田中 ルーデス 千江美
日系3世の田中ルーデス千江美さんは、自身の体験から「言葉が分からず不安な人を助けたい」との思いで、四半世紀にわたり病気になった外国人のために医師と患者の通訳をしている。
静岡県浜松市は、楽器メーカーや自動車メーカー等の工業が盛んで、在住外国人労働者が多く、中でもブラジル人の多い都市である。在住外国人が体調を崩し、医師の診察を受けるには「言葉の壁」が立ちはだかる。田中さんも来日時は日本語の挨拶しか話せなく、病気になったとき日本語が話せないことで非常に苦労し、悔しい思いをした経験がある。自分と同じような苦労をしてほしくないとの思いから、困っている在住外国人に専門性の高い医療通訳をして助けている。
昼夜を問わず田中さんの携帯電話が鳴る。相談者から細かく話を聞いたうえで、病院や診療所へ送迎し、付き添って通訳する。不安に思う人たちを長年にわたり手助けしている。病院内だけの医療通訳をする人はいるが、個人的な相談や裁判所、警察署、刑務所などに通訳を兼ねて同行することもあり、多くの在住外国人を支えている。
私がこれまで歩んできた道は、「間違っていない」「意味があることだ」と報われた気持ちでいっぱいになりました。このような賞を頂くとは、夢にも思っておりませんでした。栄誉ある賞を頂き、まことに光栄に存じます。
振り返れば、日本に初めて来たのは30年ほど前のことです。仕事を探しに来日し、浜松のカセットテープの組み立て工場で働きました。日本語が分からず、言葉の壁にぶつかる日々でしたが、2人目の子ども授かったとき、大きな壁に直面しました。産婦人科で何を言われているかまったく分からず、途方に暮れてしまったのです。それからは、辞書を引いて日本語を猛勉強する日々になりました。無事に出産を終えると、「病院に付き添ってほしい」と日本語が分からない同胞のブラジル人から頼まれるようになりました。それから、総合病院や診療所に付き添い、通訳を務めるようになり、25年ほどがたちます。
困っている人を助けたい、という気持ちだけで続けてきました。頼ってくれるブラジル人は、日本語が十分に分かりません。医療の現場では、言葉が分からないことは命に関わる問題です。であれば、自分にできることがあるなら、やるべきことをやる。その一心で彼ら彼女たちの助けを求める声に応えてきたつもりです。「無理」とか「できない」という言葉は、私は使わないようにしています。とにかくやる。それが大事だと考えています。
「努力は、きっと誰かが見てくれている」。母が常々、口にしていた言葉です。その言葉を、私はかみしめています。人生で、賞状をもらうのは初めての経験です。本当にうれしく思います。医療通訳は、命に関わる仕事です。常に正確な情報が求められるため、日々、勉強の毎日です。これにおごらず、努力を重ねていきたいです。
かつて、ブラジルに渡った私の祖父は、内科医でした。戦前に熊本県から海を渡り、コーヒー農園で働きながら、体調不良に悩む日本人の相談に乗っていたと、母から聞きました。私にも同じ血が通っているのだとしみじみと思います。不思議な運命です。
このたびは、本当にありがとうございました。