NPO法人 エスペランサ
1994年国連NGOのボランティアとして、西アフリカのギニアビサウに派遣された馬場菊代理事長を含む女性10人らが、現地女性の自立支援の為、足踏みミシンを使っての洋裁や、識字教室を開催。その後、現地のカウンターパートもないことから1996年にNGOエスペランサを設立。同国は、国民の約6割が絶対的貧困状態にあり、世界最貧国の1つで、初等教育の就学率は67%。1998年に内戦が勃発したために国外退去となるが、翌年セネガルにあった難民キャンプにて600名程の女性に向けて活動を再開し、2001年から再びギニアビサウでの活動が始まると、里親制度の導入や私立の小・中学校を建設し、道徳教育を行う等、日本の教育を取り入れた独自のプログラムで学校の運営を開始。ここに通う一部生徒の学費は、里親制度を通じて日本人のサポーターと繋ぎ、卒業生の半分が大学に進学している。2019年にはギニアビサウでの法人化を達成した。
今回の受賞と式典に心から感謝です。このような時に、よくぞ決断して開催して下さったと思いましたし、暖かい雰囲気に包まれてとても慰められました。他団体の活動にも胸打たれました。日本財団の尾形理事が「皆さんの活動が日本の価値を高めるのです。」とおっしゃったことは励みになります。
26年前、ギニアビサウに踏み出す頃、シュバイツァーの「水と原生林の間に」を読みました。そこに「アフリカを助けることは『善き業』ではない。我々の義務である。」と書かれていたことが、私の心に深くしみました。ギニアビサウでだまされたり、泥棒にやられたり、マラリアにかかったりした時、シュバイツァーのこの言葉が思い起こされ、自分を励ましたものです。
今、私たちはギニアビサウの首都ビサウ市に小・中学校を建て、それを運営しています。
2003年に小学校、2009年に中学校を開校しました。
2002年の小学校建設の時、現地スタッフのネネ(現在は中学校の校長)とダンプカーをチャーターして砂や砂利を買いに行ったことが、懐かしく思われます。工事が始まると、人夫たちは朝7時前から仕事に取り掛かります。アフリカの太陽が照りつける中、よくがんばってくれました。彼らは昼ご飯を食べると休憩もせず、すぐ午後の仕事にかかります。ネネに「どうして休憩しないの?」とたずねると、彼は笑いながら、なんと「ババさんが怖いからだよ」ですって。
年月はアッという間です。小・中学校はそれぞれ課題を抱えながらも継続し、小学校は300名、中学校は500名ほどの生徒を抱えるようになりました。
誰もがこういう思いになるわけではないでしょうが、私はギニアビサウに行き始めて日本がいやになってしまいました。日本語しかしゃべらず、小さくまとまって、世界に目を向けない_。でも、今はちがいます。日本の使命を感じ、日本人であることを誇りに思います。
なぜでしょうか?ギニアビサウの人たちは純朴で、人懐こく、愛すべき人々です。でも、否定されるとすぐシュンとしてしまう。褒められると喜ぶ。誰でもそうかもしれませんが、それが顕著なのです。まるで子供みたい。一方、我々日本人は、地味だけれど、否定されても認められなくても黙々とやっていく。辛抱強い。人を慰め励ますことができる、お母さんのようだな一と思いました。日本人には、世界を包むお母さんのような役割があるように思えてなりません。今、そういうお母さんの心を持ちながら、更にがんばっていきたいと考えています。
理事長 馬場 菊代