社会貢献の功績
矢満田 篤二
愛知県児童相談所の児童福祉司として着任した昭和57年から「予期しない妊娠出産で育てられない赤ちゃんにも家庭が必要」との信念で、「産院から乳児院などへの直送状態は社会的養育放棄だ」と児童相談所長などの危惧や反対を説得して、赤ちゃんを産院から直接、養子縁組を前提で養父母へ託した「赤ちゃん縁組」は、その後、県内の全児童相談所の「愛知方式」として定着し、平成23年、厚生労働省は、愛知県の「新生児里親委託の実際例」を全国に通知し、福岡市、兵庫県など各地に広がりを見せている。
卑小な我が身は別として、素晴らしい社会貢献をされている全国の皆さまのご活躍を知る機会を与えてくださった主催財団に、心から厚くお礼を申し上げます。
中でも、ミャンマーの国内平和に尽力されている井本勝幸様に初めてお会いして感動しました。井本様は、対立している軍事政権側と少数民族自衛勢力側の双方から信頼を受けて活動しておられ、さらに、この地に眠る第二次世界大戦の無謀な作戦による多くの戦没者たちの遺骨を収集して故国への帰還促進にも献身されていて、日本政府・厚生 労働省からも信頼されている方です。早速、購入したご高著『ビルマのゼロファイター』を一気に読み終えて感動しました。将来のノーベル平和賞候補者を予感しました。
それに比べれば、私などが細々と行ってきた、「愛知方式・赤ちゃん縁組」など、とても比較にもなりませんが、ご指示に従い、概要を説明いたします。
私は愛知県職員として、昭和57年4月、児童相談所の児童福祉司に着任して、初めて乳児院を訪問したときの衝撃が記憶に鮮明です。若年レイプ被害、結婚詐欺などによる出産で、生みの母親が育てられないため収容・保護された乳幼児さんたちが、相手かまわず、必死に愛情を求め続ける表情に衝撃を受けました。
そこで、国内で唯一、愛知県産婦人科医会が行っていた「赤ちゃん縁組無料相 談」を知って教えを受け、それをモデルに児童相談所の業務に採り入れ、不妊治療に絶望していた夫婦に、養子縁組で赤ちゃんを託す、「新生児養子縁組・里親委託」を開始しました。
結婚しても待望の子に恵まれない夫婦が、産院で生みの母親の同意を得て、名付け親にもなり、生まれたばかりの赤ちゃんを初めて抱き上げて、涙を流す場面は感動的です。
同じく、産みの母親は、子どもを手放す罪の意識が養父母からの感謝でぬぐい去られ、暗かった表情は明るく変化します。特に、女子中・高生の妊娠ケースでは、娘の将来を悩む両親に養子縁組候補夫妻の存在を伝えると、親子共に安堵感を示していました。
近年、私は子どもの虐待防止に取り組む名古屋のNPO団体に協力して、日本財団などから支援を受けて「赤ちゃん縁組伝達講習会」を開催し、参加した各地の児童相談所職員から、初めて赤ちゃん縁組に取り組んで成功した喜びの報告が届いています。