社会貢献の功績
内田 和子
養護施設を退職後、里親登録し里親としてのキャリア22年。八王子市で昭和63年に3歳の子どもを受託されてから「里親として子どもをきちんと育てたい。子どもの数の多さより、責任をもてる範囲で養育したい」という信念で10人の子どもを大切に育てられた。昨年度からファミリーホームの認可を取得。またNPO法人東京養育家庭の会のみどり支部に属し、後継者を育て、地域の人々の触れ合いを活性化するなどの活動も続けられている。
この度は、社会貢献者表彰をいただく事になり大変に驚いています。これまで晴れがましい舞台には縁がなく、思いがけなく大きな歴史のある賞を頂くことになるとは予想もしていなかったので、身が縮む思いをしております。
思い起こせば39年前、9回ほど遠回りして短大に入学しました。それまで中学卒業後、郷里で看護助手をしていましたが、これからは女性も手に職をつけたほうが良いと言われ、上京し保育士を志しての入学でした。しかし学び、実習を経験する中で、児童養護施設職員の道を選びましたが、5年位働く中で施設養護の限界を感じてドイツに行き、養護施設で約2年研修を積みました。その際に地域の中で家庭のように少人数で運営されている施設に出会い「これだ!」と思いました。
帰国後に結婚し、施設の中に家庭的な雰囲気を取り込もうと努力しましたが、さらに限界を感じる事が起きました。ある日、施設の中で子どもに「先生は帰る家があっていいね。帰ったら自由なんでしょ。」と言われた事に、胸を大きくえぐられる思いがしました。どんなに頑張っても家庭ではない。子ども達、特に小さな子どもたちには家庭が必要なのだ、と痛いほど感じた出来事でした。
15年勤めた児童養護施設を退職して里親になり、今年で23年を迎えます。今日まで10人の子ども達と出会い、現在は小学校から高校生まで4人の子どもと生活を共にしています。育ちあがった元里子の娘は特別養護老人ホームで働きながら、休みの日には実家のように我が家に寄って、下の子ども達の面倒をみてくれます。
夫は私が里親をしたいと言った時も、すんなりと受け入れてくれた穏やかでやさしい人で、無理がたたって倒れた時もありましたが、悩み、戦い、奮闘があったからこそ、子どもと一緒に夫婦共々成長できたと思っています。
この間、平成14年に創設された養育家庭支援員として4年位里親さん達の相談に応じ、児童相談所と連携を取り交流会を催すなど務め、同年新設された専門里親の研修を受け、専門里親にも登録しました。東京都では昭和60年より独自に4〜6人を養育するファミリーホーム制度がありましたが、平成21年、国は小規模児童養育事業として制度化し、旧制度、新制度双方で14年間ファミリーホーム養育をさせていただきました。現在はNPO法人養育家庭の会みどり支部の支部長を務めさせていただいています。
里親は私にとっては生き方です。その生き方を支えてくれたのは子どもであり、夫であり、仲間です。この受賞は私だけのものではないと思っています。
人生が続く限り私は子どもと歩むこの生き方を貫いて行きたいと思っております。ありがとうございました。