KURATA PEPPER Co.Ltd.
1991年、内戦が終結したカンボジアは新たな国づくりへと動きだした。大学生だった倉田浩伸さんは、NGOの派遣隊員として同国を訪れ、経済基盤も生活環境も荒廃していることに衝撃を受け、この国の復興には土地に根付いて育つような産業が必要だと確信し、派遣期間終了後も再三訪問した。いくつかの農産物の輸出を試みては失敗を繰り返す中、内戦前の農業に関する資料から「胡椒」を発見。胡椒の買い付け販売、胡椒農家への投資、自社農園の運営に乗り出したが、輸出はなかなかうまくいかず、資金繰りも厳しくなり「撤退」の文字が頭に浮かぶ。そこへ2001年に秋篠宮ご夫妻が訪柬され、胡椒をお土産として購入されたことをきっかけに、編みカゴバックに入れるなど、パッケージを工夫してお土産品として観光地で販売すると飛ぶように売れ始めた。高品質のカンボジアの胡椒はヨーロッパ各国でも調味料として評判を呼び、カンボジアを世界有数のコショウ産地へ復活させ、自立のための産業の基盤の一つを築いた。今後は「カンボジアの人々に自国の良さを見直して欲しい。胡椒産業が若者の手によって拡大し人々の幸せに繋がるよう次世代を育成することが自分の使命」と語る。
11月の第55回社会貢献支援財団表彰式にお招きいただき、心から感謝申し上げます。
今回の受賞に伴い、カンボジアからスタッフが参加できなかったことはとても残念でした。
私達のクラタペッパーは、1994年に前身となる「K’s LINE International」を戦後間もないカンボジアに産業を特に農業を復興させたいという思いで発足させました。内戦の影響で地方の農産物の収量などのデータもなく、どこで何が生産されているかもわからない中、手探りで現地を回り調査を続けました。その後偶然入手できた1960年代のカンボジア農業統計資料から戦前はカンボジアに世界一と呼ばれるほどの高品質の胡椒があることが分かりました。ただその胡椒農園は戦争で壊滅的な被害を受けていて、以前の面影は残っていませんでした。そんな中、ポルポト政権後、奇跡的に数本生き残った胡椒の苗から栽培を復活させていた老人と出会います。彼曰く、「戦前はこの辺りは一面胡椒農園だった。このあたりの胡椒は世界一といわれていたんだよ。」と。
出資をして彼の息子ともう一度カンボジアの胡椒を世界一といってもらえるように畑から製品生産、販売までを一元化した農業法人へと変化していきました。カンボジアの人々が誇りを持てる産業にするために、そのリーディングカンパニーとして妥協のない製品づくりを始めました。品質が認められるようになるまでには、時間が必要でした。生産者の生活の安定を守る為、フェアトレードを目指していたのですが、その価値はなかなか認めてもらえませんでした。2001年に秋篠宮殿下妃殿下がカンボジアを公式訪問された際、お土産としてお求めいただいたことから、それまでの対日輸出の為の営業活動を止め、カンボジア国内でお土産として販売を始めたところ、ドイツ政府の目に留まり、2004年の一年間GTZ(ドイツ開発援助団体)の支援でヨーロッパの物産展にポスターを貼ってもらえるようになりました。翌年にはBBCがヨーロッパで有名なスターシェフと共にカンボジアに取材に入り、その番組が放映されたことで、カンボジアの胡椒が少しずつヨーロッパの人々に着目されるようになりました。私が始めた当初は20トンほどの生産量だったコショウもたくさんの地元の生産者が生産を始めたことで2010年までには6千トンにも広がり、現在では1万8千トンの規模にまで成長してきました。戦後30年近くが経ち、ようやく胡椒産業がカンボジアにも定着してきたように思います。
倉田 浩伸