社会貢献の功績
社会福祉法人 太陽の家
整形外科医の中村裕博士が昭和40年大分県別府市に創設した社会福祉法人。中村医師はスポーツを通じた心身のリハビリテーションを導入しようと、障がい者スポーツの普及に尽力し、様々な困難を経て日本初の身障者スポーツ大会の開催や世界大会への参加を通し、障がい者スポーツに対する世間の認識を改めさせ、その後東京パラリンピックが開催されるまでになった。しかし、中村氏は、障がい者には収入がなく、仕事をしたいと思っていることに気付き、彼らのための雇用の場を作ろうと「太陽の家」を別府市に開設した。その後オムロンと提携し共同出資会社、オムロン太陽株式会社が太陽の家の敷地内に設立され、多くの障がい者の雇用が可能になり、初年度から黒字を計上するまでになった。この成功にソニーやホンダ、三菱商事、デンソー、富士通エフサスといった大手企業も追随しはじめ、街に障がい者が多くなったことで地域の人々も協力的となった。現在太陽の家には、バリアフリーの住宅、トレーニングルーム、体育館、プール、温泉、障がい者が働くスーパーマーケットもあり、隣接する駅もユニバーサルデザインで銀行を含め全ての施設は障がい者にとって働きやすく暮らしやすい環境が整っている。
この度は、社会貢献支援財団より栄誉ある賞を賜り、心より感謝申し上げます。振り返れば、創設者の中村裕が尽力して1964年に開催された東京パラリンピックの翌年、「No Charity but a Chance!(保護より機会を!)」を理念に障がい者の働く場として、中村裕は太陽の家を設立しました。
自転車操業の苦しい時代を経て、創設から7年後の1972年に立石電機株式会社(現オムロン)創業者の立石一真氏のご理解とご支援を得て、初めての共同出資会社、オムロン太陽株式会社を設立しました。これをきっかけに、ソニー、ホンダ、三菱商事、デンソー、富士通エフサス、本田技術研究所と共同出資会社を設立しました。それぞれの会社では、障がい者と健常者がほぼ半数在籍し、一緒に働こうという理念を持っています。創設から間もない頃は、障害者雇用促進法、特例子会社法など障がい者の雇用を促進する法律が未整備の時代でしたが、オムロンの立石一真氏、ソニーの井深大氏、ホンダの本田宗一郎氏などは、障がい者も働いて税金を納めるべきだという太陽の家の考え方に共感し、出資していただきました。
太陽の家は、現在大分県別府市、日出町、杵築市、大分市、愛知県蒲郡市、京都府京都市に事業本部があります。2016年現在、共同出資会社8社と協力企業までも含めると、約1,200人の障がい者・高齢者と、約700人の健常者、計約1,900人が共に働き、生活しています。
太陽の家の本部がある別府市亀川は、住宅街の町です。敷地内には、スーパーマーケット、銀行、クリニック、スポーツセンター、温泉(公衆浴場)などがあります。また、周辺には、駅や居酒屋、パチンコ店があり、太陽の家は、障がい者も健常者と共に生きる共生社会の実現を追及し実践しています。人口10数万人の市で、世帯も含めれば2千人を超える人々を、経営者は大事な顧客として捉え、進んでバリアフリー化しています。
太陽の家の就労訓練部門では、1980年代より職能的に重度の障がい者の受け入れを積極的に行ってきました。さらに、ADL全介助の障がい者も受け入れる生活介護施設を80年代の終わりに設立しました。2000年に入ると、日本は人口減少高齢化社会を迎え、核家族化が進み、地域社会の崩壊が顕著になってきました。社会から取り残され「孤立」し「排除」される人々が急増しました。そこで2007年より「ソーシャル・インクルージョンの実現」を理念に加え、精神障がい者や発達障がい者の就労支援、高齢者の自立支援、生活介護支援に取り組んでいます。
2015年10月、太陽の家は創立50周年を迎え、天皇皇后両陛下のご臨席を賜り、記念式典を執り行いました。2020年、東京が世界で初めてパラリンピックとオリンピックを2度開催する都市となります。先進国の仲間入りをし、欧米にお手本のなくなった日本が2020年にどのようなパラリンピックを実現するのか、日本ならではの障がい者と健常者の協調のあり方を提案できればと思っています。
理事長 中村 太郎