社会貢献の功績
喜納 正博
沖縄県で6人兄弟の末っ子として生まれた喜納さんは、3歳の頃進行性筋ジストロフィー症と診断された。病気の進行により療養することとなり、沖縄にはない国立療養所に入るため、中学まで過ごした沖縄を離れ鹿児島の病院に入院し、そこで通信教育で高校を卒業した。20歳まで生きられないと告げられていたが、このまま一生を終わらせたくないと、鹿児島県内の障がい者訓練校に入り、簿記1級・珠算2級・ワープロ3級の資格を取得。その後沖縄に戻り結婚、子供を授かったことから、これまで支えられっぱなしだった自身に初めて責任という課題が出来たという。その後、沖縄県内に国立療養所が出来、医療の進歩により存命期間が長くなると、病院で一生を過ごす同病の人たちに、生きる喜びをと、在宅で療養する患者のケアをする会を設立。今年、沖縄で初めての障がい者の為の自立マンションやグループホームが完成した。パソコン教室やデイサービス等を通じて、障がい者支援と介護保険支援を両輪に、利用者目線による障がい者通所施設、老人ホーム、デイサービスなどを運営する総合介護事業所を次々と立ち上げ、障がい者の雇用も積極的に行っている。
公益法人社会貢献支援財団より社会貢献賞を頂いたことは、私に自信を与えてくれました。それは筋ジストロフィー症という病のよって他の人とは違った私が、生きる上で思い知らせられてきたからです。
私なんかはとはという気持ちの中、それでも人の役に立ちたいという思いを抱いて、筋ジストロフィー協会の支部長を前任者の病により引き受けて懸命に同じ病の方の悩みや、研究機関に一日も早く治療法を開発してもらえるようと願い、力を尽くしたつもりです。
そして、筋ジス協会では「一日も早く」という合言葉がある様に、これから生まれてくる未来ある子供たちに、私の様に病で辛い思いをさせたくないと思う気持ちで、筋ジス協会の活動にも率先し携わってきました。
思い起こせば、私をこの賞に推薦してくださった日本筋ジストロフィー協会はじめ、主治医やパソコン教室を開業する時に力になってくれた大学の教授など、数え切れない方々の支えと励ましが私の原動力になっていたことは間違いありません。
今回の私の晴れの受賞は、私の人生になくてはならない存在の妻、晴美に見届けて欲しかったのですが、14年前に病で他界しそれはもうかなう事はありません。しかし、私を病院から救い出してくれたかけがえのない妻に、世話になるだけの私が社会貢献者賞を頂けたことは、妻への恩返しになったのではないかと思います。
多くの方々のお力添えがあり、私一人の力では成しえなかった事を考えるとお世話になった多くの方々と共に頂いた賞であると大変考え深く感謝の念に堪えません。
現在私は、総合介護事業所を経営していますが、お年寄りや障がい者の方々に生きがいを感じ喜んでもらえるように社員共々頑張っていますが、やはり社員にも支えられています。300名余りの社員が在籍し、ある時「こんな頼りにならない社長でごめんね」と言ったことがあります。するとある社員が「居てくれるだけで十分です」と言ってくれました。この言葉は、私の存在意義を感じた瞬間でもありました。
今後も人との関わりを通して社員と共に力の限り、心の限り社会貢献できるよう邁進していきたいと思います。
今回の受賞は、これから私の生きるビジョンをこれで良かったのだと確信させてくれた社会貢献者賞でありました。またこれからの大きな後押しにもなり、自信をもって生きていく糧になります。その様に思わせてくれた財団に心より感謝申し上げます。