遠藤 芳輝
福島県福島市内の自宅付近の県道、市道、側道の草刈り清掃活動を37年にわたり続けている。遠藤さんは農業をしながら国鉄(現JR)職員として働き、仕事の合間を利用して草刈りの範囲を広げていった。草刈りを始めた理由は「誰も刈らないから」と至ってシンプル。だが、その作業量は膨大で、危険も伴う。
今年81歳を迎えた遠藤さんは、自作した靴のすべり止めを装着し、県道5号線脇の急斜面に生えてしまった草は刈り、木はのこぎりも使って切り、さらに細かく裁断して処分する。3キロにも及ぶ範囲をたった一人で作業するが、大型車も通ることが多く交通事故防止のために妻のカツエさんが片付けを兼ねて協力する。
県道5号線の「フルーツライン」と呼ばれる区間は、東日本女子駅伝のコースとなっており、ランナーや沿道で応援するたちのためにも作業を欠かさない。また小学校や中学校の通学路も見通しが悪くなって危険が起きないよう、子どもたちのために定期的に作業を続けている。
この度は、社会貢献支援財団から令和元年という年に、受賞式に出席させて頂きまして誠にありがとうございました。心から厚く御礼申し上げます。
私はもちろんですが、家族も帝国ホテルでの表彰式の演出のきらびやかさと、受賞された方々の素晴らしい活躍にただただ、驚きと賞賛の思いで胸が一杯でした。
私がしてきたことくらいでこの式典にいてよいのかなと思いました。
私の妻も安倍会長から「おめでとうございます」と声をかけて頂き、感激のあまり大粒の涙を流していました。
私事ではありますが、9月頃から体調を崩し検査の結果、胃がんでした。担当医からは、「表彰式は、諦めた方がいい」と告げられそのことは、とてもショックでした。
私も表彰式の出席は、無理だと推薦者の方にその旨を伝えましたが、財団の方々が、体調を気遣って下さって、「体の負担にならないように過ごしてください」と温かい言葉をかけて下さいました。
家族と推薦者の励ましに支えられ表彰式に出席することが、私の生きる希望でした。当日は、本当に身に余るご配慮を頂き心から感謝致します。
受賞者の揺るぎない信念を持った方々と交流させて頂いたことは、私の残りの人生にどう生きるかをしみじみと考える機会を与えてくださいました。
福島の原発事故後、県道は大型工事車両の通行量が増し、妻も私と一緒に作業することが多くなり、妻には協力してくれたことを心から感謝しています。
作業時は、打撲と傷がたえませんでした。高所の伐採作業は、危険度が高く足元を安定に保つために創意工夫をした金具を装着しました。
山里のため野生動物が、民家までおりてきます。特に狸は、多いです。また熊も民家近くまでおりてくることもあります。それを物語るようにミニパトカーの注意喚起の放送車が通ることもあります。熊に注意するように学生たちは、カバンに熊よけの鈴をつけるよう全員学校の指導により通学しています。
推薦者には、「37年間、なにより学生の交通事故が発生していないのは、とてもすばらしいことだ」と言っていただきました。私のような者に目をとめてくださったことに感謝致します。
些細なことでも人のために一生懸命、無心に続けていれば、素晴らしい表彰式に招待されるという夢を与えて下さった社会貢献支援財団に心から厚く御礼申し上げます。
命の危機があったにもかかわらず、表彰式に出席する願いが叶ったのは、40歳で逝った息子が天から力をかしてくれたのかもしれません。息子がつらい時期も私は、草刈りをやめませんでした。苦しむ息子にどのように接してよいのかわかりませんでした。一心不乱に草刈り作業を黙々と続けていました。息子にすまないと思い続けてきた心のわだかまりが解けた気がします。
これからは、家族にしてやれなかった事を反省しつつ、実りある人生を生きて行きたいと思っています。
本当にありがとうございました。