社会貢献の功績
坂上 和子
新宿区の国立国際医療研究センターで、保育士としての経験を活かし、親や看護師からの要望もあり、平成3年に同センターに「遊びのボランティア」を設立。多くのボランティアを養成しながら、昨年度は年間161回、 同センターを訪問し、延べ807人の子どもに対して、ボランティア延べ944人が参加し、病気の子どもとその家族を支える活動を続けられている。
所長 山崎 美貴子
新宿区の在宅訪問事業で保育士として国立国際医療研究センターに行ったのが、病気の子どもたちとの最初の出会いでした。プレイルームにおもちゃはなく、子どもたちはテレビをなんとなく見ているだけ。寒々しい環境に驚きました。小さい子どもがベッドの柵につかまって「ママ〜」と声を枯らして泣いていたり、たいくつそうにテレビを見ている子どもたち。そんな環境に私たち二人の保育士が背中にリュック、両手に手提げ、おもちゃをたくさん詰めて運びました。あるとき、プレイルームの床に青いシーツを敷き、海に仕立てました。布製の手作りの貝や魚を置き、釣竿の先と魚にはマジックテープがついていて魚が釣れる仕掛けです。ビーズや刺繍の入った魚を見て子どもたちは目を輝かせ、「ワア〜、大きいのがつれたよ」、子どもたちの歓声がプレイルームいっぱいに沸きあがりました。病気になってもいっぱい遊びたいのが子どもです。
そのうち、新宿区は事業の対象児が退院したので訪問保育を終えることにしました。すると残ったお母さんたちが区長に、事業継続のお願いをしました。脳腫瘍や白血病など、重い病気の子どものお母さんたちの願いに、区は「新宿区民でないから」と断わりました。それならボランティアでと職場の仲間に呼びかけ、遊びのボランティアを立ち上げました。
91年のことです。当時はおもちゃ図書館からおもちゃを借り、自転車に積んで病院に通いました。最初6人のボランティアが今では70余人。主婦、大学教員、保育士、元看護師、学生など多様な人々が参加。5割が社会人で5割が学生です。2009年度の活動は31床の病棟で年間161回、子ども延べ807人にボランティア944人が関わりました。子どもは点滴がついていたり、乳幼児も多く一人、一人に手がかかります。ボランティアの数が子どもより多いのが特徴です。
この活動は最初から道があったわけではなく、モデルがあったわけでもありません。最初の頃は「今日、遊べる子はいません」と看護師に言われ、病室に入れてもらえなかったこともありました。でも、面会時間が終わるとお母さんは帰ってしまう、寂しくて泣いている子ども、遊びたいと言えない子どもたちが中にいました。そんな状況を放ってはおけません。ボランティアを養成し、19年間無事故をつらぬき、今では医療スタッフや家族から深い信頼が寄せられています。定期的な土曜日の活動に加え、平日も長期入院の必要な子どもの個室を訪問するほか、クリンルームやICUなどでも子どもと家族に寄り添います。亡くなった子どもの家族に対しても交流を続け、さらに在宅のボランティア派遣も始めました。
1998年と2005年にはアメリカ・カナダの子ども病院を視察し、海外の活発なボランティア事情を日本に紹介。2006年にNPO法人を立ち上げました。「病気の子どもへの社会支援」や「柳田邦男さんと考える子どもの緩和ケア」などをテーマにフォーラムを開催し、活動の重要性を訴えてきました。2010年、病院のすぐそばに1室を借りました。24時間病室に付き添うお母さんたちを応援したいと、おばあちゃんちのような憩いの場「ハウス・グランマ」をオープンしました。でも行政の補助も受けられないNPOにとって高い家賃をいつまで払い続けられるかな?
不安いっぱいの挑戦が続きます。