社会貢献の功績
上原 淳
埼玉県は全国の中でも人口に対して医師が少なく、しかも救急病院は年々減少している。川越市内の高度救命救急センターで勤務していた上原医師は、軽症や中程度の患者が次々と運ばれ、同センターが本来診るべき重度の患者に集中できない現状から、救急体制はつぶれると危機感を抱き、2010年、初めて個人で救急専門病院「川越救急クリニック」を借金をして同市に開設。他の医療機関が外来に対応しない午後4時~22時に診療所を開け、その時間帯を過ぎても、夜間や早朝、自力で来る患者や、専門医がいないと救急病院に受入拒否された救急車を受け入れている。搬送されるほとんどの患者がその日に帰宅できる軽度だが、救急医療の現場は医師の長時間労働で疲弊している所に、軽症から重篤の患者が次々と運び込まれ、相応の医療が受けられない事態になりかねない事から、地域で軽度や中程度の急患を受ける仕組みが必要だと上原医師は訴える。救急病院での救急車の受入平均件数が年間750件に対し、同クリニックでは1800台を受け入れている。この救急クリニックのシステムについて、看護師等医療関係者からの賛同も多く、NPO法人を設立し、講演等を通じて普及に取り組んでいる。
このたびは、栄えある賞をいただき、ありがとうございました。
私は、埼玉県川越市に、川越救急クリニックという、ER型救急医療機関を開設し、休日・夜間の救急診療を行っています。首都圏、関西圏の郊外では、人口当たりの医師数が不足しており、救急の受け手が少なく、軽症患者から重症患者まですべてが3次救急機関(救急救命センター)に集中する傾向にあります。その結果、3次救急機関が軽症者に手を取られ、本来の機能が果たせず、地域の救急医療が崩壊の危機に面しているのです。
また、中等症以下の患者を受け入れる2次救急医療機関には、全身の広範囲な診察が出来る救急医や総合診療医はいません。その日の当直医が救急診療を受け持っていますので、自分の専門以外の患者は受入れないことが多いのです。
そこで私は、勤務していた救命救急センターを退職し、2010年に休日・夜間の救急初療に特化した川越救急クリニックを開業し、3次救急医療機関が本来の機能を果たせるようにしました。
現在我が国は世界でも類のない高齢化を迎えています。高齢者の多くが持病を抱えており、健康への不安とともに生きています。人間の不安は夜に強くなります。ちょっとした体調不良がきっかけで不安が強くなり、夜間医療機関を受診する高齢者がたくさんいます。彼らの受け皿として、救命救急センターや地域の基幹病院が受け入れるのはナンセンスです。
医療、特に救急医療はライフラインの一つと言っても過言ではなく、地域の救急医療が崩壊すると、そこでの生活が厳しいものになります。ER型の救急クリニックが存在することで、地域の救急システムがうまく回り始めます。今後も日本の救急医療を崩壊させないためにも、日々の診療とともに、救急クリニックを全国に広める活動を続けていきます。
今回、表彰式に出席して、数多くの方々が独自の取り組みを行って、社会貢献していることを知りました。一つ一つの取り組みに感心・感動したのですが、それとともに、「誰かを笑顔にしたい」、「誰かの支えになってあげたい」、「社会を良い方向に変えていきたい」という皆さん共通の想いを強く感じました。もちろん私もそういう想いを持って医療を続けていますので、「ああ、全国に、こんなに多くの同志がいるんだ」と非常に心強く、そして大変うれしく感じました。こういう志をもっと多くの人に広げて行けたら・・と思いますし、自分の活動が誰かの次の活動のきっかけになると良いなあと思います。今回は本当にありがとうございました。すべての受賞者、すべての財団関係者のみなさんに御礼申し上げます。