星川 安之
1980年、トミー工業株式会社(現タカラトミー)に入社後、障がいのある子どもたちが遊べる玩具開発に携わり、目の不自由な子どもたちの玩具(メロディボール等)の開発を行った後、1991年に企業人やデザイナー、主婦や学生、障がいのある人とともに「バリアフリー社会の実現」という目的のもとで任意団体を発足、障がいのある人や高齢の人などの不便さを解消するために活動した後に、この団体を発展的に解消し、1999年障がいの有無や年齢に高低に関わりなく、より多くの人が使いやすい製品、施設、サービスを開発する「財団法人共用品推進機構」を設立、2012年に公益財団法人資格を取得した。
障がい者・高齢者の消費者団体や行政、研究機関、工業団体また海外の関連団体等と連携して規格を開発し、サービスを高めその成果の普及啓発を図っている。規格が使われている主な製品はエレベーターの階数がわかるボタンの点字表示、携帯電話の着信などを振動・音声・光で知らせる機能、温水洗浄便座の流すボタンの位置、牛乳紙カップ飲料の上部空け口と反対側の半円の切り欠き等で、日本発の「共用品・共用サービス」に努め、バリアフリー社会の実現に努めている。
感謝と共に次のステージへ
この度は歴史と重みのある社会貢献者表彰を賜り、誠にありがとうございました。
私が取り組んでいる障害の有無、年齢の高低に関わらず共に使える製品・サービスの普及を始めたきっかけは、学生の時に行った重度重複障害児の通所施設に手伝いにいったことでした。言語が不自由な脳性麻痺の子供たちが必至で話しかけてくれる中、療育士の「ここの子供たちが遊べる市販のおもちゃがないのよね」の一言は、解きがえのある応用問題を出してもらったように感じました。トミー工業株式会社(現タカラトミー)に、「障害児のおもちゃを作りたいのですがそのような部署はありますか?」に、当時の人事課長は「今はそうゆう部署はないけれど、いずれできるかもしれない」の言葉を信じ、入社試験を受けて入社。入社半年後の9月1日、初代社長の三回忌の日に、障害児におもちゃを研究開発する部署が新設され配属になりました。1年目、さまざまな障害のある子どもたち約1000人に会いどんな玩具なら遊べるかを聞き廻りました。2年目はまずは視覚障害児に絞り、30秒間メロディが鳴るボールの開発や触って遊べるゲームの開発販売へと進みました。順調に進むはずだったこの事業ですが、プラザ合意による円高で、障害児専用のおもちゃを開発する余裕がなくなりました。その時、経営者側と話し合い出した結論は、専用玩具ではなく共に遊べる玩具への移行でした。一般のおもちゃ、試作段階で工夫をすれば、もっと多くの玩具が障害のある子どもたちにも遊べるという発想です。そこからは、それまで以上に、外部の障害のある人たちとの共同作業が始まりました。企画段階、試作段階で、同じテーブルに座り、障害のある人と意見交換しながらの作業です。その結果、共に遊べる共遊玩具の第一号が、同社から発売になり、日本だけではなく欧米でも販売しヒット商品となった。共遊玩具は、トミー一社だけでなく、業界全体で行って意味がでるとの社の判断で、1990年から玩具メーカーを統括する社団法人日本玩具協会に部会が発足され、業界全体の活動になりました。私は最初の一年、午前中トミーで勤務し、午後、日本玩具協会で業界での共遊玩具の普及活動に従事した。マスメディアにも共遊玩具はとりあげられ、他業界の企業から自分たちも一緒に活動したいとの連絡をもらい、それがきっかけで発足したのが多くの業界や企業で共用品の推進をめざす市民団体E&C(エンジョイメント・クリエーション)プロジェクトです。8年間活動したE&Cプロジェクトは、更に事業を発展・展開するために1999年、共用品推進機構という名称の財団法人になり、日本産業規格(JIS)や国際規格(IS)にも取り組んでいます。
社会人になった1980年からの40年を振り返ってみると、常に障害のある人達との共同作業でした。それはとても楽しい時間でした。違いを知った時、共に課題を見つけた時、共に課題の一部が解けた時、41年前に受け取った「ここの子供たちが遊べる市販のおもちゃが少ないのよね」の応用問題が解けた気持ちによさを感じます。けれど、すぐに更なる「応用問題」が、あらゆる角度から出題されています。しかし、これも同じ問いに向かって障害のある人とない人が共に解いていけばいつか必ず解け、また、楽しい時間が待っていると信じています。
この度の受賞を機に、共用品・共用サービスの普及を更に加速させ、誰もが暮らしやすい共生社会の一日も早い実現を目指し次のステージに向かう所存でおります。
星川 安之(公益財団法人 共用品推進機構)