有光 武元
陶芸家として北九州の門司で工房をかまえる一方で、若いころにフィリピンの洋食器製造プラントで指導者として働いていた経験と人脈を生かして、長きにわたってフィリピンの子どもたちへの支援活動を行っている。
ロータリークラブでの国際奉仕活動がきっかけとなり、2003年からフィリピン各地で井戸の設置、学校や集会場、図書館の建設、農耕指導とそれに必要な水牛や食物の種の寄付など多くの支援を行ってきた。物質的な支援のみならず、ロータリークラブ時代の仲間と分担し、現地の貧しい村の子どもに奨学金を出し、大学院まで卒業させるなどの支援も行った。その子どもが就職して結婚し、子どもが小学生になった今でも家族同様の付き合いが続いている。日本では、毎年自らの工房でフィリピンでの活動写真や資料などを展示・紹介しながら「チャリティ窯開き」を開催し、陶器を展示即売して資金集めを行い次の支援につなげるなど精力的に活動している。
子どもから感謝の手紙をもらったり、喜ぶ顔を見るとたまらなく嬉しいと語る有光氏は、現地の人が何を必要としているのかを第一に考え、よい人間関係を築き、自分の糧にもしてきたことで、ここまで長期にわたる支援につながっている。
令和元年も後数週間を残します中、お招き頂きました帝国ホテルでの懇親会と華やかな表彰式典を思い出しつつ此の感想手記文を記しております。
24、25日におきまして光栄にも40組もの素晴らしい活動をされております皆様方にお目に掛かることができ、懇親会の席ではご苦労の中、活動されておられます方々の話を聞く事ができ、皆様方と比べて私の拙いフィリピンでの活動が社会貢献者表彰を受賞に値するのだろうかと、正直恐縮いたしておりました。
25日の式典が進行していく中、フィリピンで行いました数々の支援事業と訪れた場所が思い出されておりました。2003年に私の初めての支援事業でバタンガス州カラヨ村の小学校に図書館建設と図書の贈呈を行いました時のことが思い出されました。まだ携帯電話やPC、E-mailなどが僻村に普及していない時、通常の国際電話とFaxで私の下手な英語により校長先生との連絡を上手くとりあえなかった経験を思い出しました。
数ある活動の全てが順調に成功したのではなく、途中挫折失敗した活動もありました。村の首長に預けていた井戸掘り支援の費用が、選挙で落選してしまったために消えてしまったこと、支援地区に共産ゲリラが出没し地区での活動が禁止になり、小学校の支援を中止したり、奨学金制度の中、奨学生一人に年間\40,000の支給しているはずが、\22,000しか支給されておらず、4年間気付かないまま横領されていたりと、寂しい思いをしたこともありました。
またフィリピンは過去の太平洋戦争で50万人以上の将兵が亡くなれた国ですので、活動しておりますと何度かその悲しい歴史の場所を通って支援地へ訪れる事があります。リサール州アンティポロ カラウィ アピアに農耕支援と教育支援活動に向かいましたが車は入れませんでした。馬で訪れた先住民族ドマガット族の住む深い山岳地のまわりでは20,000人以上の将兵が亡くなられたと伝えられています。神風特攻隊が編成されたタールラック州マバラカットの山岳地で、未だ先住民AETA族がTENJINYAMA (天神山)と呼んでいる生活拠点を水利施設支援活動で訪問したことがあり、何度かお線香を持ちながら訪問した経験などがあります。
フィリピンへ通うようになりまして17年間、今までに沢山の思い出と素晴らしい出会いをいただきながらの支援活動をして参りました。“マガンダン ハポン!”“カムスタカ?”タガログ語で(こんにちはげんきですか)と声をかけると不思議そうに、恥ずかしそうにしていた子どもたちが必ず弾けるような笑顔を返してくれます。陸の孤島のような僻村や山岳地の先住民族の子どもたちとの出会いの中で何度も経験した情景です。私にとりましてその時の喜びが恵まれない環境の中で生活している子どもたちに手を差し伸べて来た一番大きな要因になっているのではと思います。
奨学金制度の創設は、過去にローターリークラブのメンバーであったことで友人たちに何度となくスポンサーとして参加協力をお願いすることができ、現在も15人の学生の支援を行っています。教育の機会を与えられたことで子どもたちの生活や人生が変わることを、大学院へ進学して公認会計士、弁護士試験に受かった卒業生たちを見て実感しております。お陰様で、私も支援した子どもたちが素晴らしい社会人に成長して、マニラに4人の孫?を持つことができております。
フィリピンでのこの活動は私個人ではとても17年間も続けることは出来ませんでしたが、私の陶房で行いますチャリティー窯開きに集まる皆様と友人たちの協力のお陰を持ちまして活動が出来た次第です。
フィリピンで出会った沢山の人たちとの喜びの出会い、今回の社会貢献者表彰受賞という名誉ある機会をいただくなど、沢山の皆様方の協力をさておき私のみが一番素晴らしい機会をいただきますことは誠に恐縮の限りでございます。
私自身、齢79歳ややくたびれを感じる年齢になっておりますが、この度の授賞を励みに後数年は頑張らねばと覚悟いたしております。
この度の身に余る社会貢献者表彰の受賞、誠に有難う御座います。
MALAMIN SALAMAT PO, MABUHAI !!
大変有難う御座います、万歳