年度別受賞者一覧

第53回 社会貢献者表彰 受賞者一覧
(敬称略)
【功績の内容】
  • 海難・水難、交通事故、遭難等に際し、身命の危険を冒して救助・救援に尽くされた功績
  • 犯罪等の発生に際し、身命の危険を冒してその解決に協力された功績
  • 災害・事故・犯罪の発生を未然に防いだ功績
  • 精神的・肉体的に著しい苦労、危険、劣悪な状況に耐え、他に尽くされた功績
  • 困難な状況の中で黙々と努力し、社会と人間の安寧・幸福のために尽くされた功績
  • 先駆性、独自性、模範性などを備えた活動により、社会に尽くされた功績
  • 海の安全や環境保全、山や川などの自然環境や絶滅危惧種などの希少動物の保護に尽くされた功績
最上 都寿美(茨城県)
最上 都寿美
2018年1月19日午後1時頃、都内から自宅へ戻るためJR常磐線下り列車に最上さんは乗車していた。松戸駅を過ぎた辺りで、隣に座っていた妊婦の様子が苦しそうだったので声をかけると、「陣痛がはじまった」「臨月だ」とのこと。最上さんは驚いたが、妊婦はまだ話をする余裕があったので、様子を見守っていた。
柏駅に着くころ、更に苦しそうになった妊婦は「破水した」と言って床にくずれてしまった。最上さんは偶然持ち合わせていたバスタオルを取り出し、妊婦の下に敷いた。近くにいた女性に別のバスタオルを渡して周りから見えないよう妊婦を囲ってもらった。列車が駅に到着したときに、最上さんはホームに出で駅員に「発車しないで!」と大声で伝えた。何事かとやってきた駅員に事情を説明し、タオルや毛布を持ってきてもらうように依頼した。
車内に戻ると「もう無理です!」言いながら妊婦がズボンを脱ぎ出したので、「なんとかするしかない!」と最上さんは意を決した。「もう産まれる」という声とともに赤ちゃんの頭が見え、瞬く間に生まれた。駅員から借りた毛布に赤ちゃんを包み、救急隊の到着まで介抱し、母子のピンチを救った。  >>詳細・手記
推薦者/取手市長 藤井 信吾
田口 智恵(熊本県)
田口 智恵
2018年8月20日の昼頃、熊本港のフェリー乗り場の乗船券を販売するカウンターで勤務中だった田口さんが同僚の男性から「港内に人が浮いている」という一報を受けたのは、島原から到着する船が入港する10分前だった。スタッフは着岸の準備を行うためそれぞれの持ち場に散らばっており、動ける人が少なかった。
田口さんが現場に駆け付けると、まさに船が着岸する所に人が浮いていた。その人の生存を確認し、浮輪を投げ入れるが上手く掴んでもらえず、同僚らと手分けして船の入港を緊急停止させ沖に停泊させると、トライアスロン出場の経験が後押しとなり、満ち潮を確認した。携帯電話等をポケットから出し靴を脱ぐと、制服のまま階段を下りて飛び込んで女性の元に泳いでいった。女性に近づいた田口さんは、これから救助を行うが、決して自分に触らない様に告げ、仰向けにしてフェリーが着岸した際に車を乗り降りさせる可動橋までバックストロークで泳ぎ、自身は一旦階段まで戻ったが、階段が高く水上から届かなかったので、再度可動橋まで戻り引き上げてもらった。
現場は、施設の下が深くえぐれていて奥に流される可能性や、船のスクリューに巻き込まれたり、壁にびっしり張り付いている牡蠣等で、怪我をしていたかもしれない一刻を争う救出だった。  >>詳細・手記
推薦者/公益財団法人 警察協会
佐藤 定子郎(北海道)
佐藤 定子郎
2018年8月14日の早朝6時頃、新聞配達を日課としている佐藤さんは、配達後に仮眠していると、「助けて!火事!」という叫び声と共に飛び起きた。隣の棟3階の部屋から火と煙が濛々と出ていた。佐藤さんと管理人は同時に駆けつけ、玄関から呼びかけるが、「煙で目が痛くて開けられない!」とパニックになった父親の声。そこへ、上の子どもだけが玄関ドアを開けて飛び出してきた。その子を管理人に託して避難させた。子どもがドアを開けたことで玄関からも勢いよく煙が噴き出す。もう一人いるはずの子どもと父親に声で誘導するように何度も呼びかけていると、ようやく父親が子どもを引きずるようにして出てきた。二人とも目が見えずパニックになっており、佐藤さんは子どもの反対側の手を掴んで、二人をアパートの1階まで誘導し屋外へ救出した。
その後、逃げ遅れた人がいないか、再び棟内へ戻って確認を行った。その後、助けた子どものところへいくと、恐怖のあまり佐藤さんに抱き着いてきた。その勢いで子どもと一緒に後ろに倒れ込み、子どもをかばったために佐藤さんは左ひじを負傷。元航空自衛隊ということもあり、佐藤さんの冷静で的確な救出行動が親子を救い、逃げ遅れなどによる被害の拡大を防いだ。  >>詳細・手記
推薦者/美唄市消防本部
京都ファミリーハウス
高度先端医療を求めて、京都市内には全国から多くの難病患者が集まってくる。京都ファミリーハウスは、そうした患者に付き添う家族へ、宿泊施設を1日1,500円という安価で提供し、患者家族を支援している。病院から近く、布団や炊事道具や冷蔵庫、洗濯機などの家電も据え付けられ、自分の家にいるような感覚でリラックスできるプライベートの部屋を用意し、時には患者が食べたい物をキッチンで作って持参することもでき、料理することで気晴らしにもなるという。患者を第一に考えて長期間慣れない土地で看病し続ける家族にとって、心身の疲労に加え、高額治療費、自身の宿泊費や交通費などの経済的負担が重くのしかかる。
現代表の古賀會委子さんをはじめ、スタッフのうち7名は自らも重病を患う子どもを看病し、苦労した経験を持つ。この経験から施設の必要性を実感し、2005年3月にこの団体を発足して14年、現在14名のスタッフで3施設12部屋を管理運営し、患者家族への対応の仕方などの研修を行い、時には話を聞いてあげながら支え続けている。近年はボランティアスタッフ皆で毎月定期的に集まって情報交換をしながらロゴ入り巾着などのグッズの製作販売もしているが、患者に好評であると同時にハウスの自立のための資金の足しにもなっている。  >>詳細・手記
推薦者/特定非営利活動法人 京都難病連
ユニバーサル絵本ライブラリーUniLeaf
目の不自由な子どもは、白い紙に点字が打たれた“絵のない絵本”を読むことが殆どで、その種類も少ないが、イギリスには誰でも楽しめるユニバーサルデザインの絵本が普及しており、日本では制作や普及させる担い手がいないと知った大下利栄子さんは「ユニバーサル絵本ライブラリーUniLeaf(ユニリーフ)」を2008年に設立。既存の絵本に透明の点字シートを挟んだ ユニバーサルデザインの絵本“UniLeaf Book”(ユニリーフ ブック)を作りを始めた。
ユニリーフブックは1冊1冊手づくりで、古本屋をまわり状態のいい既存の絵本を手に入れ、紙がささくれ立たないように1ページずつ丁寧に解体。そして、大型の業務用透明シートを絵本のサイズにカットし、点字用タイプライターで点字を打つ。解体した絵本と点字シートを再製本(リング製本)して完成。近年印字は機械化されたが、点字作成には細かいルールがあり、パソコンで編集した文章をそのまま点訳ソフトで変換するだけでは間違いが出てしまうこともあって、今でも試行錯誤している。
点字用の透明なシートは、硬さや厚みなど種類によって違いがあり、子どもの指で触って一番いい感触のシートにするなど、使う側への配慮は欠かさない。
ユニリーフブックは本年5月に1,000冊に到達。無料で月に1度、5冊ずつ27家庭・4学校等に定期的に貸出しているほか、不定期にも現在10家庭、4学校、視覚特別支援学校に貸出している。  >>詳細・手記
札幌後見支援の会
2002年に札幌家庭裁判所の調停委員や元職員らが中心となって設立した。認知症や精神疾患等で後見人が必要にもかかわらず親族になり手がなく、資力もないため専門職後見人候補者のいない人に対し、会員自らが後見人となるほか、候補者の育成や資質向上に取り組んでいる。
2000年の成年後見法施行により後見人制度が開始されたが、本人のお金を管理し、本人に代わって病院や施設を探して入院・入所手続を行い、時に葬儀も行うなど、活動の幅は広い。弁護士等の専門職が後見人となる場合は、財産の管理行為が中心となりがちであるが、会員の後見人は、病院や施設を見舞って話し相手になるなど、市民後見人の先駆的存在としてボランティア精神にのっとり、身上監護にも熱心に取り組んでいる。
現在116人が会員登録し、これまでに170件程の後見事件に関与してきた。また研修会等を実施し、後見人候補者育成や後見人のサポート業務などに積極的に取り組んでいるが、活動資金は会員の会費と寄付で賄っている。  >>詳細・手記
推薦者/札幌後見支援の会
認定NPO法人 四つ葉のクローバー
18歳で児童養護施設や里親ファミリーホームを巣立った子どもたち、親からの虐待が再発した子どもや、帰る家がなく経済的にも困窮してホームレスになった15歳以上の子どもたちなどを、一時的に居住支援(シェアハウス)で預かり、就労支援を行って社会に貢献できる人材として世に送り出す自立支援行っている。
「四つ葉」では、いつでも信頼できる大人が必ずいて相談ができ、「失敗してもいいんだよ」という環境を作っている。また、こうした場所はこのホームだけではなく地域で支えていく「応援団」が必要だと考え、カフェや餃子屋の併設・経営や、イベント開催など、子どもたちと地域社会をつなぐ玄関の役割を担っている。巣立った子どもたちとは100%繋がりを保っており、月に1度の食事会兼ミーティングの実施や年数回講師を招いて働き方の勉強会を行うなど、子どもたちが折に触れて帰ってこられる機会を作っている。
また、「未来基金」を作り、子どもたちの未来を応援するために資格取得や進学などの費用の支援もしている。このほか地域の中小企業家同友会150社が滋賀県内児童養護施設の子どもたちの就労体験の場を提供しており、理解ある地域の応援団に温かく見守られている。  >>詳細・手記
推薦者/島田 豊実
特定非営利活動法人 蜘蛛の糸
日本一自殺死亡率の高い秋田県で、さきがけとして2002年から自殺防止に取り組む活動を、行政・大学・民間団体と連携して行っている。創設者は自身が経営者の苦悩を経験し、同じような状況で死を選んだ友人も多くいた事から、中小企業経営者の自殺を食い止めたいと活動を始めた。
一般的にいのちの電話は傾聴を中心に行うが、蜘蛛の糸は問題を一緒に解決していこうと、相談者に積極的に関わり寄添うのが特徴で、電話相談だけでなく、宗教家・臨床心理士・弁護士等有資格者による面談を行い、多重な問題を抱え自死を考える人に対して、一つ一つの問題を共に解決する手法を取る。定期的に「いのちの総合相談会」の開催を告知し年間250人程が相談に来る。抱えている問題の全てを聞取り、どうのように解決するかを考え、クリアしていくことで、相談者は生きていく希望を見つけることが出来る。
また、聞取り内容の統計を県に提出し情報共有を行う等、自殺死亡率全国一の汚名返上の為、民間主導で秋田モデルといわれる先駆的団体。  >>詳細・手記
推薦者/日本ベラルーシ友好協会
遠藤 芳輝(福島県)
遠藤 芳輝
福島県福島市内の自宅付近の県道、市道、側道の草刈り清掃活動を37年にわたり続けている。遠藤さんは農業をしながら国鉄(現JR)職員として働き、仕事の合間を利用して草刈りの範囲を広げていった。草刈りを始めた理由は「誰も刈らないから」と至ってシンプル。だが、その作業量は膨大で、危険も伴う。
今年81歳を迎えた遠藤さんは、自作した靴のすべり止めを装着し、県道5号線脇の急斜面に生えてしまった草は刈り、木はのこぎりも使って切り、さらに細かく裁断して処分する。3キロにも及ぶ範囲をたった一人で作業するが、大型車も通ることが多く交通事故防止のために妻のカツエさんが片付けを兼ねて協力する。
県道5号線の「フルーツライン」と呼ばれる区間は、東日本女子駅伝のコースとなっており、ランナーや沿道で応援するたちのためにも作業を欠かさない。また小学校や中学校の通学路も見通しが悪くなって危険が起きないよう、子どもたちのために定期的に作業を続けている。  >>詳細・手記
推薦者/金田 秀雄
川岡 俊子(広島県)
川岡 俊子
大学を卒業後、高校教師となった川岡さんは、その後福音の光修道会に入会し、奄美大島やフィリピンに派遣され、ネパールの地では、貧困家庭の母親が小さな子どもを連れて危険な職場や環境に連れていくことから、子どもを預かる施設を1997年2月ポカラ市に設立。子どもには将来自立できるようにと、モンテッソーリ教育を導入し、栄養面にも配慮し、保育士への感謝の気持ちと社会人としての意識を育むために、母親からわずかでも保育料を徴収し、意識改革を行った。
その結果地元では「一番子どもたちが愛されている施設」と評判になり、資産家の子の入園希望が殺到している。ネパールは近年核家族化が進み、中産階級が増え、子連れ出勤が不可能になり、保育園への期待が大きくなっているが、設立当初の意思を貫き貧困層の家庭の子どもを中心に預かる活動を続けている。
貧困家庭の子どもたちへの学資援助は1996年から現在も日本の恩人方の支援で続いている。その中に2名、医師、看護師、教師となった子どもたちが苦難にある人々と共に歩んでいる。川岡さんは18年の滞在後、帰国するも年に2回はネパールの施設を訪れ、後継者を見守っている。  >>詳細・手記
推薦者/NPO法人 ANT-Hiroshima
岡山放送 株式会社
岡山・香川を放送エリアとするフジテレビ系列の岡山放送は1993年から福祉をテーマにした手話付きのニュース特集「手話が語る福祉」を毎月放送している。聴覚障害者を取り上げたニュースを同じ障害がある人にも見て欲しいと画面に手話を入れたのがきっかけだが、健聴者に聴覚障害者を理解してもらうための放送にしようと、聴覚障害者の言葉である手話にこだわり、聴覚障害者自身がカメラの前に立ち手話を表現。歴代の担当キャスターも手話を学び毎回リポートしている。また、手話放送を持続可能なものにしようと、聴覚障害者・手話通訳者・テレビ局の3者で手話放送委員会を立ち上げ手話表現の検討を行っているのも特徴で、手話放送普及のモデルケースとしても期待されている。放送エリアを越え手話放送を届けられたらとインターネットのニュースサイトでの配信に乗り出したほか、手話講座の実施、手話を使った歌の制作にも挑戦していて、「手話は言語」であることを発信し続けている。  >>詳細・手記
NPO法人 西淀川子どもセンター
保護司をしていた西川日奈子さんが、虐待防止活動を通じて、子どもの相談相手や居場所など地域での支援の必要性とその重要性を感じ2007年にNPO団体として設立。電話番号の書かれたカードを配布し、親も含めて子どもの相談にのるなど、「子どもと同じ目線」でいることを大切に、非行や不登校、高校中退等で居場所のない子どもたちに、学び直しや出会い直しの場を提供している。
また、小学校1年から高校3年生までを対象に、月に4回ほど「いっしょにごはん!食べナイト?」イベントを開催し、買い出しから調理を子どもたちと一緒に行い、若いボランティアを育てる目的も兼ねて行っていて、これまでに320回以上開催している。子どもたちの状況を知るために、ゲームセンター等でアンケートを通じて悩みや抱えている問題を把握し、施設の存在を周知している。古民家を改築した暖かい施設では、子どもたちがそれぞれの悩みを打ち明けたり、大人には話せない事を、子どもたち同士で話し合ったり相談したりする光景もみられる。  >>詳細・手記
推薦者/正井 禮子
更生保護法人 鳥取県更生保護給産会
刑務所から出所した、帰る所のない元受刑者を一時的に保護して、社会復帰の支援する施設として明治32年に設立。近年では出所直後から医療や福祉の保護を必要とする人が増え、高齢化が進むことで、ますます施設の一人一人に寄り添ったケアが必要となっている。
施設は地域理解と利用者の社会参加の意識を高める為に、入所者とスタッフが近隣も含め年70回程の清掃活動に参加し、冬には道路の雪かきをして、車が通れるようにボランティア活動を行う。平成25年には、薬物処遇重点実施施設としての指定を全国で初めて受け、回復支援のプログラムの開催や、自助グループによる断酒会や薬物離脱の為の会合に職員らが車で送迎をし、継続的に参加させる努力を行う。
職員らのこうした日々の尽力により、入所者の60.70%の就労率を誇っていて、住宅支援専門職員を置く事で、自立を促している。  >>詳細・手記
推薦者/中本 忠子
社会福祉法人 ステップさが
障害や病気などにより、地域で自立した生活を送ることが困難な人々に対し、囲って保護するのではなく、地域にも見守られつつ、できるだけ外に出て社会で一人で自立して生きていけるようにしてあげたい!という熱い思いの有志によって平成19年12月にNPO法人を設立した。基本的な生活習慣、職業習慣および社会生活技能を身につけてもらい、一般企業への就労支援を目的に、働く環境づくりや、身体的、知的、精神、発達と様々な障がいの特性と個体差を十分に考慮し、何ができて何ができないのか、本当にできないのか甘えによるものなのか、などを見極め、障害への必要な合理的配慮を行いつつも、時には厳しく忍耐強い指導・訓練で、自立を目指している。
「就労訓練」なので教育的要素が大きいが、自分でできた時の喜びを知り、心も一緒に育っていって欲しいという考えで利用者本人やそのご家族ごとにきめ細やかな対話を常に心掛けている。屋内で野菜の水耕栽培を行う「活き活き工房夢ファーム」や「まる工房」など障がいがあっても外作業、食品加工、事務作業など、その人の可能性を引き出せるような様々な作業体験から自立と就労を目指す。企業への事前の実習を多くすることで双方の理解を深め、就職率の向上にも繋げており、就労後も就労先と障がい者間の橋渡しを行って、行き違いや問題発生を最小限にとどめ、長期の就労を目指している。  >>詳細・手記
推薦者/香月 武
社会福祉法人 神戸いのちの電話
様々な心の悩みや人生の危機に直面して、相談相手もなく、孤独の中で生きる力を失いそうになっている人たちにボランティア電話相談員が隣人として支え、生きる希望を育んでもらおうという願いから出発した市民活動で1981年に発足した。95年の阪神大震災後の際も1ヶ月足らずで業務を再開し、01年には365日化を実現。養成講座を受講したボランティアが、交代で電話相談員となり、根気強く傾聴。相談者が想いを語る中で、自分自身何かしらの気付きに導けるようにと活動をしている。
電話相談員はボランティアながら、相談者から心無い言動で傷つけられることもあるが、この団体ではスーパーバイザーを付けて、相談に応じる体制をとっている。これまで3万人にも上った自死の数が、ここ数年2万人前後になっていることは、こういった活動による成果でもある。自殺をほのめかす人に対して、“今日は辞めようね、明日また電話をかけてね”と伝えることは、まさにその名の通り、いのちの電話となっている。  >>詳細・手記
推薦者/橋本 明
宮崎 慶文(東京都)
宮崎 慶文
厚労省統計によると2019年4月30日現在、中国残留孤児の「永住帰国者総数」は2,557人。中国帰国者の個人的事情は、年齢・生活の貧富・育ち方・学歴・日本語が話せるかどうかなど千差万別である。周りの人が手を差し延べたくても個別の対応は難しく、集団となるとなおさら困難である。
日本に帰国して21年になる宮崎さんは、中国で大学教授であった経験を活かし孤立しがちな帰国者のために、弁護士指導のもと2009年「NPO法人中国帰国者・日中友好の会」の設立に貢献。同会では、日本語教室、中国語教室、日本舞踊、中国舞踊、合唱団等の教室を週替わり、曜日ごとに開催。先生は全てボランティアで教えており、参加者はそれぞれの教室で約5.10人。宮崎さんは、中国語教室で指導しているほか、近年中国をはじめとする外国人の居住者が多く、診療所や病院などで医者と患者の通訳も行っている。
帰国者の孤立しがちな日常をサポートし生活向上に努め、帰国者と市民をつなぐ活動を続けている。  >>詳細・手記
推薦者/笠原 五郎
南雲 和子(新潟県)
南雲 和子
南雲さんの娘さんが小学校でいじめに遭い新潟県上越市の中学校に入り不登校になり、叱咤激励し登校させていた。当時は、学校信仰が強く、学校に行かないという判断ができない中で、娘さんの同級生の男子生徒が1995年にいじめにより自殺するという事件が発生した。この事件にショックを受けた南雲さんは、不登校の子どもを抱えて悩む母親たちに市民や教師なども加わったなかで、「教育を共に考える市民の会」を発足させ活動。その後同会を廃止後、1999年に新たに同市の自宅を居場所作りのため開放し、同じ悩みを抱える母親5.6人で「居場所じゃがいも・じゃがいも親の会」を設立した。
毎週水曜日、特に教育的な課題もなく、自由なおしゃべりと食事の会を10人程の親子が集って開催した。中には、車で片道2時間もかけて新潟市から参加する親子もいた。特に設立後12.3年は、同会を維持するためにスーパーのレジや新聞配達をして経費を捻出した。同会は現在も当時参加していた子どもなどが集まる中で、活動を続けている。  >>詳細・手記
推薦者/居場所じゃがいも・じゃがいも親の会
一般社団法人 学術の森
家庭教師派遣ビジネスをしていた中村理事長が、母子・父子家庭や貧困層の子どもたちが学校の授業についていけない、勉強したいけれども塾に通う費用がないなどの理由で、将来や夢をあきらめる子どもの存在を知り、2013年に福岡市に無料の学習塾を開講。
福岡市の中心の天神で日曜以外の朝10時から夜9時の間、常駐する講師からいつ来ても勉強を見てもらえ、学習方法や進路の相談にも対応し、参考書の貸出しコピーを無料で行える等の環境も整えている。不登校の中学生は、学校への働きかけにより出席扱いにもなる。また、ICで出入記録を管理し親御さんへの報告を可能にしている。
6年目を迎えた同団体の利用者は延べ2,000名を超え、通常月4万円程の塾代が無料。講師は学生以外は無償で5.7名が常駐している。運営費用は地元企業を中心に寄付を募っていて、1社月額3万円と決めていて、大口はあえて受け付けていない。対象は母子・父子・貧困家庭に限ってはいないが、優先で受け付けている。  >>詳細・手記
推薦者/福園 倫恭
秋山 悦子(静岡県)
秋山 悦子
1977年、第2子出産後に難病のべーチェット病を発症した。原因不明のこの病気は失明の危険性が高く指定難病対象疾患として全国に約18,000人いるとされ、シルクロードに沿った地域に多く発症していることから別名「シルクロード病」と言われている。
2人の幼子を抱えて不安な中での療養生活で、様々な苦労を経験したからこそ少しでも同じ病気を持つ患者の役に立ちたいとサポート活動を行っている。秋山さんは全国組織であるべーチェット病友の会静岡県支部だけではなく、本部でもピアサポート(同じ病状や悩みを持ち同じような立場にある者同志支えあうこと)を行っており、更に静岡県難病団体連絡協議会でも相談員としてピアサポートを行い年間200件近い相談を受けている。この他厚生労働省のべ一チェット病研究班会議や研修会にも積極的に参加し、専門医とコミュニケーションをとるなど、自身も病気と闘いながらこの病気に対する知識を深めて相談者への的確なアドバイスに生かしている。
又、べーチェット病だけではなく、富士市難病患者・家族連絡会の地域難病団体において難病の専門医を招き難病患者のために定期的な相談会や会報誌"市難連ふじ"を発行通して多方面からのサポートを行っている。  >>詳細・手記
推薦者/NPO法人 静岡県難病団体連絡協議会
有光 武元(福岡県)
有光 武元
陶芸家として北九州の門司で工房をかまえる一方で、若いころにフィリピンの洋食器製造プラントで指導者として働いていた経験と人脈を生かして、長きにわたってフィリピンの子どもたちへの支援活動を行っている。
ロータリークラブでの国際奉仕活動がきっかけとなり、2003年からフィリピン各地で井戸の設置、学校や集会場、図書館の建設、農耕指導とそれに必要な水牛や食物の種の寄付など多くの支援を行ってきた。物質的な支援のみならず、ロータリークラブ時代の仲間と分担し、現地の貧しい村の子どもに奨学金を出し、大学院まで卒業させるなどの支援も行った。その子どもが就職して結婚し、子どもが小学生になった今でも家族同様の付き合いが続いている。日本では、毎年自らの工房でフィリピンでの活動写真や資料などを展示・紹介しながら「チャリティ窯開き」を開催し、陶器を展示即売して資金集めを行い次の支援につなげるなど精力的に活動している。
子どもから感謝の手紙をもらったり、喜ぶ顔を見るとたまらなく嬉しいと語る有光氏は、現地の人が何を必要としているのかを第一に考え、よい人間関係を築き、自分の糧にもしてきたことで、ここまで長期にわたる支援につながっている。  >>詳細・手記
推薦者/矢野 敏行
THU YA SOE(沖縄県)
THU YA SOE
2014年に、妻と共にミャンマーの貧困地域で学校に通えなかった子どもたちの為に政府の許可の元、私立幼稚園・小学校を設立。沖縄でミャンマーレストランを経営しその売上を運営資金に、日本の大学で学んだ教育方法を取り入れた学習指導を特色としている。
子どもたちはお弁当を持参するが、栄養が偏っていたり、所得格差がおかずに顕著に表れることから、ソウさんは琉球大学の研修生として栄養学を学び、2016年から日本の給食制度を学校に導入。週2回ソウさんの立てた献立を基に、教師が調理する。保護者会では、沖縄の郷土料理である混ぜご飯(ジューシー)の作り方を紹介し、この1品の料理で多くの栄養素が取れる等を紹介。朝食に駄菓子など甘いものを買って持ち込む生徒が多い中、近隣の店を調査し、売られているのは合成着色料や甘味料のついた成長期の子どもには害になるお菓子ばかりであることを伝え、炭水化物に偏りがちな食生活に、カルシウムやビタミン等栄養学の基礎を親に伝え、子どもと双方に食への意識改革を行う取組みをしている。  >>詳細・手記
推薦者/チョ チョ カイ
特定非営利活動法人 リトルワンズ
2009年から東京都杉並区を拠点に小山訓久さんによってはじめられた母子家庭と子どもたちを支援するNPO法人。主な事業として、母子家庭の就労支援、住まいの提供、情報支援、子どもの体験の格差をなくすために習い事に特化した補助金を贈る「小さな一歩応援プロジェクト」の実施、毎月開催される子どもたちのためのイベント、子育て中の親子が利用できる「親子カフェほっくる」の運営がある。
活動のきっかけは、約10年前、テレビ番組の制作をしていた小山さんが約100人の母子家庭にインタビューして、その実情を知ったこと。メディア業界を辞めて、母子家庭支援のNPOを発足した。当時は、子どもの貧困が注目される前であり、母子家庭の窮状にも理解を得られにくかった。その後、住まい探しが難しい母子家庭と、社会問題であった空き家の解決を1つにつなげ、全国に先駆け空き家、空き室を活用した支援モデルを構築。母子家庭に特化した居住支援を行う「居住支援法人」として東京都より指定をうけ、優れた居住支援モデルを作ったことにより、World Habitat Awardsの2018年最優秀賞を受賞した(日本の受賞は16年ぶり)。
これまでに300件以上の家庭に住まいを提供し、10年間で2,000件以上の相談を受けている。会員は約1,600人。全国からの相談に対応している。  >>詳細・手記
特定非営利活動法人 日本ホスピタル・クラウン協会
クラウンとは、日本では「ピエロ」という名称だが、ヨーロッパ伝統芸能の役名のひとつで、正式には「クラウン」という。2003年、理事長の大棟耕介さんがクラウンのスキル向上のため渡米した際に、アメリカのクラウン仲間に誘われて病院などでの“ショー形式”ではなく病室を訪問したことがきっかけとなり、帰国後、ホスピタル・クラウンを始めた。活動を広げるために2005年11月にホスピタル・クラウン協会を設立し、2006年5月に特定非営利活動法人を取得。ホスピタル・クラウンは、定期的に小児病棟を訪問し個々の病室へ入り療養中の子ども一人ひとりと丁寧に関わり、ナーバスになりがちな子どもの心を笑いで癒している。
「笑う」ことは、治療に立ち向かう気力を取り戻したり、周囲の家族や病院のスタッフにも働きかけることで病棟の雰囲気が明るくなる効果もあり全体の関係が潤滑になることも期待されている。当協会では、クラウンの認定制度を導入しており、病院という特殊な環境に対応できる優れた人材を育成するために慎重に人選している。毎年、一定レベルの技術と継続の意志を確認し、認定更新を行っている。2018年9月現在、全国94病院106名のクラウンが定期的に訪問している。その他、被災地の避難所等を訪問するなど活動も行っている。  >>詳細・手記
推薦者/あい診療所
戸塚 仁(東京都)
戸塚 仁
臓器移植者(レシピエント)の移植臓器の長期生着には生活習慣病を予防することが重要である。食事内容の見直しだけでなく、運動も必要なことが日本移植学会により報告されている。
戸塚さんは、29歳で生体腎移植を受けて元気になったことで、日本におけるレシピエントの日常生活の中にスポーツを取り入れるため企画、運営、などの啓発活動や就労支援相談等を行っている。中でも、毎年開催するレシピエントのオリンピックである全国移植者スポーツ大会の企画、運営・実施や世界移植者スポーツ大会連盟(WTGF:World Transplant Games Federation)が主催する世界移植者スポーツ大会への参加、選手の派遣等を行っていて、これらの活動が評価され2016年にWTGFが主導するレシピエントの生活に運動を取り込むことを推奨するプログラムである「fit for life」のアンバサダーに選出された。 戸塚さんは選手としても参加しており世界大会の短距離100m、200mで金メダルを取っている。その他「移植DE散歩」、「ありがとうの日」の企画等、SNS、ブログ等で情報や移植啓発を発信し広く認知してもらうための活動を続けている。  >>詳細・手記
推薦者/谷川 基務
一般社団法人 パーソナルサポートセンター
ホームレス、障がい者、DV被害者やニート、引きこもり、若年性認知症などで就労が困難な人たちを対象に、仕事、生活、住まいを「寄り添い伴走型」で支えようと2011年に宮城県仙台市で設立したが、直後に東日本大震災が発生し、生活困窮者を支援するノウハウを被災者支援にも活用することにした。
仙台市と協働で避難所から仮設住宅へ移る被災者の安心見守り事業を行った。仮設住宅入居者の孤独死、自殺の防止を目的とし、仮設住宅に入居者が、安心、安全、そして少しでも快適な生活を過ごせるように、住み慣れた地域を離れた被災者に対し、新たなコミュニティの形成、高齢者、女性、などの入居者へのサポートを行い、プレハブ仮設住宅の全戸訪問を実施した。被災者支援を行う一方、設立時に掲げた対象者への支援や、経済的困窮者への生活支援や就職支援にも力を入れ、今後は一人ではなかなか生活していけない人たちが共同生活をしながら支え合い自立していけるような場所も作っていきたいと考えている。  >>詳細・手記
推薦者/特定非営利活動法人 ワンファミリー仙台
特定非営利活動法人 サポートステーション輪
法人設立は2015年だが、事業の1つである「ひよこ教室」(教室)は1974年にはじまり40年を超える歴史がある。教室は障がい児の親が保育士の資格をとり、豊島区の個人の家を借りて始めた。その後、新宿区の教会そして現在は文京区の東京聖テモテ教会に移ったが、当初より教室は、障がいのある子どもと健常の子どもが同じ空間、同じ時間を障がいの有無で分けることなく共に過ごし、遊びや行事を通してすべての成長を見守る統合保育を信条に行われている。2歳前後から4歳までの保育園や幼稚園への前段階の幼児14名が保育者8名とボランティア3名により、全国的にも珍しい障がい児と健常児のふれあいを大切にした、集団生活が楽しめるように保育をしている。  >>詳細・手記
推薦者/相川 美奈子
静岡県サルコ友の会
2003年にサルコイドーシス(原因不明の全身性(多臓器性)肉芽腫性疾患の特定疾患)を発症した神谷京子さんが、治療法も確立されておらず、病気に関する情報が少ないため、東京で行われた医療講演会への参加をきっかけに静岡でも常設の情報交換の場を作ろうと、保険所や行政、難病団体連絡協議会の協力を得て2009年10月に難病患者団体「静岡県サルコ友の会」を設立した。
県内の患者数は約500名だが、現在の会員は50名程。病気を明らかにしたくないという人も多く、会への入会数は減少している。会の運営は、会費と企業等からの助成金によって賄っている。神谷さん自身入院や通院を繰り返しながらも、中心となって年1回の患者交流会と医療講演会を開催するほか、同じ病気を抱えた患者同士が集い、相談があればいつでも悩みを共有して助け合いながら活動している。また、病気を知らない人達にもサルコイドーシスだけでなく、「難病患者」への理解を深めてもらうための活動も行っている。  >>詳細・手記
推薦者/NPO法人 静岡県難病団体連絡協議会
更生保護法人 草牟田寮
1899年に設立された同施設は今年で121年目を迎えた。刑務所を出所した人たちの中で、自立する為の資金がない人や身寄りや住居がなく、自立困難な状況の人らが平均2.3ヶ月、ここから仕事に行くなどして資金を貯め、生活に必要な知識を身に着け社会復帰の準備を行う。
社会生活技能訓練では、再犯の大きな原因となる金銭管理についての講習を行い、借金や連帯保証人を頼まれた際の上手な断り方等、再犯にならない様に生活をしていけるスキルも具体的に提示している。依存症から脱却する為の講習会では、一般人の参加も可能になっている。また、出所者の高齢化や障がい者への受入れに対応し、療育手帳等各種障がい者手帳の取得や介護保険サービスの適用、成年後見制度の利用、生活保護や障がい年金の申請等手続きを行うなどの支援もしている。このような活動を通じて、善良な社会人になるための援助を行っている。  >>詳細・手記
推薦者/更生保護法人 全国更生保護法人連盟・更生保護法人 両全会
北浦 茂(岐阜県)
北浦 茂
様々な事情から不登校になった子どもたちを問題児として捉えるのではなく、大切な存在として個々の特性に合わせた教育が必要と考え、岐阜県内で13年間に亘りボランティアで不登校児童や生徒・親の支援を行っていた。その後、宿泊型フリースクールやNPOとして支援を続け、2008年に岐阜県内の廃校となった小中学校校舎を借り受けて学校法人「西濃学園中学校」を開校。不登校のための技能連携高校の教育を始めた。
この種の学校で寄宿制の正規の学校は全国でも数少ない。大自然の中で愛情あふれる教師や臨床心理士の指導のもと、学習の遅れや喜びを取り戻しながら、地域の清掃や草刈り、植樹などの環境ボランティアを活発に行い、祭りや運動会などを地域と共同開催するなど、多くの場面で地域住民と交流している。こうした交流により、子どもたちが人間関係の構築や共同・公共の意識を学ぶ一方で、高齢化と人口減少の進む地域にも若者の息吹を吹き込み共存し、互いに助け合うことで村づくりや人づくりを行っている。  >>詳細・手記
推薦者/岐礼さくら会
八木 俊實(鳥取県)
八木 俊實
勤務していた会社が鳥取市内の精神科病院の「通院患者リハビリテーション事業」を受託していたことから、八木さんは担当者として病院で入院加療中の人や退院患者との関わりが始まった。病院に出入りしながら、ちょっとしたことで傷ついたりストレスを抱えてしまう患者さんたちへの理解を深め、そうした精神障がいのある方々の社会復帰について真摯に考えて相談にのったり、勤務する会社の職員教育にも取り組むなどしていた。
退職後、画家として個展や絵画教室を開く一方で、2003年から鳥取市の渡辺病院が精神科の作業療法の一環として始めた絵画クラブの講師として、週1回15年以上に亘ってボランティアで入院患者の絵画指導を行っている。また、鳥取市が運営する身体・知的障がい者のサロン「さわやかサロン」でも2004年から現在まで同様に絵画講師を務め、常に優しく相手を引き立て、上手下手ではなく、心の内を絵で表現することや描くことの楽しさを知ってもらい、病状の安定に繋がるよう願って接している。
精神障がい者のみならず、市内の小学校などでも出前の絵画講座を開き、課外へ出てなるべく実際の風景や被写体を目の前にして描くようにしている。なにより心も一緒に育ていってくれることを願って指導している。  >>詳細・手記
推薦者/日本精神科病院協会 鳥取県支部 支部長 渡辺 憲
NPO法人 ホザナ・ハウス
元暴力団組員という異色の経歴を持つ、神戸弟子教会牧師の森康彦さん。少年院などから退院した少年・少女の立ち直りと自立を支援するため、2011年にNPO法人ホザナハウスを設立し、法務省の緊急的住居確保事業の自立準備ホームとして登録。虐待や一家離散、いじめなどを経て、問題行動に走り、負のレッテルを貼られて行き場をなくし、公的支援制度の空白部分でさまよう子どもたちに寄り添い、居場所と食事を提供し、自立を促すよう支援してきた。
森さんは、非行の原因は養育環境にあり、そうした環境や境遇から大人になっても生き辛さを抱える、“アダルトチルドレン”になってしまうと考える。加害者であり、悪環境の中で育った被害者でもある彼らを決して全否定せず、切り捨てずに、聖書の示す愛を持って少年たちの傷を癒し、犯罪の未然防止のために日々奮闘している。現在は自立支援ホーム、放課後デイサービス、障がい者の就労機会を提供する就労継続支援B型作業所なども手掛けながら、その収益を使って子どもたちの法的支援の空白を埋めるべく邁進している。  >>詳細・手記
推薦者/特定非営利活動法人 チェンジングライフ
社会福祉法人 佐賀いのちの電話
不安や悩み、苦しみを抱えて思い詰めている人たちに寄り添い、一人でも自殺者を減らしたい、という思いの有志が集まり1998年に設立した。寄せられる相談件数は、月平均約1,500件、年間約2万件と、全国にある50の「いのちの電話」中、佐賀県は10番目の多さである。設立以来365日、1日も休むことなく「眠らぬ電話」として活動を続け、昨年で20年を迎えた。相談員は多い時で191名程が交代で対応していたが、現在130名程にまで減少しており、相談員自身の高齢化や両親の介護等による減少と、新規相談員のなり手不足が課題となっている。
自費で養成講座を1年間受講し、実践による研修やスキルアップ研修を積み重ねて相談員となり、維持会費年6千円も自ら負担して無償での活動を行う。仕事や別のボランティア活動を兼務する人も多いことから「ボランティアの中のボランティア」と呼ばれている。真剣な相談だけでなく、怒鳴ったり、いたずらや作り話など心無い電話も少なくなく、相談員の心理的負担は大きいが、それでも本当に必要としている人のために電話の前でベルを待つ。
また、後追い自殺の予防のため自死遺族支援にも力を入れ、同じ境遇の人々が語り合える場「わかち合い(ハートの海)」を毎月一回開催している。会報「ハートの海」の発行や公開講座などによる広報啓発活動も積極的に行っており、自殺者数は実際減少しており自殺者対策に貢献してきた功績は大きい。  >>詳細・手記
推薦者/佐賀県庁 県民環境部 県民協働課
認定NPO法人 多言語社会リソースかながわ(MICかながわ)
日本で暮らす外国籍の方が、「ことばの壁」のために適切な医療を受けることができずに、時によっては命にかかわることもある。国籍、文化にかかわらず、だれもが安心して医療を受けられるような社会にしたいという思いと「ことばで支えるいのちとくらし」を活動の理念に、在日外国人の支援を行う「特定非営利活動法人多言語社会リソースかながわ(MICかながわ)」は、2002年に設立された。
医療通訳派遣として協定医療機関(69病院)へ英語、中国語、スペイン語等13の言語に対応し、年間7,000件を超える通訳を派遣する事業を中心に医療通訳の養成と研修とともに普及と啓発、学校や児童相談所等公的機関への一般通訳の派遣、外国人無料健康相談会への通訳派遣、災害時の外国支援につながる活動等、医療者と患者の間に入って「ことばの壁」を無くす活動を続けている。  >>詳細・手記
推薦者/川口 暁子
板倉 未来(新潟県)
板倉 未来
子どもの頃の経験をもとに、大人になったら傷ついた子どもたちを絶対に助けると心に誓い、2004年から虐待で助けを求めている親子や、ひきこもりの子どもたちの支援活動を始めた。2011年に新潟市でNPO「母と子の生命をつなぐオーバージーン」を設立し、児童自立支援施設や児童養護施設の子どもたち、施設退園後の子どもたちの支援や命のレスキュー、緊急保護、自立に向けた生活のサポートを続けている。高齢者や子どもたちの居場所となる「OHANA子ども食堂」を毎週水曜日に開催。「死にたい」が「生きたい」という希望に変わる心と体を癒す居場所「OHANAの家」を五泉市にオープン。帰る家のない子どもたちの実家となっている。  >>詳細・手記
推薦者/中山 アキ子、沖 知子
社会福祉法人 ももやま福祉会ぐんぐんハウス
支援学校を卒業した子どもの活動場所として、「どんな障害があっても、どんなに障がいが重くても、僕らも仲間がほしい」という保護者の願いで1984年に「人として、豊かに生きる」を理念に京都市で設立された。療育作業所や知的障がい者通所授産施設を運営し、和紙の製造、加工、販売を行っている。
施設は特に重度の障がい者を受け入れ、親の高齢化に伴い、緊急時に預かれる場所や将来自立生活が送られるようになる為の訓練の場として、短期入所事業も行っている。また、近隣の障がい児を持つ親御さんに向けて子育てサロンや、親子食堂等、作業体験を通じて進路選択ができるようにと様々な事業を実施している。利用者の高齢化に伴い、親亡きあとの暮らしの場の確保に向けて、男女それぞれのグループホームも今年開設した。  >>詳細・手記
推薦者/特定非営利活動法人 京都ほっとはあとセンター
中西 幸子(北海道)
中西 幸子
育児放棄により泣かない赤ちゃんが増えたという番組を見て何か力になりたいと思っていた中西さんは、子育てを終えて夫婦二人の生活になった時から里親を始めて16年、携わった子どもは8名になる。最初の子どもは刑期中の母親から生まれた生後8日の子で、夫婦で愛情を注いで育てていた子を出所した親が引き取りに来て、その後再び児童相談所に預けられることになり、母親と児相になんども掛け合って、再度養育したいと懇願したが聞き届けられなかった。自身の手を離れた子どもの人生が振り回される辛い体験や、親権者、児童相談所等とのやり取りで奔走する等の経験を基に、2012年からは地域で里親をしている人のメンターとして月に一度、子どもも交えて日々の相談にのる会合を開催している。育てられない親にも、育てて貰えない子どもにも、そして子どもを引き受けた里親にも、必要な時に手を差し伸べられるようにしたいと、それぞれの立ち場の人々と信頼関係を築きいのちを繋ぎ、大人の心の負担の軽減化と共に、子どもが幸せに育てられる環境づくりに尽力されている。  >>詳細・手記
推薦者/小澤 輝真
石川 誠(東京都)
石川 誠
脳神経外科医として勤務していた1970年代はじめ、患者の術後に障がいが残っても何もされていないことに疑問を抱き、医療は命を助けるだけでなく、家に帰って自立した生活が出来るように回復させるまでが真の医療と考え、当時一般的ではなかった「リハビリテーション医療」に取り組み始めた。
1986年に赴任した高知県の医療法人社団近森病院で、「どんな患者も寝かせきりにしない、ベッドから起こして動かし、自立できる力を取り戻させる」と医師、看護師、各種療法士、ソーシャルワーカーなどがチームを組んで一丸となってリハビリをする体制へ内部改革を行った。退院した患者用の通所リハビリや訪問リハビリの仕組みもつくりあげ、これらの取り組みは国も認める「回復期リハビリテーション病棟」のモデルとなった。
2002年に医療法人社団輝生会を発足し、現在は「初台リハビリテーション病院」、「在宅総合ケアセンター元浅草」「在宅総合ケアセンター成城」「船橋市リハビリテーション病院」「船橋市リハビリセンター」の5拠点を運営している。
回復期リハビリテーション病棟のモデル及び在宅総合ケア体制を確立し、全国に普及させ、日本のリハビリテーション医療体制を築きあげ、地域リハビリテーション(地域包括ケア)の推進に貢献している。  >>詳細・手記
推薦者/船橋市 市長 松戸 徹
佐藤 修(大阪府)
佐藤 修
1970年に大阪府立堺ろう学校へ高等部教員として就任以来、聴覚障がい者、聴覚との重複障がい者、高齢聴覚障がい者が生涯を通じて安心して暮らせるための環境づくりを目標に尽力してきた。
学校卒業後の進路としての共同作業所「もず共同作業所」や通所施設、家族と離れても安心して生活できる生活施設「なかまの里」、老後の安心のための特別養護老人ホーム「あすくの里」など、その全ての施設の土地探しから、資金調達、地域住民への説明や、建設、職員確保、地域とのコミュニケーションなど全てに関わり1つ1つ歩を進めてきた。またチャリティコンサートや障がい者とのアイラブフレンズマラソン大会など、多くのイベントを企画し、企業にも働きかけて資金調達に奔走するなど、さまざまな課題の解決もしてきた。 自身も手話を身につけ、ろうあ者と同じ目線で35年以上に亘って取り組んできた姿に、ろうあ者関係者から信頼され、様々な方面から助言を求められる存在となっている。今後も大阪5ブロック全てに参加通所型施設を作り、ろうの方々が、身近なコミュニティの中で集まり、一緒に生活したり仕事ができる環境づくりを目指している。  >>詳細・手記
推薦者/全国ろうあヘルパー連絡協議会
松下 照美(ケニア共和国)
松下 照美
23年にわたり、アフリカ・ケニアの地方都市テイカに住み、貧しい子家庭の子ども達の額支援、給食支援、ホームの運営、ストリートチルドレンの子どもたちの自立や就学支援に取り組んでいる。
松下さんがアフリカを最初に訪れたのは1990年代前半。ドキュメンタリー映画監督の小林茂氏に同行した取材旅行で出会った子どもたちが忘れられず、94年にボランティアとして移り住むことになる。96年にはケニアへ移住。99年には活動拠点となるNGO「モヨ・チルドレン・センター」を立ち上げ、2005年には入所施設を開設した。
現在は23人の子どもたちと寝起きを共にする一方、スラム街やタウン、学校等を見回り、子どもたちに手を差し伸べている。路上には、シンナーなど薬物中毒の子どもが大勢いて、更生を妨げているとして、2017年には外務省の「草の根無償資金」と日本国内からのクラウドファンディングの募金によって、ドラッグリハビリセンターを開設した。農作業のプログラムを導入しながら、粘り強く支援に取り組んでいる。  >>詳細・手記
推薦者/徳島新聞社 東京支社
阿部 亮(東京都)
阿部 亮
19歳の時に世界を旅する中で、出会った貧しい子どもたちの生きる力の強さに感銘を受け、帰国後事業を興し、経営者として成功すると、2008年からその収益をカンボジア・ネパール・ブルキナファソ・ミャンマーでの学校建設に役立て、これまでに12校を建設。
利益を得る目的は、社会貢献を行う為、とするが、真剣に取り組むには資金力とともに体力もいる、それには若いうちだと、40歳で経営権を譲り専従できる基盤として財団法人を設立。学校建設や教育支援を軸に、カンボジアで子どもに無料で医療提供を行う医療センター設立への支援や、国内においても虐待やネグレクトされた子どもを預かる団体をサポートしている。
また、毎週月曜日にはニッポン放送で、自らがメインパーソナリティーを務め、社会貢献者をゲストに招き、国内外で活躍するNGO・NPO、企業のCSR活動を紹介する番組を10年に亘り続け、広く社会貢献を周知する活動を行っている。  >>詳細・手記
奨励賞の贈呈
  • 顕著な活動の発展や拡大を継続中の過去の受賞者に、毎年1件奨励賞を贈呈しています。
坂上 和子さん(平成22年度受賞者)