し小さな学校を作りたいと、2001年にフリースクールとして開校した。ゆくゆくは夜間中学も開校したいと思いっていたが、墨田区の夜間中学のドキュメンタリー番組“こんばんは”の制作に携わった先生から、「沖縄には戦争や貧困で義務教育を受けられなかった高齢者が多くいて、彼らには時間がないから、一刻も早く夜間中学を作ってほしい」と懇願され、2004年に設立を宣言。それが沖縄のテレビやマスコミに取り上げられ、強力な後押しとなって、20名の定員を超える応募があった。そこからこれまで14年間、戦中戦後に学齢期だった60.80歳を中心に、156人が入学し71人が卒業し、1/4は高校に進学している。毎週月曜日から金曜日、午後6時から9時まで、毎日3時間、9教科を教え、修学旅行もある全国唯一の自主夜間中学。 >>詳細
岐阜県立岐阜高等学校 自然科学部 生物班(岐阜県)
野生生物の保全に関する対策や、生理学及び生態学の研究に日頃から積極的に取り組んでいる。平成8年に顧問の高木教諭が、全国的にも希少なカスミサンショウウオを岐阜市内で確認し、平成18年から自然科学部生物班として岐阜市や岐阜大学等の研究機関と連携し、保全対策を進めている。保全対策としては、卵のうの保護及び飼育、生息地への放流等を行っている。生息地で確認された卵のうは平成19年には、6対ほどであったが、平成28年までに個体の放流を行い、平成28年には、過去最高の58.5対の卵のうが確認されるまでになった。生息地が市内に1ヶ所しかなく、環境変化による消失を懸念し、平成20年からは、2ヵ所の生息域外保全地にも放流を行っており、自然繁殖していることが確認されて、経過は順調である。保全対策以外に研究発表や地域住民を交えた放流イベント等周知啓発の活動にも力をいれている。 >>詳細
推薦者/岐阜市長 細江茂光
NPO法人 クックルー・ステップ(福岡県)
平成17年に福岡市で、重複障がいを抱える男児を持つ古賀裕子さんが同じく障がい児を持つ親たち6人と共に設立した団体。同19年に障がい福祉サービス事業所を開設し、自宅にヘルパーを派遣する居宅介護、放課後や長期休暇に障がいを持つ子どもたちの居場所となる放課後等デイサービスを行っている。日常生活動作の指導や集団生活への適応訓練の療育の場であり、障がい児を抱える親の一時的な休息や就労支援、学校との連携についての相談なども行っている。古賀さんらは障がい児・者を「可能性を秘めた人たち」という意味の「チャレンジド」と呼び、親たちが様々な情報を共有し合うことで、みんなで支え合い子どもたちの成長を喜べるよう活動を続けている。 >>詳細
一般社団法人 海っ子の森(三重県)
三重県南部紀北町の一部の海では、海藻の森が無くなり、海底の岩場がむき出しになる砂漠化した「磯焼け」と呼ばれる状態で生物多様性が失われている。この状態を知って2004年から鳥羽市水産研究所の指導・協力を得て、漁協者および市民の参加によりこの問題の解決に取り組み始めた。主な活動は自然石に海藻の苗を取付け岩場に設置する「鳥羽工法」と呼ばれる植樹技術で海藻を育成している。2010年には組織を一般社団法人化し、山の環境保全が海藻の育成にも有用なことから、山の環境保全活動も併せて行っている。 >>詳細
平成21年に広島市で「生活困窮者に人間らしい生活と労働の保障が実現するよう」法律家や市民が連携し、行政などへ政策提言や意見表明を行い、多重債務や生活保護問題への相談や路上生活者等のため緊急一時宿泊所の運営を行おうと発足した。現在同市内に11室のシェルターの運営を行っており、平成28年12月時点で999名が利用した。しかし、シェルターを出た後の住居探しには「連帯保証人」や「緊急連絡先」が必要なことから困難であるため、部屋探しの手伝いも行っている。シェルターを利用する人は生活保護を初めて受ける人が多く、シェルターを出て住居を構えられても生活の困窮が続くことが多いことから、こうした人たちが孤立しないようにサポートする憩いの場「ほっとサロン」を運営し、食事会の開催や話し相手になるなどの活動も行っている。 >>詳細
推薦者/中本 忠子
社会福祉法人 仙台いのちの電話(宮城県)
1982年11月1日に全国15番目のセンターとして仙台市で開局し、電話を通じて相談者の心に寄り添い、一筋の光をともに探し求め、生きることの大切さをともに考え、悩みを共有する地道な活動を継続している。1997年より24時間365日相談を開始し、2000年から相談員を養成する研修担当者の養成講座を開始し、2015年までに594,657件受信している。また、2006年10月からは自死遺族支援わかちあいのつどい「すみれの会」を開始し、来談者448名、2009年12月からは若者を支える「インターネット相談」を開始し、2,964件相談を受けている。東日本大震災後は、辞任・休止の相談員が増え相談員養成の講座の参加者が減少しているが、そのような状況でも志を持った新たな相談員が誕生している。事業案内、広報紙、ホームページ、リーフレット、講師派遣、無料の公開講演会、講座を開催し、幅広く市民の方々に活動の周知、理解と協力を呼び掛けている。また、他の相談機関との連携を図って、自殺予防の活動を行っている。 >>詳細
推薦者/広瀬川倶楽部 坂上満
大山の頂上を保護する会(鳥取県)
鳥取県大山町で、大山の自然環境を再生させる取り組みを行っている。大山は昭和40年代に始まった観光ブームで頂上登頂が盛んになるにつれ、高山植物群が踏み付けられて後退を始め、60年ごろには裸地化し、地表は雨や霜、雪にさらされ、土壌侵食が進んで容積およそ290㎥、所要土石量400トンに及ぶ深い浸食溝が形成され危機的な状況になった。これを見てきた地元の人々が昭和59年に官民合同の現地調査を実施して復元への行動を開始し、翌年に「大山の頂上を保護する会」が結成され「一木一石運動」が始まり、植栽事業と浸食溝の埋め戻し事業、登山者への理解と協力を呼びかけ、現在山頂区域のほぼ全面に多種類の植物を復元し、浸食溝の大半を埋め戻すことができた。 >>詳細
推薦者/桝水自治会
NPO法人福岡すまいの会(福岡県)
福岡市内のホームレスに対し炊き出しでの相談支援等を2002年からスタート。彼らと話をする中で、受給できるはずの年金が受け取れない人、年齢や障害等で生活保護を受ける必要がある人、皆住所が無いゆえ受給できないと判明した。そこで、今の生活を抜け出す為には、「ハウジングファースト(まずは住まいから)」と理念をかかげ、無償の保証人活動や、民間不動産を利用した入居支援などの住居支援を柱に、活動を開始した。当初は個人的な立場で入居者の保証人になると、問題が次々と発生したことから、2003年に団体を法人化してリスクを回避するため団体で部屋を借り上げている。家賃は利用者から団体が徴収する仕組みで、高齢者が多いことから、月に1度の集会と彼らを見守る管理人を常駐させ、近隣ではお互い見守りを行っている。この他に就労支援活動も行っており、福岡市の委託事業として就労自立支援センターを運営し、昨年は108名が利用した。また、電話・対面による相談にも応じる活動や、「喫茶昭和じかん」という、昭和の内装・価格を再現した月1回のイベント喫茶店で二人分を注文して一人分を誰かのために保留しておくこともできる保留システムを取り入れて、誰でもご飯が食べられる場所を目指して活動している。 >>詳細
新宮山彦ぐるーぷ(和歌山県)
和歌山県新宮市で昭和49年に結成された会員数約50名の自然保護団体。紀伊半島を縦断する「大峯山脈」には、「大峯奥駈道」と呼ばれる修験の道があったが、明治維新後の神仏分離令・修験道廃止令により長期にわたって藪に閉ざされ荒廃化が進んでいた。こうした大峯奥駈道の惨状を目の当たりにし、その豊かな自然環境、文化的な景観を保護・保全し後世に伝えようと、昭和59年から32年にわたり、延べ1,600回以上環境整備に取り組んできた。 >>詳細
推薦者/和歌山県
鈴木 都(兵庫県)
長女がダウン症として誕生したことが、その後の人生を賭けた事業に打ち込むキッカケとなった。1971年から夫の仕事で5年間、家族でアメリカで生活することとなり、日本とアメリカの障がいをもつ子どもに対する人々のまなざし、関わり方、取り組みの違いに目を開かれた思いになり、福祉の原点を学んだ。帰国後、神戸市垂水区に1983年、作業所「ホーム塩屋」を開設。(2002年に社会福祉法人となる。)その後1993年に小規模作業所「くがの家」、2001年に小規模作業所「フレンズたるみ」を次々と開設し、知的障がい者が働くことや、自立への道を手探りで進めていく。作業所の活動を通して、利用者の老後をサポートするグループホームを2003年にグループホーム「もも」(5人入所)、2013年にグループホーム「風韻」(6人入所)、2014年にグループホーム「風花」(5人入所)をそれぞれ開設し現在16人が生活している。また、知的障がい者の芸術活動にも力を注ぎ、1989年に音楽グループ「コスモス」を結成し、毎年各地で公演している。1996年カナダの人形劇団「フェイマス・ピープル・プレイヤーズ(FPP)」を日本に招き、FPP日本代表とし以後10年にわたり全国での公演を実現させたことで知的障がい者へのイメージを変え社会啓発に貢献し、各メディアで紹介されて多くの人々に障がい者の姿を再認識させるとともに、いくつかの自治体では障がい者がプロとして芸術活動を行うきっかけ作りとなった。この公演の収益で1997年に「可能性の芸術協会」を設立し、障がい者の芸術活動を支援、アーティストを輩出してる。 >>詳細
推薦者/橋本 明
矢満田 篤二(愛知県)
愛知県児童相談所の児童福祉司として着任した昭和57年から「予期しない妊娠出産で育てられない赤ちゃんにも家庭が必要」との信念で、「産院から乳児院などへの直送状態は社会的養育放棄だ」と児童相談所長などの危惧や反対を説得して、赤ちゃんを産院から直接、養子縁組を前提で養父母へ託した「赤ちゃん縁組」は、その後、県内の全児童相談所の「愛知方式」として定着し、平成23年、厚生労働省は、愛知県の「新生児里親委託の実際例」を全国に通知し、福岡市、兵庫県など各地に広がりを見せている。 >>詳細
中川原町連合町内会(兵庫県)
兵庫県洲本市で、20年前の阪神大震災で苦難を経験した聴覚障がい者の人たちが自ら立ち上がり「特別養護老人ホーム淡路ふくろうの郷」を開所。開所当時はもちろん以降も地元代表として応援、交流を重ねてきた。平成23年に淡路ふくろうの郷からほど近くにあり、70年近い歴史を持つ同市立中川原中学校が閉校されることとなり、中川原町連合町内会はプロジェクトチームを発足。校舎の再活用について検討をかさね、「淡路ふくろうの郷」との協働のもと、地域の福祉拠点作りの要望を同市に提出した結果、同24年に高齢者や障がい者、全ての世代の交流の場、助け合える地域づくりができるように願いの込められた「ふれあいセンター」が誕生した。同施設内では、交流スペースとなる「ふれあい広場桜ヶ丘」だけではなく、地域の困りごとは地域で支え解決していく有償ボランティア活動である「おたがいさま中川原」活動を町内会が主となって行い、ふくろうの郷がサポートしている。またそれ以外にも聴覚障がい者・地域住民の生活を支えていく4つの事業を展開している。 >>詳細
推薦者/及川 リウ子
聖明福祉協会・盲大学生奨学金事業(東京都)
東京都青梅市で盲老人福祉施設「社会福祉法人聖明福祉協会」を運営する本間昭雄氏が昭和44年に盲大学生のために創設した日本で唯一の盲大学生のための育英資金制度。本間氏は自らが20歳で失明し、十分に勉強できなかったことで、同じ悩み、苦しみをもった人たちが大学へ通い、将来活躍できる人に育ってほしいと制度を設けた。これまでに207名の盲学生に奨学金を貸与してきた。今年で48年目を迎える。 >>詳細
推薦者/酒井 久江
社会福祉法人 温友会 いずみ通所センター(大阪府)
大阪府高石市で昭和53年から松若和子さんが自宅を開放して障がいのある人のための授産施設を開設し、同59年に認可された。現在80名の園生が送迎バスにより通所し、10社以上の企業から受注した製品の袋づめや箱の組み立てなどの仕事に励む。また保護者の相談に乗ったり、野外活動や旅行会も行うなど、障がいを持っている人たちが人権を尊重され、ひとりの人間として住み慣れた場所であたりまえの生活を送ることができるよう「生きがいと夢が持てるような生活」の実現を目標に活動している。 >>詳細
推薦者/石川 周子
生田 武志(大阪府)
人口密度、ドヤ(簡易宿泊所)の数、結核の罹患率、救急車の出動回数などで日本一、また日雇い労働者、野宿者の人数も日本で最も多い大阪市西成区の釜ヶ崎(別称「あいりん地区」)に大学時代から関わり、「どんな悲惨な状況でも、人には尊厳がある」と、卒業後はこの街で自ら日雇い労働をしながら野宿者を中心に夜回りによる声掛け、生活保護受給者の同行申請、市と交渉、仕事や病気の相談、電話相談など、30年間にわたり支援活動を続けている。 >>詳細
社会福祉法人 アンサンブル会(長野県)
自身の娘が生来性の知的障がい者であったことを契機に、障がい者の支援事業を始めて15年。知的障がいのある人たちの有意義な社会参加と自立を目標に、4ヵ所の日中活動の場と15棟のグループホームを運営。110名の職員が昼夜にわたる一貫した支援を行うことにより、町の中、市民社会の中で障がいのある人たちが人生を送ることを実現。独創的な仕事を作り出しながら、障がい者の経済的な自立も同時に達成し、「親亡き後」という保護者の最大の悩みに終止符を打つ。 >>詳細
さいもんめ(京都府)
昭和38年に設立され、今年53年目となる大学のボランティアサークル。当初は京都大学の学生が自転車で京都の寺院等をサイクリング旅行する活動をしていたが、メンバーから「福祉」「ボランティア活動」をしたいと言う意見があり、同市内の児童福祉施設を自転車で回り活動を行うという形へと変化していった。現在は、主に京都大学・京都女子大学・立命館大学等の大学生約150名が所属し活動しており、京都市内の母子生活支援施設にて、児童に遊びの場の提供や学習支援等の活動を提供している。「さいもんめ」が活動している母子生活支援施設には両親のDV問題や、児童虐待等の理由により、抑圧された生活を余儀なくされた子どもたちが多く入所している。毎週定期的に施設に来所し、遊びや学習支援の活動を通じて、子どもたちが安心して関わる事の出来る相談相手となり、心のケアにおいて欠かせない存在となっていまる。また、入所児童だけでなく、退所し地域で生活する子どもたちや、地域のひとり親家庭の子どもたちにも、学習支援等において関わりを持ち、季節のイベントなども行い子どもたちに寄りそい、頼れる存在として活動している。 >>詳細
推薦者/京都母子生活支援施設協議会 会長 芹澤 出
一般社団法人 日本聴導犬推進協会(埼玉県)
2000年3月に日本で初めて「聴導犬」を導入した日本小動物獣医師会から独立し、聴導犬の育成と普及を目的に設立された組織。聴導犬とは聴覚障がい者の生活を安全で安心できるものにするために、生活で必要な音を聴覚障がい者にタッチして知らせ音源に導く身体障害者補助犬で、盲導犬に遅れること約150年、1975年アメリカで一人の聴覚障がい者が自分の犬を音に反応するようドックトレーナーに訓練してもらったことから始まった。2017年1月現在は日本国内聴導犬の実働数67頭、盲導犬と比べると圧倒的に少ない。聴導犬希望者は1万人以上いると推測されている。聴導犬の存在を多くの人に知ってもらうため、年間120件以上のイベントを行い普及活動を行っている。 >>詳細
推薦者/熊谷 秀之
昭和21年に戦災孤児を救済するために、カトリック・クリスト・ロア宣教修道女会のシスターが埼玉県下に設立し、70年を迎える。昭和24年に保谷市(現在の西東京市)へ移転し、これまでに1,000名以上の子どもたちを養護してきた。社会状況の変化とともに、虐待を受けた子どもなど、心に深い傷を持つ児童の入所が増える中で、国が目指す家庭的養護と個別化を積極的に推進し、社会的にも難しい中で先駆的に手厚いケアに取り組んでいる。創立70年を迎える現在に至っては、緑を大切にしながら施設の改築を進めて敷地内には7つの小規模グループケアを設け、市内の住宅地にはグループホームが3施設あり、地域住民との適切な関係を保持しつつ、家庭的な生活の場での養護を実現している。平成20年には、治療的養護機能を組み込んだ専門機能強化型児童養護施設の指定を受けて、専門職員等の配置など手厚い支援ができる体制等を整備し、精神科医師・心理士・ケースワーカーなどが協働して治療的・専門的ケアをすすめている。同時に自立訓練棟を設けて、金銭管理や生活の管理、健康管理を自分で行い、施設を出た際に自立生活が行えるようにしている。地域の子育て支援の拠点としては、子育て支援ショートステイ事業の運営や要保護児童対策地域協議会の研修講師などを担い、児童虐待防止策へ質の高いサービスを提供している。 >>詳細
田中 元介(神奈川県)
神奈川県川崎市で、自らのうつ病克服までの経験を活かそうと、平成20年に「うつ病支援の会あさお」を設立し、「GENさんのつどい」「個別相談」「学習会」などを通じてうつ病の方々に寄り添い、うつ病に対する理解者、支援者が増えるように尽力している。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 かわさき市民活動センター
特定非営利活動法人 チームふくしま(福島県)
東日本大震災発生後、その年の5月から現在も継続して福島県で復興支援活動を行っている。全国と福島をひまわりで結ぶ「福島ひまわり里親プロジェクト」を行っており、2011年5月のスタートから今年で5年目を迎える。全国でひまわりの種を購入し、育て、花を咲かせ、採れた種を福島に送り返す。この全国のひまわりを福島県内に配布、花を咲かせ、福島で採れた種を搾油、最終的には福島市を走る福島交通のバスのエネルギーの一部として活用する。日本全国で累計20万人以上が参加、参加教育団体数は累計1,500校を越えた。2015年は、福島県内3万袋以上を配布。市有地の公園や、小中高、大学、教育委員会などの教育機関、観光地で、全国から届いた種が育てられている。 >>詳細
推薦者/佐久間 辰一
井本 勝幸(ミャンマー)
日本国際ボランティアセンター(JVC)などで、ソマリア、タイ、カンボジア国境地域で難民支援に関わってきた経験を持ち、ミャンマー政府との同国内少数民族武装勢力らとのあいだで長引く停戦・和平交渉のなかで疲弊する避難民の惨状を目にし、2011年から同国の和平問題に携わってきた。歴史的・文化的事情の違う各武装勢力らが一丸となってミャンマー政府と交渉できるよう、各武装勢力リーダーを自ら訪ね、説得を試み、主要21武装勢力のうち11グループらで構成された統一民族連邦評議会の設立に協力、ミャンマー政府と同勢力らの交渉が円滑に進むよう大きく貢献してきた。また武装勢力らと仕事をともにする中で、武装勢力地域には今もなお第二次世界大戦中亡くなった多くの日本兵のご遺骨があることを聞き、彼らの協力を得ながらご遺骨の収集、帰国活動を行っている。。日本政府としても約40年前にミャンマーでのご遺骨収集作戦は実施していたが、地理的にも醸成的にもアクセスが限られていた武装勢力地域における作業は実施されていなかった。さらに、同じ仏教でもご遺骨は不浄のものという考えを持つミャンマー人にとって、ご遺骨収集・帰国活動に対する理解は得づらい。しかしながら、ミャンマー和平のために多大な協力をしてきた井本氏の活動であるならば協力をしたいという武装勢力およびその地域住民の協力もあり、同活動の実施が可能となっている。 >>詳細
田中 幸子(宮城県)
2005年に長男の自死を経験し、生きて行くことがつらいほど孤立感が酷く、同じ思いの遺族に会って話しがしたいと思い、当時日本で初めての、自死遺族による自死遺族のための自助グループ「藍の会」を発足した。マスコミに多く取り上げられ、自死遺族は堰を切ったように全国津々浦々から同会に参加し、2008年には「全国自死遺族連絡会」が発足し、相互扶助の精神で全国の遺族がそれぞれの地域で活動をしている。自死遺族という経験から見えた、人が生きて行くために必要な支援を構築するのために、自死の予防や防止の活動にもカを注ぐ。東日本大震災後は子どもを亡くした親の会「つむぎの会」の活動を被災地にも広げ、津波で子どもを亡くした親も多く参加している。遺族自身が元気に生きていけるように24時間365日休みなく相談を受け付け、年間の相談件数は自死遺族以外からの相談も含めて(手紙・メール・個人面談・集い・電話)延べ1万件ほどになる。 >>詳細
推薦者/広瀬川倶楽部 坂上 満
静岡県浜松市で、故荒岡憲正氏が重症心身障がい児施設の創設にかかわったことから、1976年に障がい幼児の早期療育の場として小児科や整形外科などの診療所を併設した「浜松こども園」を私財を投じて開設。障がい児を抱える親たちの望むものをアンケートを取って調査し、感覚統合療法やムーブメント療育(運動をとり入れて体と心を育てる)を行うためのグラウンド、音楽を楽しむためのホールやおもちゃ図書館を備えた児童のデイサービス事業を開設した。成長した障がい者には、小規模授産所や生活寮をはじめとして、社会福祉法人遠江学園設立にもこぎつけた。1万6千人を越えるボランティアの有形無形の助力とともに40年の長きにわたって、障がい児を持つ親たちの希望を叶え、社会自立を目指した施設を充実させ、障がい児福祉に尽力している。憲正氏の遺志は息子の故・荒岡正宏氏に受け継がれたのち、憲正氏の妻倫子氏に引き継がれている。 >>詳細
推薦者/馬塚 丈司
公益財団法人 どうぶつ基金(兵庫県)
昭和63年横浜で設立され、殺処分される犬猫の状況を改善しようと、見捨てられた犬や猫の保護と里親探しを行い、猫の不妊手術(さくらねこTNR)を全国各地で行っている。28年目の平成26年度には8,262匹の猫の不妊手術を行った。また、世界自然遺産登録を目指す鹿児島県徳之島では絶滅危惧にあるアマミノクロウサギを猫が捕食している事が発覚、どうぶつ基金では徳之島に住む推定3,000頭の猫すべてに不妊手術を施してウサギも猫も殺さずに生物多様性を守る共生プラン「徳之島ごとさくらねこTNRプロジェクト」を立ち上げ獣医師団を派遣、すでに2,136頭の不妊手術を終えた。 >>詳細
推薦者/Atsushi Ohata
奨励賞の贈呈
- 顕著な活動の発展や拡大を継続中の過去の受賞者に、毎年1件奨励賞を贈呈しています。
高島法子/榎本恵子(NPO法人チャレンジャー支援機構)(平成27年度受賞者)
「業務用オーブンの購入」
「パン工房ノアノア」(障がい者就労支援の多機能型事業所)に新しいオーブンを導入し、安定したパンの生産をすることができるようになりました。