社会貢献の功績
だんだん こども食堂
東京都大田区で八百屋「だんだん」を営む近藤博子さんが、野菜を買いにきた小学校教諭から、「あるこどもの母親が病気で朝晩の食事がバナナ1本だけで、毎朝、先生がおにぎりを作って生徒を迎えに行き、学校に給食を食べに来てもらう」 という話を聴いて、食べ物に溢れたこの時代に、先進国でこんな話があるのかと信じられなかったが、そうした問題は地域で取り組むべきことだと思い、自分の店で食事が出来るようになれば、と2012年の夏から始めた活動。この「こども食堂」の取り組みは全国に広がり始めており、「こども食堂」の名付け親が近藤さんだと言われている。
社会貢献者受賞への想い
今年の初めに、このお話をいただいた時には、正直なところ何のことやら分からず、我が耳を疑いました。実際に、だんだんの取り組みについてのヒアリングを受けても尚、信じられないまま決定の日まで過ごしておりました。
歯科衛生士としての仕事をパートの仕事に切り替え、「食」「歯科」「健康」をつなげる仕事をしたいと思っていた時、ひょんなことから、八百屋を始めることになり、地域の方とのつながりが始まりました。それが2008年11月でした。八百屋の場所として借りた店舗が元居酒屋の居ぬきの場所だったことも手伝って、買い物に来てくださる方々との日々の関わりの中から色々な課題が見え、いつしか、八百屋の場所が地域の人々の交流の場、子どもたちの学習のお手伝いの場、大人の学び直しの場へと発展し、気が付けば民間型の文化センターのようになっていました。
そんな中、ある日、買い物にいらした近所の小学校の副校長先生の話から、子どもの孤食の現状を聞きました。お母さんが精神的な病気を抱えている場合、食事も作れなくて、給食以外の食事をバナナ一本で過ごす子どもがいるというのです。そんな子どもが日本にいるということを聞いて、いてもたってもいられず、だんだんの場所で、子どもが一人で入っても大丈夫な場所「こども食堂」という名前で始めたのが2012年でした。その取組が、今では全国に飛び火をして、その場所は、全ての人が寄り添いながら生きることの大切さを自然に感じる場へと進化しつつあります。当初から計画的に始めた訳ではありません、集う人みんなで作り上げてきた場所だと思っています。そのことが、この受賞へと繋がったのだと思っております。
授賞式に出席をさせていただき、私以外の方々、団体の皆様の活動の内容を伺い、「私は、まだまだ、これからだな」と心と気を引き締めました。皆様の活動の歴史の長さと、深い想いを伺い、本当に素晴らしいと、ただただ、感動いたしておりました。こんなに素晴らしい活動があるのだということを今まで知らなかったことを反省いたしました。
その中に選んでいただいたことに、深く深く感謝し、素晴らしい皆さまとの出会いの場にいることができた奇跡に感謝いたします。これからも身の丈に合った地道な活動を続け、次世代に繋げたいと思っております。本当にありがとうございました。
主宰 近藤 博子