第55回 社会貢献者表彰 受賞者一覧
(敬称略)
【功績の内容】
- 海難・水難、交通事故、遭難等に際し、身命の危険を冒して救助・救援に尽くされた功績
- 犯罪等の発生に際し、身命の危険を冒してその解決に協力された功績
- 災害・事故・犯罪の発生を未然に防いだ功績
- 精神的・肉体的に著しい苦労、危険、劣悪な状況に耐え、他に尽くされた功績
- 困難な状況の中で黙々と努力し、社会と人間の安寧・幸福のために尽くされた功績
- 先駆性、独自性、模範性などを備えた活動により、社会に尽くされた功績
- 海の安全や環境保全、山や川などの自然環境や絶滅危惧種などの希少動物の保護に尽くされた功績
安達 聖澄(山形県)
保科 馨(山形県)
2019年7月24日(水)山形市内では、夕刻からひどい雨が降り、午後7時半までの1時間に38ミリの雨が降るなど、局地的な大雨であった。市内各地では、冠水による通行止め、側溝から溢水被害等発生していた。当日19時45分頃、安達さんは、自家用車に保科さんを乗せて運転中、T字路を左折しようとしたところ、左前方から自転車に乗って走っていた男子高校生の姿が突然見えなくなった。安達さんは不審に思い、車を停めて辺りを確認したところ、高校生が乗っていた自転車が水路に転落しており、身体はくの字の状態で何かに引っかかり流されずに、頭部まで水没している高校生を発見した。安達さんは、水路に入り、腰の高さまで水に浸かりながら高校生の身体を持ち上げ、保科さんは道路から高校生の手を引っ張り水路から救出した。救出当初、高校生は意識が無かったが、道路上に救出した頃には意識を取り戻した。目の焦点が合わない状態であったが、声掛けをしながら救護を続け、救急車が到着する頃には高校生の意識状態は会話ができる状態まで改善した。
後日、自転車が落ちた水路脇にガードレールが設置された。>>詳細・手記
推薦者/山形市消防本部 消防長 平吹 正人
小旗 はるみ(新潟県)
河合 京子(新潟県)
2019年8月18日の午後0時半頃、小旗さんは娘さん夫婦とお孫さん、妹の河合さんも5人で家の近くの新潟市中央区の日和山浜海水浴場に遊びに来ていた。小旗さんも河合さんも、普段からプールに通い泳ぎは得意で、この日も水着、足ヒレ、ゴーグルを持参し着用していた。当日は、遊泳禁止になっていなかったが、台風の影響もあり、海は荒れ気味であった。すると監視員の何か叫んでいる声が聞こえた。海岸から100メートル程の沖を浮き輪に乗った男性に、戻るように叫んでいるようであったが、戻れないと思い、救助を求めるためか監視員は、そこから居なくなった。この辺は流れもあり、このままでは男性が流されてしまうと思い、小旗さんはすぐ脇の縦堤(桟橋)の中ほどから、海に入り男性に向かって泳ぎだし、河合さんも縦堤に掛けられていた救助用の浮き輪を持って、その後に続いた。男性の所まで来ると、男性はパニック状態で「助けてくれ!」と必死だった。男性が浮き輪に乗っていることから、むしろ自由が効かず、自力では戻れないので、二人で男性を引っ張って縦堤に辿り着き、レスキューの人に男性を引き継ぎ救助した。 >>詳細・手記
推薦者/石井 幹人
石坂産業 株式会社(埼玉県)
石坂産業株式会社は1967年に埼玉県入間郡で産業廃棄物処理業社として創業した。1999年、後に誤報と判明するが、農産物がダイオキシンに汚染されているという報道をきっかけに、地域住民からの反対運動が勃発し同社は窮地に追い込まれた。創設者の長女石坂典子さんが社長に就任し、2001年に焼却事業から完全撤退して建設系廃棄物の資源化に事業転換を図る。同社は「ごみにしない技術」を探求し、廃棄物を100%再資源化する先端技術の確立を目指すとともに地域社会に必要とされる会社づくりを開始。社員による近隣道路の清掃ボランティアに始まり、地域の荒廃した雑木林を再生する里山再生プロジェクトをスタートさせた。「三富今昔村(さんとめこんじゃくむら)」と呼ばれるその里山は、年に4万人が訪れ、誰もが豊かな自然を楽しめ、五感で学べるサスティナブルフィールドとなり、同社が運営する環境活動の学校「くぬぎの森環境塾」の活動の場となっている。毎年小学校から大学生まで約5,000人を受け入れ、体験型環境教育を無償で実施しており、埼玉県から「体験機会の場」第一号に認定されている。また生物多様性保全への取り組みは公益財団法人日本生態系協会が国内最高ランクの”AAA”に認証した。 >>詳細・手記
推薦者/株式会社 パン・アキモト
NPO法人 樹木・環境ネットワーク協会(東京都)
1995年に「人と自然が密接に関わり豊かな持続可能な社会の実現」をめざして活動する任意団体として発足。森を育てる「フィールド事業」人を育てる「グリーンセイバー(GS)事業」森と人を繋ぐ「環境コミュニケーション事業」の3つを活動の柱としている。現在13か所で「フィールド事業」を行っている。上野動物園の緑化といった都市の緑を守り育てるもの、町田市三輪地区や大阪府交野市などの里山の保全・再生・活用。また奥山と呼ばれる八ヶ岳での宿泊型ワーキングなどがある。「グリーンセイバー事業」は、適切な環境保全や環境活動を行うために1998年に設立された資格検定で、環境について科学的な知識と共に、自然と人との関わりを学び、文化的な側面も修得することが求められる。GS修了者が各地でボランティアグループを作り、フィールドワークで中心となり活動する。「環境コミュニケーション事業」では環境問題は個人で解決できるようなものではなく、社会全体で取り組むことが当たり前となった今、企業、行政、団体と協働で、多様な活動を行う。東京都が進める海の森公園づくり事業への参画、石垣島での海の環境を守るための森づくり活動を行っている。>>詳細・手記
推薦者/NPO法人 かながわ森林インストラクターの会 理事長 久保 重明
京都で、環境まちづくり・仕組みづくりを専門として2001年より持続可能な地域づくりを市民・事業者・行政と協働のもと展開してきている。昨今、社会的に問題となっている“使い捨てプラスチック”問題に早くから警鐘を鳴らし、「脱・使い捨て」を掲げてきた。中でも、日本の三大祭りのひとつである祇園祭で「祇園祭ごみゼロ大作戦」を立ち上げ、夜店や屋台で使われている“使い捨て容器”を何度も繰り返し洗って使える容器「リユース食器」に切り替える活動を実施。約2,000名を超えるボランティアスタッフを集め、リユース食器の回収や資源の分別作業等を行う場所(エコステーション)を計画的に設置したことで、2014年ごみの4割減量に成功。この取り組みをもとに、大阪の天神祭でも2017年からリユース食器の導入を始めた。
年間、約400のお祭りやイベントでのリユース食器を活用した環境対策の支援をしているが、リユース食器を導入するお祭りやイベントはまだ少ない。温暖化、海洋プラスチックごみ(廃プラ)対策が問題となる中、環境に配慮した生活等を提案し広める活動を続けている。>>詳細・手記
推薦者/NPO法人 リボーン・京都
有限会社 アップライジング(栃木県)
新品・中古タイヤ・アルミホイール買取・販売の専門店。「考え方が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人生が変わる」「人を大切に」「社会を大切に」を信念に支援活動を行っている会社。2012年から就労困難者雇用の支援活動を行っている。きっかけは、2011年から毎月1回JR宇都宮駅前の清掃を行う中で、障がい者の仕事が無いと聞き、施設外就労B型から始めて、現在は元ひきこもり、出所者、薬物中毒者等の就労困難者の雇用も受入れている。2016年からは、外国人技能実習生の受け入れと、帰国した実習生が日本で習得した技能を活かすために現地(ベトナム)に現地法人を設立する準備を行っている。労働ビザでの正社員もいる。その他、毎朝、店舗近くにある小学校の通学路で交通誘導や挨拶運動、タイヤ1本売上金のうち20円をカンボジア周辺国支援として支援プロジェクトに寄付。栃木県内の児童養護施設に子どもたちへの物資や遊具の差し入れ、社員自ら施設を訪れて一緒に遊ぶことはもちろん、プロバスケットボールやサッカーの試合観戦等に招待し、外に出る機会のない子どもたちに外に出るきっかけを作り、いろいろな体験をさせること等の支援活動を継続して行っている。
代表取締役者社長の齋藤幸一さんの著書「人間力経営アップライジングの軌跡」で社会貢献の重要性を伝えている。>>詳細・手記
推薦者/株式会社 パン・アキモト
NPO法人 子どもの家足立(埼玉県)
少年院を出院したのち、自力で電気工事士試験に合格し、大学入学資格検定を取得し、27歳で大学の工学部にも合格した竹中ゆきはるさんは、自身と同じような経験をしている少年たちの立ち直りを支援したいと考えていた。数々の電気関連の資格を取得し自身の電気工事会社を設立し代表取締役として業務をしながら、2005年に長年竹中さんを担当してくれた保護司の推薦を受け協力雇用主となり、更生しようとしている少年に職と住まいも提供するようになった。2009年には保護司の委嘱も受けた。2011年に更に手厚いケアをしようと自立援助ホーム「NPO法人子どもの家足立」を設立し、従業員や家族の協力を得てこれまでに延べ46人の自立を支援し、24人に就労の支援をした。
竹中さんは、少年たちに資格取得を目指す目標を持たせ、仕事に就いて自立できるよう、電気工事士の職業訓練を無償で教えている。自らもそれを立証するよう、数々の資格を取得し、少年たちへ生き方を体現している。>>詳細・手記
推薦者/NPO法人 ロージーベル
村田 純子(福島県)
障がい者が低賃金で働くことが常態化していた社会で一石を投じた、ヤマト運輸の元会長の小倉昌男氏の経営哲学に影響を受けた村田さんは、南相馬市で精神障がい者が生き生きと働ける場所、障がい者と健常者が隔てなく働ける場所を作ろうと小規模作業所「ほっと悠」を設立。作業所で大人用おむつを販売、地元の病院や競合の大手卸業者を集めて説得し販路まで獲得してしまう。このほかヤマト運輸のメール便の配達や精神病院内の売店とカフェの運営、作業所を兼ねた弁当の製造販売厨房や割烹など、次々と障がい者が働く場所を作り出し、多くのメンバー(障がい者)とスタッフを抱えるまでになる。こうした努力によりメンバーの平均労賃は37,000円と地域トップになる。
その後、東日本大震災による原発事故によって皆散り散りになり、村田さん自身も被災して寝たきりの母親を抱えながら施設は閉鎖寸前に。しかし、居場所を求めて戻ってきたメンバーのために再始動を決心。内職仕事をかき集めて郡山から南相馬へ運ぶ日々。その後相談支援センターをはじめ弁当作りの作業場や販売、区役所内の喫茶店など、不屈の精神で次々と就労先を増やし復活。赤字の作業所分は稼ぎの多い作業所で補てんし全体での運営をすることによりメンバーへの賃金を確保。障がい者が無理なく助け合って地域社会と繋がることができ、障がい者と健常者の垣根をなくすために、常に前を向いて活動している。>>詳細・手記
推薦者/NPO法人 チームふくしま/株式会社 クラロン
山本 忠(愛知県)
山本さんは、豊橋市民病院で歯科医師として勤務しながら、1995年から長きに亘ってベトナムのハノイ、フエ、タムキ、ベンチェ市などで口唇口蓋裂の患者を無料で手術する医療支援を行っている。この先天性異常に対しては差別もひどく、生まれた時点で殺されてしまう人もいるが、山間部の貧しい少数民族では手術を受けられずに成人する人も多い。現地の医師に技術指導し、難易度により任せられる割合を少しずつ増やしてきたが、現在では見守るだけでよいことも多い。お金を払える患者は現地の医師が治療し、貧しい患者は山本医師がまとめて無料で治療しており、一度の滞在で30名~50名の患者の手術をこなす。こうした状況が支援をやめられない理由でもある。薬や点滴は日本から持参するが、病院側へは検査費などを支払う。少数民族は言葉が異なり通訳者同伴で訪れるので、患者には通訳代、交通費、滞在費なども渡す。負担は大きいが患者が笑顔になって帰っていく姿を見ると力になる。
毎回4、5人のチームで行くが、渡航費は各自が負担し、それ以外の現地費用は全て山本医師が負担している。また現地の病院では手術台をはじめ麻酔機などの医療機器が不足しているため、口腔外科に関わらず病院で必要な医療機器を日本で調達し、これまでにコンテナ7本分を船で送るなどして現地の病院全体への功績もかなり大きい。今後は現地の若手医師への技術指導にも力を注ぐ。>>詳細・手記
推薦者/広瀬 紀子
2012年からアフリカザンビアで病院やヘルスセンターから遠く離れた僻地で十分な医療を受けられない人々への巡回診療を行っている。会の現地活動部隊の山元医師はJICA専門家としてザンビアで地域保健医療にも携わった経験を持ち、のちに現地の医師免許も取得。
現在、病院やヘルスセンターへ行く移動手段のない4つの地区へ巡回診療に赴き、診療も薬も全て無償で提供している。山元医師は3か月ごとに日本とザンビアを行き来し、日本の会スタッフと連携し、講演や日本での医師活動もしながら支援活動を行っている。
現地では巡回診療のみならず、安全な水を確保するための井戸掘りや、住民啓発、マラリアで亡くなる人を減らすため、政府の協力も得て殺虫剤の散布を行うなどし、この地区では特にマラリアで亡くなる子どもの数が減少し成果を見せている。また、日本の医学生や研修医を受け入れて現地の巡回診療に同行させ、医療状況について学ぶ機会を提供している。今後は、僻地にヘルスポスト(簡易診療所)を作り、少しでも安定した医療環境を提供できるようにしていくことを目標としている。>>詳細・手記
推薦者/日髙 良雄
パグサンハン児童救援協会(山梨県)
1993年、社会福祉法人ぶどうの里「勝沼授産園」の初代施設長田ヶ谷雅夫氏は、フィリピン在住の知人を訪ねた際、同国のパグサンハン地区で横行している児童買春を目の当たりにし、現地のボランティアの団体を支援して、同地区での児童買春を減少させるための活動を始めた。その後、オロンガボ地区で児童養護施設「プレダ子どもの家」を運営し、ストリートチルドレンの救済活動をするシエイ・カレン神父を知り、パクザンハン地区の児童買春の減少と併行してオロンガボ地区のストリートチルドレンの救済のため神父への支援活動を開始した。フィリピンで国やマニラ市からの支援はないなか、パグサンハン地区の児童買春防止のためにはパンフレットの作成や配布による啓蒙活動、また現地関係者を日本に招いて講演活動を行っている。オロンガボ地区のストリートチルドレンの救済のために、「子どもの家」の入所児童劇団の日本公演や山梨県下や県外から寄せられた衣類や日用品等の支援を毎月行っている。>>詳細・手記
推薦者/社会福祉法人 ぶどうの里 勝沼授産園
Paix²(井勝 めぐみ 北尾 真奈美)(東京都)
Paix²(ぺぺ)は2000年に歌手デビューした井勝めぐみさんと北尾真奈美さんのデュオ。二人の出身地、鳥取県の地元警察署の一日署長を務めたことをきっかけに刑務所や少年院などの矯正施設で「Prisonコンサート」と称したボランティア活動を開始。2020年2月14日の京都刑務所での公演で503回を数えた。北海道から沖縄まで日本全国を音響機材と共に車で移動し、機材の設置からコンサート終了後は機材の撤去まですべて自ら行う。当初はじっと舞台を見つめる受刑者に様子に戸惑いの連続で、舞台の上で思わず凍り付いたこともあった。様々な制約のある刑務所でのコンサートでは観客である受刑者に原則として認められているのは拍手のみ。しかしながら、回を重ねることにPaix²ならでは、代表曲「元気だせよ」の歌詞に載せて拳を突き上げるポーズを認める刑務所が増えている。二人は被害者の心情を常に考え、ステージでは二度と罪を犯さないように語り掛け、20年にも及ぶ活動を通じ、「継続していくことの大切さ」を受刑者に伝えている。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で刑務所を訪れることができなくなったが「居室配信型Prisonコンサート」のDVDを制作して全国の矯正施設に配信している。>>詳細・手記
推薦者/片山 始
NPO法人 アニマルセラピー協会(広島県)
創設者で代表を務める中川久美さんは、当時アニマルセラピーを行う団体がない広島県で、ケアマネージャーをしていた経験を活かし、専門学校に通い、県内初の団体、特定非営利活動法人アニマルセラピー協会を2013年に設立した。
毎月30回、ほぼ毎日、ボランティアやスタッフと犬5匹で、老人ホーム・障がい者施設・病院やイベント等に出かけ、犬とのふれあいを通して、認知機能の改善や、コミュニケーション能力の向上に向けた活動を行っている。利用者からは、犬を初めて触る緊張や、昔飼っていた記憶が蘇る等、癒されつつも刺激となり、大変喜ばれている。
また、大学とのドックセラピーの研究を通じて、アニマルセラピーの診療的治療の有効性を実証している。>>詳細・手記
推薦者/NPO法人 アニマルセラピー協会
2003年に県の団体から「途上国の子どもたちが縫製技術を身に付け自立できるように支援して欲しい」と依頼を受け、先生指導の元、学生らが中心となって、家庭で不要になった古いミシンを国内で集め、それを修理し、タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン等にこれまで15年に亘り計300台以上を贈った。2006年からは毎年、部員が現地に赴き、修理の仕方やメンテナンスの指導をするほか、現地の方々との交流を行っている。
修理はミシンを分解して、埃や機械油の汚れをふき取り、部品の交換、時に天板を木材から切って作り直すこともある。贈られたミシンによって、貧困層の女性は縫物で生計をたて、子どもを学校に行かせることができるなど、生活の基盤を築けるようになってきた。また、インフラ整備が遅れている地方では電気が安定して供給されないことから、足踏みミシンが重宝されている。メディアなどでこの活動が紹介されたことで、歴代の部長を女性が務める同会の部員の数は年々増え続け、中古ミシンの寄贈も多く寄せられてきている。
“大切にしてきたミシンを役立ててほしいという提供者の想いをつなぐのが私たちの役目”と、廃棄処分されるミシンに新たな活躍の場を提供している。>>詳細・手記
NPO法人 キッズスポッチャ(大分県)
2009年大分県障害者体育協会がキッズスポーツチャレンジ事業として、障がいがある子どもたちに対して、陸上・水泳・ボッチャの3競技のスポーツ体験会を開催、子どもたちや家族にも大変好評であった。しかし単年度事業であったため惜しまれつつも終了。そこで陸上競技に関わった加藤和恵代表を含めた有志が集まり、任意団体として「キッズスポッチャ実行委員会」を結成し活動を開始、翌年NPO法人格を取得した。
陸上種目は、レーサーといわれる競技用車いすを使う競技と、立位での短中距離走を主とする。競技用車いすは高額であることから貸出も行っている。練習会にはホンダの現役アスリートがコーチとして練習に顔を出し、競技の指導と共に自身の経験等も話してくれることで、子どもたちや家族の世界は大きく拡がり、将来に対する明るい希望や大きな目標ができ、アスリートとして活躍できる可能性に家族も心躍る。年6回県内で行われる練習会や年1回行われる記録会には九州各地から障がいがある子どもたちが集まり、また兄弟児の参加も可能なことから、家族で楽しめる場となっている。>>詳細・手記
推薦者/社会福祉法人 太陽の家
金城 雅春(沖縄県)
ハンセン病回復者である金城雅春氏は、1990年の沖縄愛楽園自治会の会長に就任したことをきっかけに、人権啓発活動を開始。ハンセン病の歴史を沖縄県下の幼稚園や学校、また全国での講演活動を行う他、愛楽園で行われる人権や平和学習のフィールドワークを牽引し、年間5,000名の受け入れを行っている。
講演では、ハンセン病の病気の特徴や歴史を説明し、劣悪な環境の元で隔離されたり、患者宅が放火されるなど、現代に通じるいじめ問題と重ねて、偏見や差別をなくすための活動を行っている。この結果、講演を聞いた中高生らからの反応も大きく、学校の現場で人権を考えるといった意識改革にもつながっている。>>詳細・手記
推薦者/大兼久 みより
岩本 功(山口県)
岩本さんは29歳の時、海外技術協力事業団の専門家としてエチオピアの研究所に赴任。その後JICA派遣専門家・家族の健康相談医としてアフリカ6か国を訪ねるなど海外の医療事業に深い関心があった。ある年ベトナムの医師が日本に内視鏡技術の研修に来たことをきっかけに、ベトナムでは内視鏡が普及していないことを知る。そこで岩本さんを中心に有志と「NGO国際医療協力山口の会 IMAYA」を発足し、日本でまだ十分に使える中古機器を集めベトナムのハノイやその近郊の病院へ持参する医療機器援助活動を始める。また、日本から技術指導者をハノイに送り研修なども行う。
こうした功績が認められベトナム政府から日本のNGOとして初めての医療功労賞を受けている。医療機器のみならず枯葉剤被害者のために、ベトナムの道路事情に合わせた特殊車いすを製作し贈る活動にも取り組み、これまでに400台以上もの車いすを供与している。また、奨学金寄付により既に11名の医師と3名の薬剤師が育ち、ベトナムの医療向上に貢献するなど精力的な支援活動を行っている。>>詳細・手記
推薦者/柚木 貴晴
望まない妊娠や性被害等を受けた10代~20代前半の青少年少女や虐待、養育困難の中で育った中高生、年齢等により児童福祉法の対象から外れる等様々な理由で行政の支援につながりにくい子どもに寄り添うために2016年4月に開設。24時間年中無休で、メール相談、行政が対応できない夜間の電話相談、面接相談、病院の受診・警察・保健センター・福祉の行政窓口、法テラス等への同行支援を実施。
2019年にはシェルターを開設。その他、若年親子が孤立しないように乳幼児の親子の集い、繁華街(歌舞伎町)などを巡回して若者に相談窓口が書かれたSOSのチラシ、カードを配り周知啓発を行っている。
代表の佐藤初美さんは、新宿区で保育士と子ども家庭支援センターで40年以上子どもに関わる仕事に従事してきた中で、制度の狭間にいる子どもたちに継続して寄り添う重要性・必要性を感じて活動を始めた。地域密着の活動のため、様々な機関等との連携がある。個々が自立できるまで継続して寄り添う活動を続けている。>>詳細・手記
推薦者/東京ボランティア・市民活動センター
NPO法人 エスペランサ(福岡県)
1994年国連NGOのボランティアとして、西アフリカのギニアビサウに派遣された馬場菊代理事長を含む女性10人らが、現地女性の自立支援の為、足踏みミシンを使っての洋裁や、識字教室を開催。その後、現地のカウンターパートもないことから1996年にNGOエスペランサを設立。同国は、国民の約6割が絶対的貧困状態にあり、世界最貧国の1つで、初等教育の就学率は67%。1998年に内戦が勃発したために国外退去となるが、翌年セネガルにあった難民キャンプにて600名程の女性に向けて活動を再開し、2001年から再びギニアビサウでの活動が始まると、里親制度の導入や私立の小・中学校を建設し、道徳教育を行う等、日本の教育を取り入れた独自のプログラムで学校の運営を開始。ここに通う一部生徒の学費は、里親制度を通じて日本人のサポーターと繋ぎ、卒業生の半分が大学に進学している。2019年にはギニアビサウでの法人化を達成した。>>詳細・手記
推薦者/喜多 悦子
NPO法人 Fine(東京都)
日本で不妊症に悩むカップルは、5.5組に1組といわれ、何らかの不妊治療を受けている人は50万人に近いと推測されている。不妊は女性だけの問題と思われがちだが、男性不妊も決して少なくない。「不妊」「不妊治療」が社会全体に正しく理解されること、自分で納得して選択した治療を安心して受けられる環境を整えること、不妊体験者が社会から孤立することなく健全な精神を持ち続けられる環境を整えること等を目指して2004年1月に発足、翌年からNPO法人として活動。主に不妊治療患者支援(情報提供・精神的サポート・コミュニケーションを目的としたウェブサイトの運営管理)、不妊(治療)の啓発活動(企業・自治体と連携して研修・講演会等)、公的機関・医療機関等への働きかけや勉強会、イベント開催、ピア・カウンセラーを養成する独自の講座運営等を行っている。また、国際的な不妊患者連合に参加して、各国の不妊治療に関する情報交換を行い、日本での活動に反映させている。不妊や不妊治療が特別視されることなく、“普通のこと”になる社会をめざし活動している。>>詳細・手記
推薦者/一般社団法人 吉村泰典生命の環境研究所 吉村 泰典
一般社団法人 石巻海さくら(宮城県)
宮城県仙台市出身の髙橋正祥さんは、プロダイバーとしてオーストラリアやサイパンそして神奈川県の葉山などで、マリンスポーツ関係の仕事をしていた折に東日本大震災(2011年)が発生した。石巻市の父の実家は無事だったが、同市の親戚が津波で家が流されすべてを失ったと知り、神奈川県から支援物資を持って同市へ駆けつけて親戚の支援を始めた同年6月に任意団体「石巻海さくら」を結成、三陸沿海岸の海中では行方不明者を発見し、海底には車や家が沈んでいる中で、ガレキの撤去や遺体捜索のボランティアに参加した。
その後石巻海さくらを正式に法人化して代表理事を務め、ボランティア活動を続けるとともに、地元の海の清掃活動や交流イベント、シュノーケリング教室、企業研修など海を愛する仲間と一緒に活動を続けている。>>詳細・手記
推薦者/齋藤 充
小早川 明子(東京都)
「ストーカー」という概念さえ一般的でなかった頃、自身が5年にも及ぶストーカー被害に遭った経験から、1999年にストーカー対策活動を開始。2003年には「NPOヒューマニティ」を設立してストーカー行為の根本的な解決のため、加害者を「無害化」するためのカウンセリングや治療へ繋げる活動を開始した。年間200~400件の相談を受け、月に2、3件は直接加害者に会いに行く。これまでに600人以上の加害者と対面している。殺人未遂や傷害事件といった凶悪な犯罪を起こした後のストーカー加害者とも多く対峙。自身の身を危険に晒しながら、被害者の身を守ることを最優先し、数多くの事件を未然に防ぎ、多くの命を守ってきた。
ストーカーの多くは相手への過剰な関心から接近を渇望し、接近できなければ禁断症状が出るような「特定の他者への関心が固着」し、「行動制御」が難しくなっている人たち。2013年に下総精神医療センターの平井慎二医師が開発した「条件反射制御法」がストーカーの治療に有効であることを知った小早川さんは20人以上の加害者を治療に繋げ、その殆どを相手へのとらわれから脱却させることができた。>>詳細・手記
推薦者/A's Salonハラスメントカウンセリング 後藤 稚菜
NPO法人 松本ヒマラヤ友好会(長野県)
1989年に松本市とネパールの首都カトマンズ市が、相互に共通する「山と美しい自然」を仲立ちとして、姉妹都市提携をした。ネパールは北海道の約1.8倍の広さ、人口約2,900万人、カトマンズ市の人口は約150万人程である。同国のほぼ中央に位置するカトマンズ市は、北方にヒマラヤ山脈、松本市も西方に北アルプスが聳え連なり、地形上、白銀の山々に囲まれている盆地という共通点を持つ「岳都」である。当時任意団体の松本ヒマラヤ友好会は、設立当初から市民交流推進の一役を担い、姉妹都市カトマンズの理解を深める活動、公園、写真展、街づくり研究を行い、またヒマラヤ高所登山経験を活かした山岳スポーツ振興を図る登山講習、そして国際協力事業を推進し、NPO法人松本ヒマラヤ友好会(略称MHC)と認定された。任意団体当時の1996年から、ヒマラヤ登山に命懸けで活躍するシェルパ族の子弟で、カトマンズの短期大学に通学する勤勉学生に奨学金を支給。彼らは卒業後、村に帰還し責任ある活動をしている。また、現地と連携し、遠隔地学生のための学生寮を建設(2002年7月完成。日本の外務省から草の根無償資金援助を受ける)するとともに、カトマンズではネパール政府公認のMHCネパール支部を新たに設立し連携。震災復興の為、カトマンズでの献血活動、公立学校の文具支援、親を亡くした学生への奨学金支給、カトマンズの東西を流れるガンジス川源流となる河川清掃事業などの支援を続けている。>>詳細・手記
推薦者/松本市政策部広報国際交流課
NPO法人 ルワンダの教育を考える会(福島県)
戦争で傷ついたルワンダの子どもたちのために平等な教育、民族・宗教・思想にとらわれることなく、生きていくことができるような教育を支援するために1999年に発足。理事長の永遠瑠(トワリ)マリールイズさんは、1993年JICAのカウンターパート制度により福島市で洋裁の研修を受け、翌年ルワンダに帰国した。その2ヶ月後、ルワンダで民族紛争による内戦に遭遇。命からがら隣国のコンゴ国境近くの難民キャンプに逃れた。絶望的な状況の中、難民キャンプ内で日本人医師の医療通訳の仕事を得ることができ、その活躍と人脈、福島の方々の尽力で家族と共に再来日する。2001年、首都キガリにウムチョムィーザ学園(幼稚園、小学校)を設立。2教室60名から始めて、少しずつ教室を増やし現在245名の生徒を受入れて、197名の卒業生を送り出している。給食室、図書室も開設。健康診断も行う。
地方の最貧地域のミヨベ地区の子どもたちへ食事の支援、親たちの自立のための職業訓練等の活動も行っている。>>詳細・手記
推薦者/NPO法人 ANT-Hiroshima
KURATA PEPPER Co.,Ltd.(カンボジア王国)
1991年、内戦が終結したカンボジアは新たな国づくりへと動きだした。大学生だった倉田浩伸さんは、NGOの派遣隊員として同国を訪れ、経済基盤も生活環境も荒廃していることに衝撃を受け、この国の復興には土地に根付いて育つような産業が必要だと確信し、派遣期間終了後も再三訪問した。いくつかの農産物の輸出を試みては失敗を繰り返す中、内戦前の農業に関する資料から「胡椒」を発見。胡椒の買い付け販売、胡椒農家への投資、自社農園の運営に乗り出したが、輸出はなかなかうまくいかず、資金繰りも厳しくなり「撤退」の文字が頭に浮かぶ。そこへ2001年に秋篠宮ご夫妻が訪柬され、胡椒をお土産として購入されたことをきっかけに、編みカゴバックに入れるなど、パッケージを工夫してお土産品として観光地で販売すると飛ぶように売れ始めた。高品質のカンボジアの胡椒はヨーロッパ各国でも調味料として評判を呼び、カンボジアを世界有数のコショウ産地へ復活させ、自立のための産業の基盤の一つを築いた。今後は「カンボジアの人々に自国の良さを見直して欲しい。胡椒産業が若者の手によって拡大し人々の幸せに繋がるよう次世代を育成することが自分の使命」と語る。>>詳細・手記
じゅんちゃん一座(青森県)
2011年に精神科医を座長に、ケアマネージャーや保健師ら12名で結成されたじゅんちゃん一座は、認知症の症状や周囲の対応方法を、方言を使ったユーモラスな演技で伝えている。主に県内の町内会や小中学校、自治体の研修や全国から出張依頼も来る。年間20~30回の公演は、座長の竹内医師から認知症について医学的説明が冒頭に行われ、寸劇へと続く。
寸劇のテーマは徘徊や介護鬱、運転免許の返納等全8作品あり、台本や大道具小道具、衣装に至るまでメンバーによる手作りで、一家で起こる事件を題材にした話で、配役はだいたいが認知症患者のおばあちゃんとおじいちゃん、息子、嫁の4人家族の設定。認知症への理解は、本人よりも周りの人や家族に理解を深めてもらうのが一番で、公演会に幅広い年代層に来て貰いたいと、メンバーらは、毎週の練習を欠かさない。認知症についての基礎知識、相談先、医療の役割等を伝えることで、「認知症を隠さない」という意識が芽生えてきている。>>詳細・手記
推薦者/谷地森 康二
NPO法人 やどかりサポート鹿児島(鹿児島県)
障害・生活困窮・高齢・DV被害・ひとり親・児童養護施設等の退所者等、様々な事情で連帯保証人を立てられず賃貸住宅に入居ができない人々に対して、「地域ふくし連帯保証」という、医療・福祉といった支援機関と連携して、包括的にサポートする活動を行うNPO団体として2007年に設立。社会的に孤立しがちな人に、社会的なつながり、参加、役割をもっていきいきと生活できるよう支援する事業を行っている。利用者は精神・知的・身体障がい者・元ホームレス生活者・刑余者やDV被害者等幅広く、これまでに利用した人数は370名を超え、地域生活の実現を支援してきた。
これまで入院だけが選択肢だった精神障害者も、支援者のサポートにより自立が可能となり、鹿児島県の精神科医療の進展にも寄与している。提供すべきは、連帯保証だけではなく「つながり」であり、社会的な孤立を防ぐことを第一の目的に、包括的なサポートを行っている。>>詳細・手記
推薦者/NPO法人 ワンファミリー仙台
星川 安之(東京都)
1980年、トミー工業株式会社(現タカラトミー)に入社後、障がいのある子どもたちが遊べる玩具開発に携わり、目の不自由な子どもたちの玩具(メロディボール等)の開発を行った後、1991年に企業人やデザイナー、主婦や学生、障がいのある人とともに「バリアフリー社会の実現」という目的のもとで任意団体を発足、障がいのある人や高齢の人などの不便さを解消するために活動した後に、この団体を発展的に解消し、1999年障がいの有無や年齢に高低に関わりなく、より多くの人が使いやすい製品、施設、サービスを開発する「財団法人共用品推進機構」を設立、2012年に公益財団法人資格を取得した。
障がい者・高齢者の消費者団体や行政、研究機関、工業団体また海外の関連団体等と連携して規格を開発し、サービスを高めその成果の普及啓発を図っている。規格が使われている主な製品はエレベーターの階数がわかるボタンの点字表示、携帯電話の着信などを振動・音声・光で知らせる機能、温水洗浄便座の流すボタンの位置、牛乳紙カップ飲料の上部空け口と反対側の半円の切り欠き等で、日本発の「共用品・共用サービス」に努め、バリアフリー社会の実現に努めている。>>詳細・手記
推薦者/酒井 久江
NPO法人 わぴねす(愛知県)
代表理事を務める梶田恵理子さんが大学生の時参加した中国ハンセン病回復村への訪問をきっかけに、ハンセン病への差別や偏見問題に取り組むことを決意。日本財団から世界で一番新規患者数が多いのがインドだと聞き、西ベンガル州の5か所のハンセン病コロニーで活動を展開している。日本から大学生を迎えてのワークキャンプでは、入所者の希望に沿って建物の修繕や教育支援を実施。また各コロニーの実態調査、教育支援、低金利で起業のための資金を貸出すマイクロローンも展開している。借りた資金を牛やヤギの購入費用に充て、年収が2倍になるという成功者も出て貸付を希望する人が増えている。また、団体が電動三輪自動車を貸出して、TOTOタクシーの仕事に就く支援も行っている。マイノリティの社会的地位の向上及び尊厳の回復の為、日本のみならず、インドの大学で講演会を行って、ハンセン病への理解と差別の防止にも取り組んでいる。>>詳細・手記
推薦者/樺沢 一朗
一般社団法人 日本摂食障害協会(東京都)
摂食障害は、拒食症(神経性やせ症)、過食症(神経性過食症)、過食性障害に大別され、生物学的・心理社会的要因が複雑に絡み合って発症する。主に思春期から青年期女性の心身症で、1980年代から患者数が増加している。欧米には摂食障害だけを包括的に診療するセンターがあるが、日本にはそのような施設はなく、日本摂食障害学会の有志が公的な治療施設の設立を目指して2010年に日本摂食障害協会の前身「摂食障害センター設立準備委員会」を発足、2014年4つの治療支援センターが稼働、2016年一般社団法人日本摂食障害協会となる。医師、心理士、栄養士等専門職のメンバーたちが、自助グループや家族会と連携して当事者や家族などの支援者へ情報提供、治療者の育成支援、啓発・予防活動、調査研究を行っている。
摂食障害は、1つの原因を取り除いて治すような治療ではなく、食生活、生活習慣、体と心を総合的にサポートし、医療機関のほかに自助グループや家族会など、人の力を借りて味方を増やすことが大切。子どもや女性の食と健康に関する正しい情報提供に力を入れている。>>詳細・手記
推薦者/NABA(日本アノレキシア・ブリミア協会)
特例認定NPO法人 とりで(山口県)
特定非営利活動法人とりでは、①児童自立生活援助事業(2か所 広島県大竹市山口県岩国市)②小規模住居型児童養育事業 ③子育て支援短期利用事業・夜間養育事業 ④退所児童等アフターケア ⑤子どもの貧困対策 ⑥放課後等デイサービス ⑦スクールソーシャルワーカー活用事業 ⑧成年後見人の8つの事業を行っている。2016年3月に若者の自立を手助けする為、団体を設立。翌月に山口県で初の女子専門の自立援助ホーム「そなえ」の運営を開始した。施設退所の女子だけでなく、家庭に居場所がない子等、入所や利用を希望する子どもへのアプローチを、関係機関と連携しながら、時にはFacebookやLINEを使って行っている。また、子どもの居場所作り事業では、学校長の理解を得て、校内等で、小学生に向けて塾や子ども食堂、朝食のサービスも行っている。>>詳細・手記
推薦者/広島県西部こども家庭センター 所長 内山 偉文
根津 さゆり(京都府)
根津さんは20歳の頃にのら猫を保護したことがきっかけで、保健所の殺処分方法を知り心を痛めた。その後不幸なのら猫を減らしたいと1980年から40年に亘ってのら猫を捕獲して不妊手術を行い里親探しを行う活動と、飼猫の多頭飼育崩壊を防ぐための早期不妊手術実施の啓発活動を続けている。京都市議会に不妊手術助成金制度の請願も可決させたが、十分とは言えず、活動趣旨に賛同してくれた獣医師の協力により、毎月数日間の手術日を決めてボランティアの協力により短期集中で大量に捕獲されたのら猫や保護猫の不妊手術をしている。その数は1年間で2,500~3,000匹、25年間で60,000匹にも及んでいる。短時間で日帰り手術が可能なため、他府県利用者も多い。不妊去勢時に検査や駆虫、ワクチン等済ませ、譲渡会で飼猫となることを目標としている。寄付は殆ど無く、費用の大半は個人負担している。ブリーダーの規制や生体販売等の問題提起を行い、様々な猫の現状をSNSで発信し不幸な猫を1匹でも減らしていきたいと、自身も2年前に発症した難病を抱えながら、犬猫のことを第一に考え、動物認定看護師として献身的で意欲的な活動を続けている。>>詳細・手記
推薦者/公益財団法人 どうぶつ基金
妊娠の初期に風疹に罹患すると先天性風疹症候群(CRS)という子どもの病気により、眼や耳、心臓にハンディキャップをもった子どもが生れて来る可能性につながる。そこでCRSと診断された子どもの保護者等が10人程で2013年8月に「風疹をなくそうの会」を結成した。わが国では、1994年に予防接種法の改正で、男女へのワクチンの定期接種が義務づけられ、しかも2回接種が一般的で、接種者の99%で感染予防が可能とされている。しかし、この中で女性のみが定期接種の対象であった頃の30代から50代前半の男性は風疹の抗体保有率が低く、この年代の成人男性を中心に風疹の全国的な流行が繰り返されている状況であった。このことから会では30代から50代前半の男性に向けての予防啓発活動とワクチン接種による風疹の排除を国(厚生労働省)に数えきれないほどの働きかけを行い、ようやく2019年から、3年間の時限措置で、この層の男性を対象に、抗体の有無の検査費用と抗体が十分でなかった場合のワクチン接種の費用を負担する対策を、自治体を通じて実施することを発表した。会では、このような風疹の国内流行を止める活動とともに、風疹予防のための学習や啓発活動、CRS児への支援活動、学会への発表等の活動を続けている。>>詳細・手記
推薦者/国立感染症研究所 感染症疫学センター 第三室(予防接種室) 室長 多屋 磬子
増井 さち(静岡県)
1994年に頸椎後縦靭帯骨化症と診断される。この病気は、背骨を構成する椎体骨の後ろの後縦靭帯と呼ばれる部位が骨化し神経を圧迫するようになる病気で、手足のしびれや、細かい動きが出来なくなったりするなど様々な神経症状が現れる。難病指定を受けており、国民全体の1.5〜5.1%が本疾患にかかっているといわれているが根治的治療は見つかっていない。増井さんは自身の発症後、静岡県内で同じ病気で苦しんでいる人のための患者会を創設。「交流に勝る良薬なし」をモットーに、患者会として患者の不安を軽減するよう、相談員として患者からのメールや電話での相談に応じたり、専門の先生による医療講演会の開催や相談会、交流会を開催し、患者同士の交流を深めている。また3か月に1度の会報誌の作成も行うなど、準備会を含め24年間にわたって会の代表として活動を続け、同じ難病を抱えている人やその家族のために尽力している。>>詳細・手記
推薦者/NPO法人 静岡県難病団体連絡協議会
瀧 香織(静岡県)
骨髄増殖性腫瘍(MPN)は、血液のおおもとになる造血幹細胞に遺伝子の異常が起こり、血液の細胞(血球)が過剰に造られてしまう病気の総称。増えた細胞の種類によって分類がわかれている。最新のWHO分類では7疾患がMPNに分類されている。瀧さんは、1999年に骨髄増殖性腫瘍のうちの1つである「本態性血小板血症」と診断された後、インターネットで他の患者と交流をしていたが、2001年から、海外の患者のメーリングリストに参加しながら、日本のメーリングリストで集まった患者同士で情報交換したり、英語の論文の要約の翻訳、病気に関する最新情報の提供、患者相談支援等を行っていた。2005年に患者同士が協力し支えあうことが重要と考え、「骨髄増殖性腫瘍患者・家族会」を設立。会員は現在130名程。地区医学顧問の医師を迎えて、勉強会、交流会を全国各地で開催したり、海外の活動にも参加し、日本での活動を紹介している。患者同士で悩みや希少疾患であることから国レベルでの指定難病への指定を目指して活動している。>>詳細・手記
推薦者/NPO法人 静岡県難病団体連絡協議会
NPO法人 セカンドハーベスト京都(京都府)
安全に食べられるにも関わらず廃棄されていた食品を集め、支援を必要とする人々を支える団体等に無償で提供する活動を通して、京都における食品ロスの削減とフードセーフティネットを両立させる社会インフラのひとつとなることを目的に2015年12月に設立。企業・団体や個人から提供された食品を生活困窮者支援団体や福祉施設などへ無償で提供する「定期配送」のほか、行政や支援施設の要請で生活困窮者に食品を緊急支援する活動を行っている。また家庭で余った食品を商業施設やイベント会場に持ち寄ってもらう「フードドライブ」活動も常設型や定期開催型を併せて実施し、こども支援プロジェクトでは学校給食のない、夏休みなどの長期休暇中に就学援助需給世帯に食品を直接届けるプロジェクトも行っている。フードバンクの食品取扱量は年々増え、昨年度は40を超える団体や60名余りの個人が参加し、21トンを超える食品量を取り扱った。
現在48の団体に食品を届けているが、食品の種類のバランスなども考え、寄贈品で賄えない食品は別途寄付金で食材を購入して補って提供している。今後も福祉制度でカバーできない部分に直接ピンポイントで支援していきたい。>>詳細・手記
推薦者/社会福祉法人 宏量福祉会 野菊 荘
株式会社 クラダシ(東京都)
食料自給率37%のわが国の食品廃棄量が2.759万トン、その内食品ロス(返品、廃棄、規格外品等)643万トン(農林水産省、環境省、「平成28年度推計」)、これは国民1人当たり毎日茶碗1杯分のご飯を捨てているのと同じ量になるといわれる。一方、世界中の飢餓で苦しむ人への食糧として約320万トンを支援している。この問題に少しでも対応しようと㈱クラダシは様々な理由で販路を失った食品メーカーの廃棄商品を、インターネットを活用して消費者のニーズとマッチングさせ、食品ロスの発生を削減するとともに商品の購入金額の3~5%が社会貢献団体へ寄付され、ポイントによりその活動も確認される社会貢献型のショッピングサイトを2015年に設立し運用している。
現在、会員数約10万人、協賛企業数800社、寄付された累計金額が約4,328万円。海外、環境、社会福祉、動物保護等を行っている団体が支援先になっている。2015年の国連サミットで重要なテーマとなり2019年に「食品ロス削減推進法」が施行される等、社会的な取り組みが求められるなかで㈱クラダシは、食糧の廃棄品が購入されることによりフードロスを削減するとともに購入金の一部が社会貢献につながる仕組みを運用し社会的な課題に取り組んでいる。>>詳細・手記
推薦者/株式会社 クラダシ
一般社団法人 小さないのちのドア(兵庫県)
代表理事を務める永原郁子さんは1993年に母子の健康のために神戸市北区にて「マナ助産院」を開業後、2,100人以上の赤ちゃんを取り上げながら、産後のママの育児支援も行っている。「神戸連続児童殺傷事件」等の少年犯罪や人工中絶の性の問題も多発する中で、「自分として生きることの大切さ」を伝えようと2000年には助産師仲間と「いのち語り隊」を発足し、幼稚園、小中高等学校、保護者、教職員に年間150か所余りでいのちの大切さを語っている。しかしながら、変わらず新生児遺棄事件等が起きる現実に、予期せぬ妊娠に悩む妊婦のために直接的な支援が必要だと感じ、2018年9月に24時間相談でき、来所も可能な「小さないのちのドア」を助産院の一室に併設した。
開所以降2年が経ち、約1万件、千人程の相談があり、その中には妊娠後期で病院未受診の女性からの相談も100件ほどあった。一方で民間団体と連携し、36人の赤ちゃんに「特別養子縁組」によって新しい家族が誕生した。この活動を通じて、相談だけではなく、居場所のない妊婦に出会い、継続的な支援の必要性を感じ、5人ほどの入居が可能な安全で安心できる「マタニティホーム」を助産院の隣に建設中。2017年度の厚生労働省の発表によるとゼロ歳児の虐待による死亡数が66人とあり、その全員が病院未受診である。その母親を非難することは容易いが、そうならない仕組みを考え、女性と赤ちゃんを救う活動を続けている。>>詳細・手記
推薦者/公益社団法人 家庭養護促進協会 橋本 明
ほうき民話の会(鳥取県)
鳥取県西部地域を主体に、伝承の民話を次世代へ語り継ごうと、2002年に結成された。50代から90代で構成される18名の会員が、隔月で再話の勉強会と公開で民話を語る「民話のへや」を、図書館と歴史館で開催している。また、小学校の朝読書で語り、民話のおもしろさや、想像力を膨らませる楽しさを伝えている。他にも地元で行われる数々のイベントに年15回程出向いて披露している。
語られる民話は、書物にかかれた書き言葉を、語り口調に直す「再話」といわれる作業をし、完成させる。地元の言葉で語る民話は、どこか懐かしく聴く人の心をほっこりとさせる。中海テレビの市民チャンネルで一日中放送され、人々に広く親しまれている。>>詳細・手記
推薦者/小林 龍雄
田中 ルーデス 千江美(静岡県)
日系3世の田中ルーデス千江美さんは、自身の体験から「言葉が分からず不安な人を助けたい」との思いで、四半世紀にわたり病気になった外国人のために医師と患者の通訳をしている。
静岡県浜松市は、楽器メーカーや自動車メーカー等の工業が盛んで、在住外国人労働者が多く、中でもブラジル人の多い都市である。在住外国人が体調を崩し、医師の診察を受けるには「言葉の壁」が立ちはだかる。田中さんも来日時は日本語の挨拶しか話せなく、病気になったとき日本語が話せないことで非常に苦労し、悔しい思いをした経験がある。自分と同じような苦労をしてほしくないとの思いから、困っている在住外国人に専門性の高い医療通訳をして助けている。
昼夜を問わず田中さんの携帯電話が鳴る。相談者から細かく話を聞いたうえで、病院や診療所へ送迎し、付き添って通訳する。不安に思う人たちを長年にわたり手助けしている。病院内だけの医療通訳をする人はいるが、個人的な相談や裁判所、警察署、刑務所などに通訳を兼ねて同行することもあり、多くの在住外国人を支えている。>>詳細・手記
ソマリアなどの紛争地で、テロと紛争の解決をめざし、いわゆるギャングやテロリストなどの暴力的過激主義者が武器を捨て、社会に戻るための支援をしている日本で唯一の団体。
代表理事を務める永井陽右さんは、2011年、早稲田大学1年時にアフリカを訪れながら世界の人道危機を調べるうちに、ソマリアが飢饉と紛争で「想像もできない比類なき人類の悲劇」に陥っていると知り行動を開始。同年9月に日本ソマリア青年機構を設立、2013年からは永井さんと同世代のソマリア人ギャングたちとの対話の場を作り、彼らを脱過激化して社会復帰させる事業を開始した。活動を続ける中で、ソマリアだけではなく世界のテロと紛争の解決に尽力しようと決め、2017年にNPO法人Accept Internationalに改称し、いわゆるテロ組織の投降兵や逮捕者を対象に、現地の刑務所や投降兵キャンプなどで彼らの脱過激化と社会復帰に取り組むようになった。
現在、ソマリア、ケニア、インドネシアの3か国で主に活動しており、これまでに間接支援を含め投降兵320名、逮捕者750名、ギャング151名の受け入れ、ギャング組織1つの解散、約1,500名の若者の過激化防止支援などの成果を上げている。>>詳細・手記
推薦者/秋葉 光恵
奨励賞の贈呈
- 顕著な活動の発展や拡大を継続中の過去の受賞者に奨励賞を贈呈しています。
上原 淳(第49回受賞者)
NPO法人 女性と子ども支援センター ウィメンズネット・こうべ(第47回受賞者)