第49回受賞者一覧
(敬称略)
社会貢献の功績
- 精神的・肉体的に著しい苦労、危険、劣悪な状況に耐え、他に尽くされた功績
- 困難な状況の中で黙々と努力し、社会と人間の安寧・幸福のために尽くされた功績
- 先駆性、独自性、模範性などを備えた活動により、社会に尽くされた功績
- 海の安全や環境保全、山や川などの自然環境や絶滅危惧種などの希少動物の保護に尽くされた功績
- [補足] 社会貢献の功績は、日本国内での日本人並びに外国籍の方、海外での日本人による活動など、広い活動を対象とします。
池谷 修(ミャンマー)
ミャ ケイ ティイ(テレサ)(ミャンマー)
池谷夫妻は、長年日本とミャンマーの良好な関係作りに貢献している。テレサ夫人は、慈善活動中に出会ったヤンゴンのメリーチャップマン聾唖学校の中に職業訓練を兼ねた美容院を設立。これまで職業訓練は調理師やマッサージ師など、主に男子生徒のためのもだったが、女生徒の活躍の場が増えることになった。美容院では、日本並みの徹底した接遇の従業員訓練を受け、質の高いサービスを提供している。美容院と共に、敷地内には教員の寄宿舎、図書館、寮、食堂を私費で建設した。 >>詳細
推薦者/岩田 宏美
岡本 昌宏(神奈川県)
神奈川県横須賀市で2004年から児童養護施設や少年院等を退所後、受け入れ先のない青少年を、自身の会社(とび職)で雇用してきた。しかし、受け入れた青少年の多くが入社から2年の間に離職しており、その原因は「仕事の理想と現実とのギャップ」にあると考え、とび職以外の職場を体験できるよう選択肢を増やし、学習支援なども加えて多方面から自立を支える体制を整え、2016年に「NPO法人なんとかなる(以下、なんとかなる)」を設立した。「なんとかなる」では寮母さんのいるシェアハウスを運営し、衣食住を提供して職業訓練や学習支援を行い、施設利用終了後も継続的に支援を続けている。現在、児童相談所一時保護所、少年院、鑑別所、刑務所等から9名継続中。 >>詳細
推薦者/梅本 和正
大阪市西成区山王にある児童館。1964年にエリザベス・ストローム宣教師が同地区の自宅でこどもを預かり保育したのが始まり。同宣教師の帰国後、1983年に山王こどもセンターに改称し、学童保育活動を行うようになった。一次は財政難で閉鎖が決定されたが、保護者や支援者からの出資金で土地と建物を買い取り自主運営を始めた。1996年に社会福祉法人となる。利用料は原則無料で、幼児から大人まで、障がいのあるなしに関わらず、誰でもいつでも利用することが出来る。こどもたちの安全で楽しい放課後を守り、保護者が安心して就労できるよう地域の中に開かれたみんなの広場として運営している。 >>詳細
推薦者/生田 武志
2004年から茨城県土浦市を拠点に、予期せぬ妊娠を強いられた女性が、産んでも育てられない赤ちゃんを、子どもに恵まれない夫婦へ特別養子縁組する仲介事業を行っている。女性からの相談は無料電話相談で応じ、母子寮も用意して安心して出産できる体制を整え、これまでに322組の縁組を成立させてきた。 >>詳細
推薦者/矢満田 篤二
清田 悠代(大阪府)
心臓病の弟がいた経験から、病気の子どもに面会する親を、病院の廊下でひとりじっと待つ“きょうだいたち”にも心のケアが必要と感じ、日本ではまだあまり注目されていなかった、“きょうだい”を癒す活動に取り組んでいる。米国では病気や障がい等、特別なニーズを持つ子どもの“きょうだい”のケアが日常的に行われている中、日本ではまだ、そういった子どもたちは置きざりにされているのが現状。病気を患う子ども、その“きょうだい”、親、みんながそれぞれに家族に申し訳ない気持ちを持ち、遠慮し気を使っている。子ども時代の経験が性格にも影響を及ぼし、大人になっても心に傷を抱え、自己肯定感が低かったり、生きづらさを感じて精神科にかかるなど、更なる問題を発生させることもある。
清田さんは、「NPO法人しぶたね」を立ち上げ、病院で“きょうだい”と過ごしたり、彼らが主役になり親やボランティアとあそぶイベント、支援者に向けた研修や講演などを行っている。 >>詳細
清田さんは、「NPO法人しぶたね」を立ち上げ、病院で“きょうだい”と過ごしたり、彼らが主役になり親やボランティアとあそぶイベント、支援者に向けた研修や講演などを行っている。 >>詳細
推薦者/認定NPO法人 病気の子ども支援ネット 遊びのボランティア
中嶋 將晴(兵庫県)
ホルン奏者、日本地域活性化プロジェクト総合プロデューサー、舞台演出家などの肩書を持つ芸術家の中嶋さんは、1983年に芸術家や学者、弁護士など広い分野で活躍する人たちで構成された兵庫県芸術家協会(旧明石芸術家協会)を設立し、大きく3つの活動を行っている。一つは「兵庫県民のための三世代ミュージカルオペラステージ」の開催で、地域の人たちと作り上げる舞台公演。二つ目は「異人館の街に愛の調べチャリティーコンサート」の開催で、今年で34回目を迎え、収益は里親制度を推進する団体へ寄付される。三つめは、地域間交流や人々の絆を深め心を育てる「こころの教育大学」の開催で、趣旨に賛同する企業や、自治体などと連携し、各分野の専門家が集まりコンサートなどイベントを行う。音楽を通じたボランティア活動を続けている。 >>詳細
推薦者/橋本 明
食育ボランティア「結い」(愛知県)
名古屋市中川区で食育活動を行っているボランティアグループ。2007年からは主に中学生以上の知的障がいのある人たちに料理講座を開いている。障がい者が受講できる料理講座は少なく、キャンセル待ちが出るほどの人気。受講者の中にはスーパーのバックヤードに就職している人もいる。保護者からは「自分の出来ることが増え、自立に向けての自信につながっている」「帰宅が遅い日にはご飯の支度がされている」との声もきかれる。現在市内の2か所で開催しており、他にも障がい児の親子クッキング、施設入所者のクラブ活動としての料理講座なども行っている。料理講座以外にも、子どもから高齢者まで「バケツ稲作」の応援、食のおしゃべりを広げている。 >>詳細
推薦者/社会福祉法人 名古屋市中川区社会福祉協議会
德田 竜之介(熊本県)
熊本市で動物病院の院長を務める德田竜之介さんは、東日本大震災の視察で、災害時にペットが置き去りにされていた現状に、日本でのペットの扱いが欧米に比べあまりに劣っていて、災害の際の対応がまったく想定されていない事を痛感。自身の経営する同市内の動物病院を、耐震構造で、専門学校と病院を併設する、西日本一大きな動物病院に建て替えた直後、熊本地震が発生した。発生直後から、SNS等で受け入れを表明。日が経つにつれ、避難所で肩身の狭い思いでペットと一緒に過ごしていた被災者が噂を聞いて次々と訪れるようになった。1週間断水する中、学生やスタッフの協力もあり、延べ1,500人の被災者と1,000匹のペットを保護した。徳田院長は、熊本県下の避難所のペットをボランティアで往診する中で、動物と飼い主が一緒に避難する方が、人にも世話や散歩を通じて、身体・精神的に大変癒しになり、守るべきペットがいることは生きる力になり、ストレスを和らげることを実感し、同伴避難所の必要性を確信し、ペット同伴避難所を25%確保すること等を要望する署名を34,000集めた。また、日本のどこでも災害時には、必要な薬品等迅速に届けられるよう、熊本災害動物研究会を発足し、現在18の動物病院が賛同し、独自で横の繋がりを作ることに尽力されている。徳田院長は、日本でもペットと動物の関係は昨今大きく変わってきている、ペットに支えられている人が多くいることも踏まえて、災害時には弱者として対応することが必要と考えている。 >>詳細
推薦者/株式会社 本山設備
NPO法人 萌友(宮城県)
宮城県仙台市で市内で路上生活を余儀なくしているホームレスの人々に、ホームレス状態からの脱却、社会復帰を目指す支援をしている。またホームレス問題の啓発・研究を通し地域社会に還元することを目的に活動している。2003年に法人格取得。現在、スタッフ3名とボランティアが夜回りや炊き出しを行うとともに、民間アパートを2棟借り上げ(定員14名)、20代から70代の利用者に宿所提供をするなど、辛い思いをして一人で生きていくことが出来ない人を受け入れながら、仙台市と連携し活動を続けている。 >>詳細
推薦者/特定非営利活動法人 ワンファミリー仙台
山口 武雄(神奈川県)
1974年に山口獣医科病院を開業以来、犬猫の殺処分を減らそうと、年間約6,000頭の犬猫の不妊手術を行っている。同病院を動物愛護団体が開催する里親探しの会場に無償で提供したり、不妊手術後、元の場所に戻せない地域猫のためのシェルターを設置し里親探しも行っている。更に、災害の被災地で被災動物の治療と不妊手術を行っているほか、ブータンやタイでも同様の活動を続けている。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 どうぶつ基金
萱嶋 仁侠(大分県)
自衛官として勤務していた1976年から福祉施設などで手品のボランティア活動をはじめた。現在も大分県別府市を拠点に手品、こま回し、変面ショーなどを披露する慰問活動を継続し、2011年には1,000回を達成した。2013年に地震・水害等災害被災地激励芸能集団「絆」を発足させ、県内外で活動している。萱嶋氏個人としては、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本・大分地震後復興チャリティーショーに出演。東日本大震災時には義援金を贈る支援活動を行った。今後も継続的に慰問活動を続けていく。 >>詳細
推薦者/別府市ボランティア連絡会
飯尾 順子(鹿児島県)
鹿児島県出水郡長島町で医院を開業していた夫を長年支え、70歳を目前に同町から特別養護老人施設の建設を要望された。お世話になった地域に恩返ししようと、躊躇していた夫の背中を押し、園長になるための資格を取得して、2000年に町内で2つ目の特別養護老人ホーム「あかね園」を開設した。開園後は、飯尾氏を中心に職員たちの意見を積極的に取り入れ、利用者にとって過ごし易い環境を整え、日々研修を重ね、2007年にはデイサービスセンターも開所。あかね園は県内でも指折りの「離職率」の低さを誇り、町民から信頼され、愛される施設となった。飯尾氏は2015年に園長を退任したが、現在も副園長として園の運営に携わっている。 >>詳細
推薦者/長島町役場
喜納 正博(沖縄県)
沖縄県で6人兄弟の末っ子として生まれた喜納さんは、3歳の頃進行性筋ジストロフィー症と診断された。病気の進行により療養することとなり、沖縄にはない国立療養所に入るため、中学まで過ごした沖縄を離れ鹿児島の病院に入院し、そこで通信教育で高校を卒業した。20歳まで生きられないと告げられていたが、このまま一生を終わらせたくないと、鹿児島県内の障がい者訓練校に入り、簿記1級・珠算2級・ワープロ3級の資格を取得。その後沖縄に戻り結婚、子供を授かったことから、これまで支えられっぱなしだった自身に初めて責任という課題が出来たという。その後、沖縄県内に国立療養所が出来、医療の進歩により存命期間が長くなると、病院で一生を過ごす同病の人たちに、生きる喜びをと、在宅で療養する患者のケアをする会を設立。今年、沖縄で初めての障がい者の為の自立マンションやグループホームが完成した。パソコン教室やデイサービス等を通じて、障がい者支援と介護保険支援を両輪に、利用者目線による障がい者通所施設、老人ホーム、デイサービスなどを運営する総合介護事業所を次々と立ち上げ、障がい者の雇用も積極的に行っている。 >>詳細
推薦者/一般社団法人 日本筋ジストロフィー協会
全国ろうあヘルパー連絡協議会(大阪府)
会員個々は高齢ろう者の介護サービスに日々従事し、会としてろう者の訪問介護事業所や障がい者地域支援センター、グループホームの設立などに取り組んでいる。1997年に社団法人大阪聴力障害者協会が民間の助成を受けホームヘルパー派遣事業を始めた取組みが、他県にも広がり、その経験を分かち合う「ヘルパーを語る会」が回を重ね、2003年に現在の組織に発展した。現在「ヘルパーを語る会」は「輝け、ろうあヘルパーの明日につなげよう!フォーラム」に改称され、年2回の研修も実施している。近畿、東海、関東、北信越にブロック組織を持って活動している。 >>詳細
推薦者/中川原町連合町内会
北海道を拠点に、「もっと外に出たい」「何かしたい」と思いながらも自宅にこもりがちな障がいのある子どもたちの活動範囲を広げようと、医師、看護師、養護学校教師、歯科医、福祉施設直員等が集まり、障がいのある子と親や兄弟姉妹が参加する1泊2日のキャンプ「障がい児のアドベンチャースクールいけまぜ夏フェス」を1997年から開催している。年に一度のキャンプの準備を一年がかりで整える大掛かりなイベントで、北海道全域と日本の各地から参加者と参加者を支えるサポーターが集まる。参加者はゲームや運動会、花火、朝のラジオ体操をしたり、開催地の地域の人々が作る夕飯のカレーライスなどを皆で楽しく食べる。当初は札幌市で開催していたが、地域での医療・療育・教育のシステムが連動し、多くの子どもたちの活動が広がっていくことを目的として第6回目から毎年場所を変え、地域行政の連帯のもと19回目の今年は登別市で開催された。 >>詳細
推薦者/加藤 久実子
アメリカで開発された、子どもへの暴力防止プログラム(CAP)を普及する日本の団体として認可を受けた同会は、これまで20年に亘り、子どものいじめ、大人からの虐待・体罰・誘拐・痴漢・性暴力を含めた様々な暴力から、子ども自身が自分のからだと心を守るための知識とスキルを、大人も含め、提供する暴力防止ブログラムの推進を行っている。また平行して、養成講座を全国で開催し、多くのスペシャリストを育成している。日本では子どもの暴力に、学校以外の組織が介入することがほぼない中、現在全国に140の実践グループが存在する中、32都道府県でのCAPグループ設立とプログラム提供活動に寄与し、これまで539万人以上の大人と子どもがプログラムに参加した。子どものころに受ける虐待やいじめ、ネグレクトは、人格形成に大きな影響を及ぼし、一生トラウマを抱えたり、心の病が自死や、大人になって自身が子どもを虐待、家庭内暴力に繋がることもある。この負の連鎖を断ち切るために、早くに第三者が救出することが必要で、こうした子どもへの予防教育により、着実な暴力防止の成果を挙げている。 >>詳細
推薦者/ウィメンズセンター大阪
宇治市介護者(家族)の会(京都府)
京都府宇治市で1986年から、高齢者を介護する介護者の辛さや心細さを少しでも和らげ、介護者を取り巻く環境を改善することを目的に活動を始めた。介護保険制度が導入され、介護の形態が変化する中で、介護者同士で互いに支え合うため、情報共有できる地域の集いの他に他の地区の介護者の会との交流会や医師等の専門職と講師として招いた講習会や学習会を毎年開催している。また、地域のポータルサイト「eタウン・うじ」を通して一般市民へ情報発信を行うとともに介護者の生の声を行政に反映させる活動を約130人の会員が続けている。 >>詳細
推薦者/宇治市
中村 信也(東京都)
東京家政大学教授で医学博士の中村信也さんは、7年ほど前に出席した学会で、児童養護施設などで暮らした子どもたちが高校卒業後に進学を希望しても、学費を捻出することや奨学金で進学しても返済に苦労するなど非常に厳しい状況にあり、進学を断念せざるを得ない現状であることを知った。彼らにこそ就学の機会を持って欲しいと2010年に「中村信也就学基金」を設立した。毎年ほぼ2名に、これまでに完全給付で12名の学費(約2千万円以上)を支援している。支援を受けて進学、卒業した人たちは保育士、ホテルマン、化粧品会社勤務などの職業に就いている。 >>詳細
推薦者/高橋 亜美
島田 豊実(兵庫県)
歯科医師である島田さんは、2000年に歯科医院を宝塚市に開業以来、2008年から近隣の児童養護施設で暮らす子どもに対し、無料で矯正歯科の治療を行っている。施設の子どもは、そこに来るまでの生活環境から、歯の健康状態が悪い子が多い。親からの虐待やネグレクトにより、口くう崩壊が生じ、ボロボロの歯並びになって、食べられなかったり、笑うことをためらっていた子どもが、治療をきっかけとして、人前に出ることが楽しくなったと、コンプレックスの解消につながっている。子どもが劣等感を抱き、就職や結婚に不利益を被らないようにと、通常数10万から100万円ほどかかる治療を無償で行う。2012年に西宮市へ移転後、神戸市、兵庫県の30施設に拡大、現在、近畿ブロックの100施設を対象としている。夢や進学を語り合う会や職場見学会等を開催し、彼らと関わる中で、施設出身の子どもの大学進学率が11%と極端に低いことに着目。地域共生を元に、大学進学までのさまざまなロールモデルを作り、今年も大学進学を出するなかで、今春より、近畿の都道府県、政令指定都市の子ども課をまわり、矯正治療のボランティアならびに大学進学へのロールモデル作りを紹介している。 >>詳細
推薦者/島田 豊実
子どもの貧困率は全国平均で6人に1人と言われている中、離婚率が高い北海道では5人に1人の割合。生活困窮や母子家庭の数に比例して子どもが一人で抱え込んでしまう問題も多くある。そんな状況を背景に、2004年北海道で初めて、18歳までの子どもが誰にも言えない悩み等を話せる「チャイルドラインさっぽろ」が開局した。子どもたちに、悩みを話せる所、「チャイルドラインさっぽろ」の存在を周知するため、これまで13年間、北海道全域の小中学校に、26の市教育委員会・140の町村教育会と連携し、45万6千枚の電話番号を記載したカードと、学校に2千枚のポスターを配布し、聾啞学校や特別支援学級も含め、普及に努めている。また、電話を受けるボランティアの養成研修も行っていて、子育てが終わった人や、心理学を学ぶ大学生などが受講する。メールやネットが主流の中、電話の声を通じて、誰かと繋がっていたい、聴いて欲しいという子どもは増えていて、人間関係・恋愛・いじめ・体に関する事など内容は多岐にわたり、不安・つらい・さびしいと訴える。2015年度の受信数は7,119件にも及んでいる。2017年に「チャイルドラインほっかいどう」へ名称を変更した。
※チャイルドラインは1970年代に北ヨーロッパで発祥されたと言われており、日本で初めて開局したのは1998年、現在では40都道府県で70余団体がチャイルドラインの活動をしている。 >>詳細
※チャイルドラインは1970年代に北ヨーロッパで発祥されたと言われており、日本で初めて開局したのは1998年、現在では40都道府県で70余団体がチャイルドラインの活動をしている。 >>詳細
推薦者/認定特定非営利活動法人 チャイルドライン ほっかいどう
小平 晴勇(長野県)
「君は顔がおもしろいから落語をやりなさい」という高校時代の恩師の一言で、落語研究会を設立し、校内で落語会を開いたところ受けに受け、落語の魅力に引き込まれ、落語家で諏訪市内に寿司屋を営むあいらぶ祐介師匠に弟子入りし、以来、同市で寿司屋とアマチュア落語家の二足のわらじで47年になる。県内2,500ヵ所の福祉施設などで、古典から創作まで51本の落語のネタをボランティアで披露している。落語の他に切り絵、飾り寿司の講師、ラジオのパーソナリティ、チンドン屋、創作落語台本作家としても活躍中。最近はブラジルや中国からも高座の依頼が来ている。 >>詳細
推薦者/山田 哲郎
難病患者が抱く悩みや不安は病院や役所では相談しづらい事から、同団体は2003年から佐賀県下を中心に、年間6,000件以上の難病患者の生活・就労・医療・福祉等多岐に渡る相談に対し、ケースワーカーやハローワークの担当者、医療関係者ら専門家との連携により、患者ひとりひとりに対してのケース会議を開催し、今後の生活への不安の解決、生活の質を高める為のきめ細かな支援活動を行っている。病状の悪化により、退職を余儀なくされた患者に、理解ある企業を紹介するなど、生活も含め、心と体を支える活動により、これまでに100名以上の難病患者の就労に寄与してきた。熊本地震では、混乱の中で支援を言い出せなかった患者の経験を通じて、緊急時には、薬や必要な医療介助について提示出来るように、病名や症状、主治医、治療法や服用している薬等も記載できる、緊急医療支援手帳を行政と協働で製作する他、緊急避難を想定して、難病患者への避難訓練も実施している。 >>詳細
推薦者/佐賀県庁 県民環境部 県民協働課
門戸 竜二(千葉県)
「大衆演劇のプリンス」と呼ばれ数々のステージで演じる俳優として活躍しながら、大阪府岸和田市の児童養護施設「岸和田学園」「あおぞら」が主催する「にじいろ夢コンサート」へ出演し、出演する施設の子どもたちへ演技指導を2010年から行っている。門戸さん自身も同学園の卒園者。人の心を動かす仕事に就きたいと役者を目指し、小さい頃別れた母に会えるかもしれないと本名を芸名にしている。「親がいないために運動会や学芸会で注目されることのない子どもたちにスポットライトを浴びる喜びを知ってもらい、自己肯定感を持ってほしい」と活動を始めた。同コンサートの収益の一部、物販の売り上げやファンからの募金は「にじいろ”夢”基金」に寄付され、施設を卒園し、進学、就職していく子どもたちへの支援などに充てられている。 >>詳細
推薦者/社会福祉法人 大阪府社会福祉協議会
金森 忠一 金森 泰子(神奈川県)
泰子さんは、夫の忠一さんの飲酒問題について学ぼうとセミナーに参加した後、1985年に発足したばかりの「パトリス家族会(アルコール依存症の家族の会)」に参加し、これまでずっと運営に携わっている。忠一さんは、泰子さんの心配りを察して、自らの飲酒問題を解決しようと1990年に「川崎断酒新新生会」「神奈川県断酒連合会」に入会して断酒を継続しながら、会の事務局長や支部長、会長などを務め、会員の断酒継続を支援している。泰子さんは、2007年に川崎断酒新生会の中に休会中だった「つばき家族会」を再開し運営に携わっている。忠一さんは、川崎市麻生区で活動する他の7団体(うつ病や認知症、精神障がい者の家族の会など)とともに「ASAO健康井戸端会議」を1990に発足に携わり、現在代表を務めている。同区社会福祉協議会や保健福祉センターと連携して、精神疾患を持つ人の通所施設2ヵ所の設立に取り組んだ。アルコール依存症の問題、飲酒運転撲滅運動、心の病の人たちへの理解を深めるための地域での長年に渡るボランティア活動を継続している。 >>詳細
推薦者/田中 元介
鈴木 次郎(宮城県)
宮城県仙台市で1999年に結成された「台原森林公園にホタルとメダカを呼び戻す会」(2011年に現在の「仙台旭ヶ丘ホタルとメダカの会」に改称)に発足当時から所属。ゲンジボタルの保護に取り組み、ホタルの幼虫の餌となるカワニナ(巻貝)が減らないように、カワニナが好むキャベツの葉を川底に置いて増殖に取り組んでいる。生息地の環境の保全、飛翔期には鑑賞者のために行灯の設置、小学生のホタルの里見学の案内などを行っており、地域の人々から「ホタルの鈴木さん」と呼ばれ親しまれている。また、日頃から町内会の役員、小学生の安全見守り、公園の清掃や除草などにも取り組んでいる。 >>詳細
推薦者/仙台旭ヶ丘ホタルとメダカの会
平田 弘子(広島県)
広島県福山市で、路上生活者支援に取り組んでいる。20年近く前から路上生活者への炊き出しや弁当配布、生活相談支援を始め、同市と協働しての活動も15年以上にわたり、路上生活者の入院、入居保証人、亡くなった後の葬式までも対応してきた。支援を受けたひとたちからは「おかあさん」と呼ばれ慕われている。平田さんは6年余居住していた尾道市から、月2回福山市に通い元路上生活者の居宅生活支援として、居場所作りの「きんようきっさ」を開設、今年7月には福山へ転居し、路上生活者も人の心は同じ、民族の区別もないと活動を続けている。 >>詳細
推薦者/福山市
ラブ・ジ・アース実行委員会(東京都)
ラブ・ジ・アース実行委員会はバイク(オートバイ)乗りに向けて「バイクに乗れるからこそ感じられる自然から得た気持ちを大切にして、地球のために何かを始めよう」と、バイク業界で広告業や出版業に携わる北村明広さんの呼びかけで2002年に発足した任意団体。2003年から毎年春と秋に日本各地の海岸で「ラブ・ジ・アースミーティング」と呼ばれるボランティア清掃活動を主催している。これまでに30回開催され、延べ1万2000人以上が参加している。回収するゴミは漂着ゴミが多く、数トンに及ぶこともある。清掃活動後にはステージイベントを行い、チャリティーオークションを実施して、売り上げをWWF JAPANへ寄付しており、10年以上継続されている。また「ラブ・ジ・アースミーティング」に参加したバイクショップなどが自主的にそれぞれの地域の海岸清掃を行うことが増え、開催の告知やノウハウの伝授、当日のサポートなども行っている。 >>詳細
推薦者/浅井 大典
伊万里市カブトガニを守る会(佐賀県)
牧島のカブトガニとホタルを育てる会(佐賀県)
佐賀県立伊万里高等学校 理化・生物部(佐賀県)
佐賀県伊万里市の牧島地区に生息し、絶滅危惧種Ⅰ種に選定されているカブトガニを保護するため、協働して調査・研究・保護活動を行っている。1992年には92のつがいまで減少したが、地道な活動によって2011年からは毎年400~500のつがいが見られるようになった。2017年には677つがいを確認している。2015年に保護を進めていた繁殖地は「伊万里湾カブトガニ繁殖地」として国の天然記念物に指定された。伊万里市カブトガニを守る会は1979年から、牧島のカブトガニとホタルを育てる会は2006年から、佐賀県立伊万里高等学校理化・生物部は1962年から活動を行っている。 >>詳細
推薦者/伊万里市教育委員会
大辺路刈り開き隊(和歌山県)
和歌山県南部の熊野古道大辺路は2004年7月に富田坂、仏坂、長井坂が世界遺産に登録されたものの、ルートの未確定、古道の未整備が多く大辺路全ルートを通して歩くことができなかった。そこで2004年から古道探査を開始し、古地図や年長者の協力で古道ルートの確定、藪に覆われた古道を地元の人々の協力を得て刈り開き、不法投棄されたゴミの回収等を続けた結果、2016年10月24日に刈り開いた古道が世界遺産追加登録される成果を果たした。 >>詳細
推薦者/新宮山彦ぐるーぷ
コーラル・ネットワーク(神奈川県)
世界中で行われている科学者・地域住民・レジャーダイバーによるサンゴ礁モニタリング(観察・監視)「リーフチェック」を日本国内で普及・推進するため、1998年に設立されたネットワーク。リーフチェックの結果は公開され共有されている。活動を普及するため、勉強会やワークショップ、サンゴ礁モニタリングリーダー養成講座の開催を行っている。事務局長の宮本育昌さんは国際会議等に参加し、日本国内のサンゴ礁保全の取り組みを紹介する提言活動も行っている。 >>詳細
推薦者/NPO法人 黒潮実感センター
中村 豊(宮崎県)
1989年から、日本近海固有の天然記念物で、推定生息数6,000~10,000羽の絶滅危惧種カンムリウミスズメの生態調査と保護活動を、世界最大の繁殖地である宮崎県門川町の枇榔島で行っている。カンムリウミスズメは平均体重162gで、海の中をペンギンの様に泳ぐ海鳥。中村さんの調査により、ここで繁殖したカンムリウミスズメは、3~4ヶ月かけて関東沖の海域にたどり着き、サハリン付近まで北上し、日本海を通って、1年かけて枇榔島に戻ってくることを解明した。世界に生息するうちの約3,000羽が生息する枇榔島は、無人島で天敵となる哺乳類は生息せず、最大の天敵は島を訪れる釣人らの残した餌めがけて飛来するカラス類だが、中村さんは対策として、門川町役場を通して渡船に働きかけ、釣人への注意喚起や啓発活動を行った。また、小魚を餌にするカンムリウミスズメが、漁の網にかかってしまうことから、操業中にみかけたカンムリウミスズメの情報提供を漁協へ協力依頼したり、門川町役場の社会教育課と共に、小中学生や一般の地元住民を対象とした講演会や観察会を開催し、カンムリウミスズメのことを知ってもらうための啓発活動を行っている。さらに町の観光資源としての利用を行政に呼び掛け、町興しと絶滅危惧種の鳥や繁殖地の保護保全に取り組んでいる。 >>詳細
推薦者/門川町
特定非営利活動法人 時ノ寿の森クラブ(静岡県)
静岡県掛川市の小さな山村で育った松浦成夫さんは、故郷の里山の過疎化が進んで小川は涸れ、森林が荒廃して周囲の環境に悪影響を及ぼすのを憂いて、森林間伐作業を賛同者と共に2006年に開始し、2009年から植林作業も進め、翌年からはNPO法人として活動することになった。東日本大震災や紀伊半島大水害を契機に、「山から海までの市民が手をつなぎ、森林資源を生かした安心・安全なまちづくり」の必要性を痛感し、2012年に市民協働の「いのちを守る『希望の森づくり』プロジェクト」を開始した。19人で始まった活動は、現在は17法人を含む市内外の192人の会員を有するまでになり、間伐した面積は360haを超え、11万本に達する植林を行った。このように森づくりを通じて、都市と山村が支え合い、森と共生する循環型社会を目指して活動を続けている。 >>詳細
推薦者/掛川市役所
兵庫県神戸市水上消防管内で消防団員をしている原本静雄さんが、救急インストラクターの資格を取得し、サッカーのワールドカップ日韓大会で救護所警備をしたのを機に、救命手当ての普及活動を行うようになり、仲間と共にNPO法人として発足し、2010年に同市消防局の民間救急団体に登録された。「神戸ルミナリエ」や「神戸花火大会」などのイベントの救護活動にボランティアで参加している。救護活動の範囲を広げようと、救護車両を購入し、車椅子やAEDをはじめとした救急活動資機材もとりそろえ、東日本大震災ではいち早く現地入りして救護活動や物資発送などを行った。 >>詳細
推薦者/神戸市水上消防署
点字サークル「蓮」(大阪府)
大阪府門真市で1973年から久谷洋子さんを中心に、点訳活動と点訳ボランティアの育成を目的に結成され、点訳本の製作や視覚障がい者(児)と新年会やハイキングなどの交流会、アルミ缶(リングプル)の回収、同市社会福祉協議会の広報誌の点訳、点字カレンダーの作成などを行っている。点訳本は大阪府を中心に京都、奈良、和歌山、島根、秋田など各県の盲学校10~13校へ年間200冊程寄贈している。 >>詳細
推薦者/門真市立市民公益活動支援センター みんなのかどま協議会
岐阜県揖斐郡谷汲の山間地の余剰地を、地域住民が社会貢献に使用したいと考え、農林業を取り入れた障がい者福祉施設として2002年に開設された。地域の耕作放棄地や雑木林、竹林を借り受けて、利用する人の適正を考えながら「農業班」「燻炭(くんたん)」班などのグループに分け、米や野菜の生産、燻炭づくりを行い販売もする、また利用者が仕事を持てるよう、業務用の機材を使用して行う清掃業(クリーンサービス)や地元産の小麦を使って生産販売するベーカリーを運営し、好評を博している。施設は19歳から64歳までの男女が利用し、利用者の家庭の経済的、精神的な負担の軽減はもとより、山村過疎地の活性化にも大きく寄与している。 >>詳細
推薦者/堀口 賢一
更生保護法人 ウィズ広島(広島県)
ウィズ広島は、昭和10年から、刑務所や少年院を出ても行き場のない人の為の更生保護施設として、彼らの社会復帰の準備、再チャレンジのための支援活動をしている。昨年は127名の利用者を受け入れ、全国から入所の希望も多く、他の施設から受け入れを断わられた人も快く受け入れ、稼働率は90%にも届く。 25年前、再犯により刑務所に戻ってしまった利用者から、「あのときは希望を持つことができなかった」と手紙に書かれていた事をきっかけに、利用者の心に働きかけ、希望をもって新たな人生を歩んでいくためのサポートに重点を置く体制へとシフトしていった。福祉の専門職員を含め職員の数を増やし、ボランティアとして臨床心理士やカウンセラー等からも協力を得て、薬物やアルコール等の依存や持病、生活への不安等の相談にのるなど、心に寄り添った活動を行っている。また、退所後の生活の安定のために、金銭管理シートを一緒に作成し話し合うなど、年間200回近いイベントを通じて、社会生活に溶け込んで行くため、心のリハビリや、退所した後の社会での生活に不安や寂しさを感じたらいつでも相談に来てほしいと、心と施設の扉を開いて活動を続けている。 >>詳細
推薦者/更生保護法人 全国更生保護法人連盟/更生保護法人 函館創生会/更生保護法人 両全会
2005年に、炭鉱の町として栄えた福岡県田川市で、子どもたちのかけこみ寺として団体を設立。以来引きこもりや、少年院を出院し保護観察中で、更生保護施設の入所を断られたり、親の引き受けが困難な、全国の少年少女の最後の砦として、子どもたちの生き直しを、ボランティアと共に見守り、共同生活をしながら社会性を育み、一人で生きていく力を養うためのサポートを行っている。少年院を出た子どもたちは、元の場所に戻ると再犯の可能性が高く、環境を変えることが必要で、出所後直ちに更生施設で、信頼できる大人に出会い、生き直しの道筋を示す事が、最も再犯を防ぐ上で重要で有効であることを、この団体の卒業生の再犯率の低さが証明している。これまでに150人以上の少年少女と関わり、数年間に亘る共同生活をしながら、生活指導・カウンセリング・学業や就職のサポートを行い、卒業した少年らはボランティアとして団体をサポートする側にまで成長している。また、2016年には全国で唯一となる、女子少年専用更生保護施設を開設し、NPO法人としては全国初の法務大臣の認可を受けた他、知的・精神・発達障害者の福祉施設も共同運営している。 >>詳細
推薦者/特定非営利活動法人ロージーベル
彦山 ひろみ(愛知県)
愛知県みよし市で1995年から、「知的障害者授産所にささやかな援助ができればいい」とアルミ缶の回収を一人ではじめたところ、それが地域の人々に拡がり、彦山さんを中心に分別ごみステーションを自主運営することになった。やがてそれを知った行政が動き、町営のリサイクルステーションが設置されるまでになった。彦山さんが始めた小さな活動の成長とともに町の人々が触発され「住むからには都にしよう」という機運が高まり、ボランティア団体が次々と誕生し、なかでも生活スタイルを重視した、自主防犯クラブを立ち上げ全市に広がった。現在は地元大学と共催する筋トレ講座や自宅を開放して高齢者の居場所作りなど人と人の結びつきが育まれる活動を続けている。 >>詳細
推薦者/社会福祉法人 みよし市社会福祉協議会
森 泰子(宮崎県)
1962年から宮崎県警察宮崎北警察署内に理容室を開き、署員の散髪のほか、留置施設内に収容された暴力団を含む被疑者の散髪も臆することなく請け負っている。他の警察署では被疑者の散髪を理容師が怖がり、苦慮しているところもあるが、森さんは分け隔てなく客として接し、時には励ました。被疑者の中には釈放後「ありがとう。また切りに来ます」と挨拶に来る者もいて、更生にも寄与している。警察署内理容室は全国にもあるが、森さんは大病を克服し、54年間現役で散髪続けている。 >>詳細
推薦者/坂元 健児
愛知県を拠点に、鑑別所や少年院を出た後の少年少女の立ち直りをサポートする団体として発足し、2014年にNPO法人に認定された。青少年が犯罪を犯すと、警察・鑑別所・少年院・保護観察官と関わる大人が次々と変わり、信頼関係を構築できないまま社会に戻される。子どもたちが犯罪に走る根底には、心を許せたり相談できる大人に出会って来られなかった、という事も一つの要因にあると考え、鑑別所や少年院面会からスタートし、信頼関係を構築しサポートを進めていく。サポート内容は、①鑑別所や少年院での面会、手紙のやり取りをする「施設内サポート」②施設を出た少年少女らの就労、就学、余暇の支援を行う「社会内サポート」③施設を出た後の自立準備ホームやシェルターでの保護する「住まいのサポート」④少年少女たちの家族の相談に応じる「家族向けサポート」の4種類。逮捕されてから社会復帰後まで、犯罪を犯した子どもとその親も同時に、非行経験のあるスタッフとそうではないスタッフが二人一組でサポートを行い「再非行を減らし、笑顔を増やす」活動を続けている。 >>詳細
輪の会(広島県)
1966年に広島市の理・美容師によって設立された奉仕グループ。障がい者施設の職員から利用者を理・美容院に連れていくのにとても苦労されていると聞いて、近隣の理・美容師に声をかけ活動が始まった。月に4日の少ない休みのうち1日をボランティアに費やし、当初交通費も自腹だった。同県内の肢体不自由児入所施設若草園と広島平和養老館に毎月1回無料のヘアカット訪問ボランティアを続け、今年で52周年を迎える。これまでに443人のボランティア会員が述べ3万人の髪の毛をカットしてきた。 >>詳細
特定非営利活動法人 カコタム(北海道)
北海道札幌市内で、経済的な理由や家庭環境によって十分な学習環境にない子どもたちを対象に学習支援を行っている。2011年から高橋勇造さんが学習ボランティアを開始し、2014年に法人化。スタサポ事業と呼ばれる、主にひとり親家庭、親が病気の家庭の子どもなどを対象にしたマンツーマンの学習支援に最も需要がある。この他、市内の高校の授業をサポートするスクールサポート事業や学び直しを支援するリラーニング事業、1回100円で利用できる「ゆるきち」という中高生のオープンスペースを運営している。 >>詳細
特定非営利活動法人 グリーンバード(東京都)
2003年に誕生した原宿表参道発の参加型ボランティアプロジェクトで、街の清掃、「ゴミのポイ捨てカッコ悪いぜ!」PR活動、企業や団体等のコラボレーション活動を行っている。街のおそうじ活動は現在、国内外85チームとなり、チームごとに定期的な清掃活動を行う。2007年にはフランス・パリにも波及し、開始当初は街の清掃に対する考え方の違いから奇異な目で見られたりもしたが、今では参加者の9割がフランス人で活動している。また海の日に大々的に行れる清掃プロジェクト「海の日ごみゼロアクション」の開催や毎月どこかで行われるイベントに参加して行う「イベントそうじ」なども開催している。 >>詳細
認定NPO法人 フローレンス(東京都)
子どもの病気で欠勤したことが原因で勤務先を解雇された女性がいると聞いた駒崎弘樹さんが、「子育ては親だけがするものではなく、社会みんなで関わるべき」という理念の下、2003年から活動を開始したNPO法人。日本初の試みの、病気の子どもを保育スタッフが家庭を訪問してケアする「訪問型・病児保育サービス」事業を開始した。また待機児童問題には、「定員20人以上でなければ認可保育所を作れない」といった規程を逆手に取り小規模保育所「おうち保育園」をオープンさせた結果、この取り組みをモデルとして制度化された「小規模認可保育所」が国の認可事業となった。その他、障がい児保育問題、ひとり親家庭の貧困問題、孤(子)育て問題などを解決するための「モデル」を作って実践し、全国に波及させ、地域の力で子育てと仕事を両立できる社会づくりを目指し、共働きやひとり親の子育て家庭をサポートする取り組みを行っている。 >>詳細
上原 淳(埼玉県)
埼玉県は全国の中でも人口に対して医師が少なく、しかも救急病院は年々減少している。川越市内の高度救命救急センターで勤務していた上原医師は、軽症や中程度の患者が次々と運ばれ、同センターが本来診るべき重度の患者に集中できない現状から、救急体制はつぶれると危機感を抱き、2010年、初めて個人で救急専門病院「川越救急クリニック」を借金をして同市に開設。他の医療機関が外来に対応しない午後4時~22時に診療所を開け、その時間帯を過ぎても、夜間や早朝、自力で来る患者や、専門医がいないと救急病院に受入拒否された救急車を受け入れている。搬送されるほとんどの患者がその日に帰宅できる軽度だが、救急医療の現場は医師の長時間労働で疲弊している所に、軽症から重篤の患者が次々と運び込まれ、相応の医療が受けられない事態になりかねない事から、地域で軽度や中程度の急患を受ける仕組みが必要だと上原医師は訴える。救急病院での救急車の受入平均件数が年間750件に対し、同クリニックでは1800台を受け入れている。この救急クリニックのシステムについて、看護師等医療関係者からの賛同も多く、NPO法人を設立し、講演等を通じて普及に取り組んでいる。 >>詳細
特定非営利活動法人 CCV(栃木県)
栃木県鹿沼市で、当時小学校教諭だった福田由美さんが、教室で落ち着いていられない子や集団生活が苦手な子が増えたと感じ、発達障がいについて学び、個別指導をしていたところ、指導を受けていた子と受けていなかった子では中学校進学後に違いが表れていたことがその後の調査でわかった。小学校で現れる不適応のサインを見逃さず対応することが重要と考え、教員をやめて自宅で学校に適応できない子の居場所を作り、その後2009年にかつての教え子の保護者とともにCCVを設立した。現在、フリースクールから就労継続支援B型事業所、グループホーム等障害福祉サービス事業所を行政と地域ボランティアの協力を得て運営している。 >>詳細
臼杵 尚志(香川県)
北アルプス最奥部の夏季山岳診療所「三俣診療所」で、1977年からボランティア活動を40年間にわたり続けている。この活動は岡山大学の医学生が1964年に始めたもので、医師・看護師・学生によるチームが1班4~5日を担当し、夏山シーズンの1ヶ月間交代で診療にあたる。臼杵医師は学生の時に初めて参加し、その後運営の中心となった。1995年に香川医科大学(現香川大学医学部)に移籍した後は、登山者や岡山大学教程の変化を受け、香川大学学生の運営参加も実現させた。毎夏50名程の受診者を診療するが、診察費・薬品代共に無料である。一方、全国23の山岳診療所に呼びかけ、情報共有のためにデータを収集、その情報は診療所間で共有され、登山者講習等に用いられる他、スポーツ庁主催の山岳遭難対策協議会へも提供されている。 >>詳細
京都わらび会(京都府)
京都府内で1980年に設立された稀少難病患者と児と家族で希少なため患者会のない疾患を対象とする日本で唯一の任意団体。現在24種類の疾病患者や家族87人が参加している。「独りぼっちにさせない」をスローガンに、福祉面、最新医療情報の紹介、電話相談、患者がひきこもりにならないよう遠足などの各種イベントも開催する。また研究を進めて貰えるように各医療機関、各種団体、厚生労働省などへの要望活動も行っている。赤いヘルプマーク(外見からわからなくても援助や配慮を必要としている人が、周囲の人に知らせるマーク)の運用の働きかけを市や府、交通機関にも行っている。 >>詳細
近親姦虐待被害の当事者(以下当事者)同士がつながり、「お互いの回復と成長を語り、学びあいながら、健康的な社会生活を取り戻していこう」をスローガンに、Self Help (自助グループ)事業を主軸にした非営利活動をしている任意団体。当事者自身が主体となって、近親姦虐待被害に特化したピアサポートを2013年発足以来行っている。さらに活動のもう一方の軸として、同年7月からは、この問題に対する啓蒙活動を行うSIAb. Projectを始動し、家族や支援者、治療者、援助職および加害者を含む社会全体に向けて情報発信の活動も行っている。 >>詳細
沖縄県竹富町黒島にサンゴ礁生物の調査などを目的に1975年に設立された研究所で、島の自然と文化を調べている。近年では、啓発活動にも力を入れ研究所内に常設の展示施設を設け、博物館的な役割も担っている。また、全国の大学から研修や学芸員実習を受け入れる学びの場ともなっている。2011年の東日本大震災の影響で減少した観光客と伝統漁法の衰退問題を解決しようと、観光客に向けてウミガメの標識放流調査(標識札を付けて放流し、成長や回遊経路などを調査する)を「ウミガメ勉強会」として開催している。勉強会で放流するウミガメを伝統漁法「かーみーかけ」で確保することで、ウミガメ漁も継続されている。今では毎年約1,000人が勉強会に参加し、人口200人の離島における観光業や地域活性にも貢献している。 >>詳細
推薦者/早稲田大学環境総合研究センターW-BRIDGE
株式会社 クラロン(福島県)
福島県福島市に1956年に故田中善六氏によって創業されたスポーツウェア製造販売会社。「職業を通じて社会に奉仕する」をモットーに、創業以来、障がい者、高齢者、女性の正規雇用に積極的に取り組んでいる。特に社員134人の内、36人が障がい者で、全員正社員として迎えている。県内トップの実雇用率。また、女性社員が100人。60歳以上の社員は24人、最高齢は81歳の女性営業課長。60歳の定年以降65歳まで再雇用制度は勿論、その後も健康で勤労意欲のある社員は、希望するまで一年毎に引き続き延長勤務が可能。国籍、年齢、障がいなどにこだわりのない雇用により会社を運営している。 >>詳細
推薦者/特定非営利活動法人 チームふくしま
古谷 滋子 古谷 寿彦(高知県)
妻の滋子さんは、定年後は子どもの未来のために、山や森など自然の中での遊びを通して、様々なことを学ぶ遊びの場を造ることをライフワークにしたいと夫の寿彦氏に相談。少年野球の監督をしていた夫も大賛成し、高知市福井町に1600㎡の山を購入。ボランティアと自分らの手で、放置されていた山野を整備し、芝滑りやロープ登り等、手作りの遊び場を造り、2005年から、近隣の保育園・幼稚園・小学校の子どもたちに開放している。また6名のボランティアと共に、毎月イベントを開催、昔の遊び道具~竹とんぼやしゅりけん、みずてっぽう、竹馬などを手作りし、子どもたちが創意工夫して、体を触れ合わせながら遊べる環境を提供している。また、高知県の民話を紙芝居で見せるなど、毎回30~80人の子どもと保護者が参加し好評を得ている。事故が起こった時の責任問題という不安もあったが、子どもたちが生き生きと遊べる私設の「あそび山」を造る決断をして13年目を迎えている。 >>詳細
推薦者/川北小・中学校卒業生有志
東京都新宿区の日本点字図書館内に拠点を置き、一般の小中学校で学ぶ視覚障害児童・生徒の教科書・教材を点字化する活動を行っている。盲学校で使用する教科書は、点字出版所が作成した全国統一の一種類だが、一般校では地域によって教科書が違い、それぞれの児童・生徒独自の多種多様な教科書を点字化せざるを得ない。点字出版所だけでは対応が難しく、点字出版施設や点訳ボランティア団体などが集まり2005年に会の発足に至った。毎年、点字教科書作成の実態調査も行い、2回の研修セミナーも開催している。現在30以上の施設やボランティア団体などが会員となり活動している。 >>詳細
推薦者/社会福祉法人 ぶどうの木ロゴス点字図書館
奨励賞の贈呈
- 顕著な活動の発展や拡大を継続中の過去の受賞者に、毎年1件奨励賞を贈呈しています。
一般社団法人 日本聴導犬推進協会(第47回受賞者)