金城 雅春
ハンセン病回復者である金城雅春氏は、1990年の沖縄愛楽園自治会の会長に就任したことをきっかけに、人権啓発活動を開始。ハンセン病の歴史を沖縄県下の幼稚園や学校、また全国での講演活動を行う他、愛楽園で行われる人権や平和学習のフィールドワークを牽引し、年間5,000名の受け入れを行っている。
講演では、ハンセン病の病気の特徴や歴史を説明し、劣悪な環境の元で隔離されたり、患者宅が放火されるなど、現代に通じるいじめ問題と重ねて、偏見や差別をなくすための活動を行っている。この結果、講演を聞いた中高生らからの反応も大きく、学校の現場で人権を考えるといった意識改革にもつながっている。
この度、公益法人社会貢献支援財団から社会貢献者表彰という身に余る大きな栄に浴することができ、感激と同時にまことに光栄に存じています。
表彰式への出席に心を弾ませ準備を進めていましたが、私のいるハンセン病療養所は平均年齢85歳の高齢でハンセン病の後遺症と基礎疾患を持っている方たちです。そういう中で生活していますので、新型コロナウイルス感染症が広がり、感染者が多く出ている東京へ行くのは、キャンセルすることになりました。大変残念に思っています。沖縄県でも発生率は全国4位で高止まりして、行動の制約を受けております。
私は高校2年生の時にハンセン病を発症し、在宅での治療を行いながら通学、卒業後は本土大学に進学するがハンセン病の治療薬はどこに行けば手に入れることができるのか分からなかった、特に病状に変化は無いのでそのままにしていました。実家に戻って働き始めると毎日の残業で無理がひびいたのか、身体がだるく微熱が続き病院で腎炎と診断され入院しました。しばらくして皮膚に炎症ができたのでバイオプシーでハンセン菌が出ており、ハンセン病の治療を再開しました。愛楽園入所してビックリしました。なせなら元気な青年達数多くいたからです。どうしてなのか話しを聞きに自治会に行き、資料室でいろいろと調べているうちに、ハンセン病の法律があることがわかり、私たちを縛っているのはこれだと確信し自治会活動に参加しました。
みなさんハンセン病という病気があったのを知っていますか。世界中に古くからあった病気です。発症すると家族と離れて物乞いをして生活をしていました。日本では明治40年にハンセン病に関する法律ができ、大正時代になりこの法律は強化されました。療養所の施設長は、施設の秩序を乱す入所者を特別病室なる監禁室に閉じ込めることを行いました。
明治40年から続いてきた法律が平成8年に廃止されたのを機会に、ハンセン病に対する偏見差別が無くなるとみんなで喜びましたが、世の中にはびこった偏見差別は変わらない状態が続いていました。
1990年沖縄愛楽園自治会長の就任をきっかけに人権啓発活動を開始、人権や平和を考えるフィールドワークをはじめ、愛楽園の歴史を通して偏見差別についてお話ししています。
2015年に「愛楽園交流会館」が設立されその運営に関わると共に、年間約5000人の来館者や10校を超える学校に出向き小中高校の子供たちにハンセン病の歴史、人権や平和についての講話や講演を行いその輪が広がっているのを感じています。