社会福祉法人 もやい聖友会
“おたがいさまで笑顔がいっぱい”を理念に、入居しても「地域の住民」「社会の一員」として生活していけるよう、地域との繋がりのある高齢者施設をつくりたいと権頭喜美惠さんが2011年に設立した法人。権頭さんが創りだした施設は、特別養護老人ホームでありながら、入居者やその家族以外に多くの人が出入りしていて、貸出スペースにはヨガやカルチャースクールに参加する中高年や、子どもの相談会に参加する父母、塾で学ぶ子どもたち、施設内のカフェには赤ちゃん連れのお母さんがランチに訪れ、さまざまな年齢の地域住民が繋がる中心的場所となっている。月1度開催されるマルシェには、地元の農家や小売店が出店し、毎回多くの地域住民や子どもたちが訪れる。開放的で明るいことから高齢者施設だと知らない人も多い。子どもや赤ちゃんの笑い声、美味しい匂いが漂い、併設するFM放送局からは、認知症の人がDJとなる楽しい番組放送等も行う。“報酬はオムツとミルク”といった「赤ちゃん職員」が採用され、主に高齢者との交流を担当する。言葉を普通に話すようになったら退職といった面白い制度も導入している。「認知症行方不明者捜索模擬訓練」を行っているが、地域の人が顔見知りになれば、気になる高齢者や子どもにも声かけがしやすくなると狙いもある。また、週3回一緒に食事をするという条件で学生に無料で高齢者施設に住んでもらう取り組みは、学生が社会問題について考える機会となり、高齢者も会話で脳が活性し、異世代がひとつ屋根の下に共に暮らすメリットを双方が享受している。
この度、第60回社会貢献者表彰の受賞にあたり心より御礼申し上げます。また、受賞式典にもスタッフと共に参加させていただき、多くの社会貢献者の方との出会いやご縁にも感謝の気持ちでいっぱいです。次に向かって心新たに一致団結、パワーアップしたように感じます。
私は、もともと子育てをしながら教職についておりましたが、夫が医師であることもあり、1994年より診療所の開設、運営に携わるようになりました。そこでは、地域の方とお話をする機会が増え、障がい者を抱えた家族、老々介護、認知症介護、ひとり親家庭など、さまざまな問題をひとりで抱え、どこにも相談出来ず悩まれていらっしゃる方がたくさんいることを知りました。出会いと経験の中で、この目の前の人をどうにかしてあげられないものかと考え、福祉について大学で学びなおしこの世界に飛び込みました。
私自身の過去の経験から、人と人の繋がりの大切さを感じていたため、まず、2003年に介護の相談窓口である居宅介護支援事業所を、そして、通所介護、認知症グループホームを開設しました。事業所の方針として、とにかく、知らない人でも声をかけるということから始めました。
その業務の中で、療養型病棟で経管栄養に繋がれ、その管を抜かないように両腕を拘束されている高齢者との出会いがありました。その方は、毎日、毎日、言葉を発することもなく、目にするのは病室の白い天井のみといった状況で、言い方は悪いですが「生かされている」状態のように思えました。その衝撃的な光景を目にして以来「生きることは何か」を考えるようになりました。ちょうどそのような時、北九州市では特別養護老人ホームの公募がありました。老人ホームは「終の住か」とよく言われますが「亡くなる瞬間まで笑顔で生きるお手伝いがしたい」そのような思いを込めて資料を作成し応募、結果、最高得点で選定され、同じ思いを持つ職員達と共に、入居しても「地域の住民」「社会の一員」として生活を送っていただこうと施設運営だけでなく「マルシェ」「赤ちゃん職員」「認知症啓発活動」「子ども食堂」「FMラジオスタジオ」「地域開放型の特養」「農業」等さまざまな活動を始めました。
その活動は、地域の方、地域を思うスタッフ達によって、高齢者だけでなく次の世代に生きるを繋ぐ「繋活」を意識して、未来の子ども達の笑顔のために、地域の人と人が繋がるごちゃまぜな多世代による幸福度の高い地域共生社会を目指しています。
このような大きな変化の時代に、まだまだ課題も多く、今からやらねばならないこともたくさんありますが、これからも社会福祉法人が出来る社会貢献活動のモデルケースとして精進して行きたいと思っております。
この度は本当にありがとうございました。感謝の気持ちで一杯です。