社会貢献の功績
鈴木 都
長女がダウン症として誕生したことが、その後の人生を賭けた事業に打ち込むキッカケとなった。1971年から夫の仕事で5年間、家族でアメリカで生活することとなり、日本とアメリカの障がいをもつ子どもに対する人々のまなざし、関わり方、取り組みの違いに目を開かれた思いになり、福祉の原点を学んだ。帰国後、神戸市垂水区に1983年、作業所「ホーム塩屋」を開設。(2002年に社会福祉法人となる。)その後1993年に小規模作業所「くがの家」、2001年に小規模作業所「フレンズたるみ」を次々と開設し、知的障がい者が働くことや、自立への道を手探りで進めていく。作業所の活動を通して、利用者の老後をサポートするグループホームを2003年にグループホーム「もも」(5人入所)、2013年にグループホーム「風韻」(6人入所)、2014年にグループホーム「風花」(5人入所)をそれぞれ開設し現在16人が生活している。また、知的障がい者の芸術活動にも力を注ぎ、1989年に音楽グループ「コスモス」を結成し、毎年各地で公演している。1996年カナダの人形劇団「フェイマス・ピープル・プレイヤーズ(FPP)」を日本に招き、FPP日本代表とし以後10年にわたり全国での公演を実現させたことで知的障がい者へのイメージを変え社会啓発に貢献し、各メディアで紹介されて多くの人々に障がい者の姿を再認識させるとともに、いくつかの自治体では障がい者がプロとして芸術活動を行うきっかけ作りとなった。この公演の収益で1997年に「可能性の芸術協会」を設立し、障がい者の芸術活動を支援、アーティストを輩出してる。
この度は名誉ある賞を賜り誠にありがとうございました。
当日各方面で素晴らしい活動をされている方々とご一緒に受賞いただき感激いたしました。
私は、娘がダウン症として生まれてきたことがきっかけで福祉に携わってきました。
娘が生まれた50年前の日本は、今と比べようもないほどで偏見に満ちていました。障がいは「うつる」と信じている人もいました。さらに知的障がい者は何も出来ないと思われていた時代に、娘はいろんなものに興味を示し、自ら挑戦し、あきらめることもなく最後までやり遂げる根気がありました。音楽、スキー、水泳などいろんなことを楽しみながら成長しました。障がい者は何も出来ないと思われていた常識を打ち破りました。そして娘は音楽グループを結成し、「可能性の芸術」協会を設立のきっかけとなりました。このことは5年間のアメリカ生活で娘が受けた「良いところを伸ばして褒めて育てる」教育に大きな影響を受けました。
私は娘から多くのことを学びました。障がい者には一人一人に隠れた才能があると私は確信しました。いろんな体験を通し個性を引き出し、人として充実した人生を送るよう環境を整えることが私の使命となりました。
そして親の願いである自立した生活を送る目的のグループホームは、平成15年に実現し現在3ヶ所で作業26名のうち16名の方が親から離れて自立した生活を送っております。
長年の私の夢は実現し、私の役目は終えました。ところが娘は親の私より早く老化が始まり、その現実に私は戸惑うばかりです。
この賞を励みに今後も障がい者側に寄り添って歩んでゆきたいと思います。
私を支えて下さいました大勢の方々に感謝の気持ちと財団のますますのご発展を心よりお祈りいたします。