社会貢献の功績
生田 武志
人口密度、ドヤ(簡易宿泊所)の数、結核の罹患率、救急車の出動回数などで日本一、また日雇い労働者、野宿者の人数も日本で最も多い大阪市西成区の釜ヶ崎(別称「あいりん地区」)に大学時代から関わり、「どんな悲惨な状況でも、人には尊厳がある」と、卒業後はこの街で自ら日雇い労働をしながら野宿者を中心に夜回りによる声掛け、生活保護受給者の同行申請、市と交渉、仕事や病気の相談、電話相談など、30年間にわたり支援活動を続けている。
このたび、社会貢献者表彰を頂き、感謝申し上げます。
大学生だった1986年4月に釜ヶ崎に初めて行き、0.62平方キロの街に500人ほどの人たちが失業のために野宿になり、さらに多くの人たちが病死、凍死、餓死していく様子を見てショックを受けました。それから野宿者支援活動、日雇労働運動、そして(山王こどもセンターなど)こどもたちに関わる活動などに関わってきました。また、10代の若者などが野宿者を襲い、ときに殺害する事件が後をたたないことから、2000年から全国各地の小中高校で「野宿問題の授業」を続けています。
現在、野宿者ネットワークを中心に野宿者支援活動を行なっています。野宿者ネットワークは年間予算100万円そこそこの団体(人件費ゼロ)ですが、最大の経費が「寝袋代」です。以前は夜まわりで冬季に100個は配っており、近年も数十個配っています。夏用寝袋では冬の野宿には役に立たないので、定価5,000円ぐらいのものを毎年買っています。また、野宿者ネットワークが在庫に置いている寝袋は、2011年の東日本大震災のときは仙台の夜まわり団体に、今年の熊本地震のときは熊本の支援団体にそれぞれありったけの数十個、郵送しました。どちらもまだ寒い時期の被災だったので、車中泊の人や野宿の人たちのために使ってもらえたようです。副賞はこの寝袋代などに使っています。
11月の授賞式では、以前に講演に呼んでいただいた「反貧困ネットワーク広島」、2011年に泊まり込みでボランティアに行った「仙台ワンファミリー」の人たちも受賞で来ておられ、いろいろお話ししました。また、神戸の女性シェルターネットの方や、沖縄で夜間中学を運営されている方、大阪で生活困窮者レスキュー事業に関わっておられる方もおられ、いろいろな情報交換でき、たいへん有意義な機会になりました。
いま、釜ヶ崎では仕事がなくなり、行政の窓口が閉じる年末年始を迎え、「一人の餓死・凍死者も出すな! 」を合言葉とする越冬闘争が始まろうとしています。大晦日に夜まわりを行ない、元日は西成公園で野宿している人たちとの食事会を行ないます。厳しい状況が続く中、今後もできる限りの活動を続けていきたいと思っています。