平成27年度 社会貢献者表彰 受賞者一覧
(敬称略)
海への貢献の功績
- 海の安全確保、環境保護、汚染防止等に尽くされた功績
- 海に関わる産業分野において
・傑出した技能による同分野への貢献と技能の伝承に尽くされた功績
・優れた発明・考案・改良等により同分野の発展に尽くされた功績
京都府立海洋高等学校(京都府)
平成19年度から阿蘇海の水質改善や、宮津湾で混獲され廃棄処分には費用のかかる「ヒトデ」を堆肥化する取り組み、天橋立の水域環境の保全推進のための「マリンフォレストプロジェクト」の展開、藻場(アマモ)を造成する取り組みとウニによる食害を防ぐ取り組み、底曳網に入る大量のエチゼンクラゲによる被害を防ぐために府の海洋センターなどと共同で底曳網の改良と開発、海の環境と山の環境は互いに影響しあうことから、森づくりにも着手し、他団体と協力して育樹際に参加し植林や林道整備、啓蒙活動などに取り組んでいる。平成25年度から文部科学省のGLOBE校に指定され、学校の桟橋で毎日水質測定や毎月の海洋観測結果をホームページに掲載し、地元の漁業者に活用されている。 >>詳細
推薦者/京都府教育委員会
大洗サーフ・ライフ・セービング・クラブ(茨城県)
平成4年に母体が発足し、同5年現在の活動名となり、茨城県大洗町の大洗サンビーチでライフセービング活動を始めた。同9年に日本初の「ユニバーサルビーチ(当時はバリアフリービーチ)」の運営を開始し、水陸両用の車椅子を導入し、障がい者専用の駐車場や更衣室も設置した。このユニバーサル・クラブの利用登録会員は同26年に1000人を突破し、新型車椅子の制作を開始。海水浴場設置期間にはパトロール活動の他、クリーンキャンペーン、スポーツキャンペーン、ユニバーサルキャンペーン、自然体験教室なども行ない、海水浴場の運営に限らず、地域の行事に参加したり、津波避難誘導訓練を行ない、有事に備えた活動も行っている。 >>詳細
推薦者/大洗町 商工観光課
社会貢献の功績
- 精神的・肉体的に著しい苦労、危険、劣悪な状況に耐え、他に尽くされた功績
- 困難な状況の中で黙々と努力し、社会と人間の安寧・幸福のために尽くされた功績
- 先駆性、独自性、模範性などを備えた活動により、社会に尽くされた功績
特定非営利活動法人 With 優(山形県)
山形県米沢市で、フリースクールや就労支援を兼ねた会員制の居酒屋などを運営するNPO法人。代表の白石さんが、大学卒業後の就労経験などから平成19年にフリースクールを設立するに至った。フリースクールの他に、15歳から39歳までの就労を支援する「置賜若者サポートステーション」や中間就労支援の場となる「会員制居酒屋結」を運営している。この居酒屋は、接客などの接遇等を通じて、社会へ出る前の予行演習の場となるため、客には主旨を理解した上で来店してもらうため、会員制としている。また経済的理由でフリースクールに通えない生徒のための「教育支援基金の運営」も行っている。この他、就労体験や相談の場を兼ねた「カフェレストラン」の運営や、支援の可視化を目的とした「ひまわりプロジェクト」といった事業を行った。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
NPO法人 日立理科クラブ(茨城県)
日立製作所のOBを中心に、約100名のボランティアで構成され、日立市とその周辺の子どもたちに、科学に対する興味・関心を高める活動を平成21年から行っている。主に6つの事業を推進しており、(1)市内全小学校25校に「理科室のおじさん」を派遣し、理科授業の準備や休み時間にミニ実験教室を開催している。(2)「小・中学校の授業支援」として、教科書に加え身近な理科の応用原理を体感できる手作り教材の開発や科学クラブの支援活動など、平成26年度は合計484時間の支援を行った。(3)「理数アカデミー」科学者や技術者を目指している中学生を対象に毎月1回、生活に関係した発展的学習を行っている。(4)「モノづくり工房」毎月2回土曜日に小学生を対象に工作や実験教室を行っている。⑤「科学ふしぎ発見教室」水ロケット教室を毎月1回開催し、年1回の大会ではその成果を競い合っている。⑥「地域科学教室」地域行事や青少年のための科学の祭典に参加して理科実験の面白さを広めている。これらの活動により、日立市の「理科好き」の子どもを増やしており、全国の理科クラブの手本となって他県からの見学も多く、特に「理科室のおじさん」の派遣は他に例がなく、科学教育推進の成功例として注目を集めている。 >>詳細
推薦者/日立市
更生保護法人 両全会(東京都)
大正6年(1917)に東京・市ヶ谷刑務所の教誨師であった藤井恵照氏が創設した更生保護施設で、自宅を開放して女性の出所者の収容保護と指導を開始した。平成7年に更生保護法人となり、同10年には渋谷区代々木の現在の敷地に移転した。現理事長小畑輝海氏が同19年に就任以来、寮生が自立し社会復帰を実現するため、寮生の「人間性の回復、再犯防止」を目指し、様々な取り組みを行っている。生活指導や就労支援に加え、各方面の講師を招いて文化的な活動を行なって情操を養う取り組みや、薬物や常習窃盗からの離脱プログラムを設け退会後もサポートを受けることができるようになっている。また平均4ヵ月の寮生活では短すぎる寮生のために、2、3年の寄り添い支援を行う新たな体制の準備も行っている。同会は、100年近い歴史を持ち、創設者の意志を受け継ぎながら、一般的な「更生保護施設」の枠を超え、制度や限られた予算の中から試行錯誤を重ね、再犯防止に向けた先駆的な試みを次々と実施している。「人間力と人間愛」に富んだ職員と多くの民間協力者の支援を得て、各種の指導と処遇が行われている。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
社会福祉法人 福田会(東京都)
明治9年に創立され、日本で最初に児童養護を始めた組織で、創業139年を迎えた。長い歴史のなかで、大正9年にシベリアで難民化したポーランド人の孤児375人を受入れ、手厚く養育した事実は今でも同国で語り継がれている。現在は渋谷区広尾で児童養護施設「広尾フレンズ」、障がい者入所施設「宮代学園」、都内で充足率の低かった、都市型軽費老人ホーム「広尾グリーンハウス」認知症高齢者グループホーム「グループホーム広尾」を運営している。培われた児童養護の経験を活かし、同じ敷地内で高齢者施設を運営し児童と高齢者が心の交流を持てるような新規事業を導入したり、障がい児の放課後などのデイサービスと就労継続支援B型の福祉事業も開始するなど、積極的な運営を行っている。土地柄、駐日大使館との交流も多く、折に触れ児童は大使館からの訪問客と交流も深め、国際交流にも貢献している。「広尾フレンズ」内に設けられた「地域交流ホールさくら」では音楽会や素読会を定期的に開催し、地域の人々との交流に利用され、開かれた福祉施設の運営を心がけている。 >>詳細
推薦者/安藤 秀行
NPO法人京都ほっとはあとセンターの前身組織である京都授産振興センターは、京都府・京都市の全面的な協調支援を得て、府内の86カ所の授産施設や共同作業所が参画し、障がいのある人たちの自立と社会参加を促進するための団体として、平成7年4月に発足し、障がいのある人が作った製品、いわゆる「授産」製品の品質向上のために専門家を派遣する事業、京都駅ビル内に常設販売所を開設する事業に着手した。その後、就労継続支援A型施設「喫茶ほっとはあと」の運営も開始し、障がい者15名が一般就労に向けて実地トレーニングを積んでいる。また、B型事業所から一般就労者を送りだす事業にも取組み、名乗りを挙げた74名の障がい者の内、39名(平成27年3月時点)の一般就労移行に成功している。この取り組みは全国に先駆けて、京都府だけが行っている事業である。加えて、小規模であるがゆえに、個別では大量の製品受注の困難な事業所の共同受注センターとして、京都府や京都市等からの共同受注に応じている。受注内容に応じて、発注対象事業所の規模や能力に見合った仕分けを行い、品質の安定を保ちながら、納品等を含めた調整業務を担っている。製品の製造のみならず、京都市役所の周りの花壇の整備や京都府庁舎や京都市施設等の清掃、京都市立保育園ゴミ処分、民間社会福祉施設の清掃といった役務も受注している。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
特定非営利活動法人 このゆびとーまれ(富山県)
富山赤十字病院に勤務していた看護師の惣万佳代子さん、西村和美さん、梅原けいこさんの3人が退職金を出資し、このゆびとーまれを開所させた。平成5年に富山県で初めての民間のデイサービス事業となった。看護師時代からの経験上、高齢者、障がい者・児、乳児が一緒に過ごす共生型福祉施設(日本で初めて)にしたが、「介護と保育は分野が別、補助金は付けられない」と行政から告げられ、賛同者の寄附などでギリギリの運営をしていた。その後、市民の声の後押しによって、補助金を受けられるようになり、4年目には対象事業の緩和となり、8年目に介護保険法や障がい者総合支援法の成立で経営を軌道に乗せることが出来るようになった。行政とも協働で取り組むようになり、この共生型福祉施設は「富山型デイサービス」と呼ばれ、全国に展開している。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
美野島司牧センター(福岡県)
平成2年頃、来日した主に南米の日系人労働者たちが、言葉や文化の違い、日常生活での不便な状況など問題を抱えており、福岡市でも同様の状況であった。カトリック教会が彼らの心の拠り所となっていたが、あまりに多くの相談がよせられることから、フランス人のマルセル神父に依頼し同6年にセンターが開設され、入管、健康保険、ビザなどの行政での手続きや、病院への付き添いから子どもの教育、賃金の未払いなど様々な面でサポトしている。また、同センターは施設の一部を薬物依存のリハビリをサポートするNPO法人九州ダルクや路上生活者支援のNPO福岡おにぎりの会、NPO法人美野島めぐみの家などにも開放し、センターの活動として共に歩んできた。これまでに延べ50万人以上が利用してきた。21年に亘る活動。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
國井 美保子(兵庫県)
兵庫県小野市で昭和48年から、地域住民を対象とした料理教室の講師を務め、家庭料理の指導と行うと共に、安定した家庭環境と地域福祉向上のために尽力してきた。また、精神障害者が社会参加できるように居場所作りを行ってきた、精神保健福祉ボランティア「ステップ」の活動は同市からの受託して共に行なうようになったほか、給食サービス配送ボランティア「いなほの会」で26年間にわたり一人暮らしの高齢者宅へ弁当を配るボランティアとして活躍している。 >>詳細
推薦者/コミュニティーいちば
公益財団法人 徳島県老人クラブ連合会(徳島県)
徳島県で昭和32年に設立された老人クラブの連合会。同59年から、地域のひとり暮らしの高齢者をその地域の老人クラブ会員が定期的に訪問する「友愛訪問活動」を、「高齢者が高齢者を見守る全国初の試み」として開始し30年に及ぶ。現在では県内24市町村全てで友愛訪問活動は行われており、1,833名の友愛訪問員が5,047世帯を対象に定期的な訪問を行っている。この活動によって高齢者の安否確認はもとより、仲間の近況報告や世間話の相手になって孤独感の解消、孤立化や閉じこもりの防止にもなっており、高齢者の自殺予防にも有益な活動として継続している。 >>詳細
推薦者/徳島県保健福祉部長寿福祉局長寿保険課
安田 未知子(沖縄県)
昭和6年に東京で生まれ、第二次世界大戦を両親の故郷沖縄で迎え、学校長と牛島中将の伝令役として戦争に参加。校長の命で県外に進学していたかつての上級生に沖縄へ戻るよう訴える手紙を書き、戻った40名がひめゆり学徒隊となって全員命を落とした自責の念と教育の恐ろしさから教師になることを躊躇したが、「教師志望だった先輩たちの代わりに自分が」と沖縄初の女性英語教官となる。我が子5人の他に通算43人の子どもを自宅などで世話し、私費で進学させた。在職中に何度も大病を患ったが、沖縄の薬草服用や食事を見直し克服。定年後は介護老人保健施設を設立し、施設内にハーブ園を設け、無農薬ハーブの栽培を通じ障がい者の就労にも結び付けている。すべての障がい者と50余年を共に歩み、現在は、スペシャルオリンピックス日本・沖縄の会長を務めている。いつの日か、障がいを持つ人が安心して暮らせる村が出来ないかと「一人(ちゅい)たれいだれい」(一人でできないなら支えあおう)の心で実現に向けて準備している。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
中本 忠子(広島県)
広島市中区で昭和55年から保護司として活動する中、空腹が子どもを非行に走らせる大きな要因だと気付いた。保護観察中の少年に食事を振舞ったところ、同じような境遇の少年を連れてくるようになり、中本さんの家は行き場の無い子どもたちが、多い時で50人を余って入れ替わり立ち代わり来るようになった。中本さんはそうした子どもたちに余計なことはことは聞かず食事を振舞い、話をじっくり聴いて、「万引きは悪いこと、お腹が空いたらすぐここに来い」と伝え、不登校の子どもには、学校側とも連携し自然に更生へ導いている。中本さんは、一日に3升の米を炊き、市営住宅の自宅で食事をとらせるが、当初10年は自費で行っていた。中本さんのおかげで学校に戻ったり、仕事に就いて成人を迎えた青年から、毎年母の日にはプレゼントが贈られる。平成16年からは中本さんの活動を知った地域の人や保護司、更生保護女性会が協力して毎月2回、中央公民館で「食べて語ろう会」を開催するようになった。毎回20人~30人の子供たちが参加する。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
社会福祉法人 カリヨン子どもセンター(東京都)
昭和62年からいじめ、不登校、虐待、少年犯罪などの電話・面接相談「子どもの人権110番」などで子どもの人権救済活動に携わっていた坪井節子氏(弁護士)が、日本で初めて平成16年6月に今日眠る場所のない子や家に帰れない子どもたちの緊急避難場所となる「子どもシェルター」を開始。以来10年程で、シェルターにやって来た子どもたちは、310名。活動は自立援助ホームを運用するなどさらに拡大している。これらの活動がモデルとなり全国的な広がりを見せ、現在12法人、8ヵ所のシェルターが開設され、「子どもシェルター全国ネットワーク会議」として展開されている。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
東京都新宿区を拠点に平成13年から「ホームレス状態にある人が、アパートで新生活を始めるための暮らしの基盤作りを手伝う」活動を行っている。具体的にはホームレス状況に置かれている人の連帯保証人を引き受け住居を確保し、共通の課題を抱える当事者同士の交流を通じて、社会的な孤立の解消を目指している。新しい生活を始めるための「入居支援事業」、様々な相談に応じる「生活相談・支援事業」、社会的な孤立状態を解消するための「交流事業」、行政に的確な提言と社会の理解を得るための「広報・啓発事業」を行っている。 >>詳細
推薦者/Dream World 大畑敦志
望海地区在宅サービスゾーン協議会(兵庫県)
兵庫県明石市の中心に位置する望海地区で、平成7年に保健医療福祉の専門職と行政と住民がネットワークを組んで設立された協議会。高齢化、認知症、独居、コミュニティの崩壊、学校崩壊、予想される災害の被害等を解決しようと模索する中で、効果を発揮した「地域劇」の公演を同11年から毎年開催している。地域の課題を住民が物語にして、住民が監督、役者を務め、住民の前で演じる。きっかけは、何度説明しても理解されない介護保険制度について、在宅介護支援センターが制度を簡単な寸劇にしてみたところ「よくわかった!」と大反響を得たところから。この結果から「ぼうかい劇団」が立ち上がり、悪質商法、老後のいきがいづくり、認知症予防、まちづくりなどさまざまな問題に取り組み、課題を住民みんなで物語に変え劇にすることで、参加者に強い連帯感が生まれ、劇が終わっても引き続き課題を解決しようとする更なる活動につながるといった効果を生み出している。 >>詳細
推薦者/望海地区在宅サービスゾーン協議会
公益財団法人 ふきのとう文庫(北海道)
昭和45年に小林静江さんが長年病床にあった妹の死をきっかけにその遺志を受け継ぎ、病気や障がいをもつ子どもたちに本を届ける活動をはじめ、同48年に小樽市内の小児病院内にミニ図書室ふきのとう文庫を開設した。障がい児や幼児が楽しめる「布の絵本」を開発したことは先駆的で日本全国、海外にも知られるようになった活動の一つ。また弱視児童のために字や絵を大きくした絵本や教科書「拡大写本」も作製している。「障がいをもつ子どもにも発達があり、文化を享受する権利がある」という信念のもと40年以上にわたり活動を続けている。平成26年に札幌市中央区に移転し、蔵書は1万6千冊、障がいを持つ子どものための「布の本」「拡大写本」の蔵書は1,100冊を超えている。登録ボランティア110人、布の絵本と拡大写本作りに60人程が関わっている。>>詳細
推薦者/遠藤 知恵子
高島 法子(東京都)
榎本 恵子(東京都)
東京都小金井市で、パン作り教室で出会った高島さんと榎本さんは同市で障がい者が仕事をできる場所を提供したいと平成12年に有限会社として「パン工房ノアノア」を始めた。「パン工房ノアノア」では障がいを持った人も、健常者も人として同じ位置づけであると考え、互いに助け合って障がい者の自立活動を支援するとともに地域の福祉向上に寄与することを目的に、パンの製造販売を通じで利用者の工賃の改善と、活動の場が少しでも増えることを願い、一般社会での就労を目指して職業技術が身に付くように運営している。工賃アップへの取り組みとしてパンの具材の多くを内製することで製造原価を抑えるなどの工夫をしている。現在地域の保育園や老人ホーム、大学生協への配達、農協などにも協力してもらい、9の市区にまたがる22に及ぶ販売先を持っている。平成16年にNPO法人格を取得、同20年に多機能型事業所と認められ、2つ目の事業所「パン工房ノアノア」を開設する。平成23年3つ目の事業所「パン工房モナモナ」を開設。同25年には生活介護グループホームを、26年に生活上の支援を必要とする相談支援を行う窓口「モナモナ相談支援センター」を開設した。>>詳細
推薦者/特定非営利活動法人 チャレンジャー支援機構
やすづか学園菱里地域支援委員会(新潟県)
新潟県上越市で、平成8年に設立されたフリースクール「~自由の学び舎~・やすづか学園(前身:やすづか自由学園)」を学園創立と同時に、その趣旨に賛同した地元・菱里地域自治会の全住民によって組織され、以来20年にわたり、いじめ・不登校に悩み苦しむ子どもたちを立ち直らせようと交流会や農作業体験、草刈り作業や環境整備作業を通して物心両面から支援を継続している。>>詳細
推薦者/社会福祉法人 上越市社会福祉協議会
あさひ福祉作業所(山梨県)
山梨県北杜市高根町で桑畑を開拓し、障がいを持った2名の青年と島充弘さん武代さん夫妻が昭和52年に始めた福祉作業所。充弘さんは福祉系の大学を卒業し、福祉施設に就職して養護や就職支援をしていたが、当時は制度も確立していなかったことから、仕事を見つけられない人が大勢いた。その現状を知った充弘さんが武代さんと作業所の開設を決意した。国の制度に頼らず、自分たちの力で自立を図る姿勢に多くの人が賛同し、障がいを持った青年も多く集まった。養豚や原木しいたけの栽培を主とし、後に養鶏や工場の合板カット、近隣工場の部品の箱詰めの請負もしたが、バブル崩壊後、工場からの受注が減り、運営が厳しくなった。平成21年には充弘さんが亡くなったが11人の青年が意思を引き継ぎ、組織変更などがあったが、作業所は運営を継続しており、国産原料にこだわった焼き菓子や天然酵母パンなども販売するようになった。>>詳細
推薦者/GreenT 株式会社
肢体不自由児水泳訓練教室 ラッコの会(千葉県)
昭和52年に障害児・者のリハビリテーションに開催された短期の水泳教室がきっかけで、継続したいという家族の要望に応えてラッコの会として始められた。肢体不自由児に水泳訓練を行うことで、運動機能や心肺機能の向上、併せて精神面の成長を促すことをめざし活動している。現在、毎週日曜日に25人の子どもとその家族が参加している。現会長鎌田さんは元大学のスポーツ専門家で、学生ボランティアを指導し、肢体不自由児と家族が参加できる海水浴やヨット乗船体験、スキー体験など通常では体験が難しい活動も取り入れていたこともある。39年にわたる活動。>>詳細
推薦者/岩根 信也
かたくり工房(岐阜県)
岐阜県揖斐郡の農山村である谷汲地区では高齢化が進み、耕作放棄地が各所にあったが、地域の高齢の女性たちが荒廃する農地を有効活用して地域の特産品作りを始めることにし、平成12年に発足した会。資金は無かったことから、廃業した工場の一部を借り、中古の備品を手に入れ、年金を拠出するなどして運営し始めた。味噌、漬物、らっきょう、お餅、惣菜など、安心安全な製品を安価で提供して好評を博し、15年に亘って活動している。また、保育園や小学校での食育指導や近所の福祉施設へ地元産の餅などを届ける慰問活動なども行っている。会員数が減少の一途にあるが、シルバーの輪を広げ、後継者の育成に努めている。>>詳細
推薦者/堀口 賢一
長野県信鈴会(長野県)
昭和38年、信州大学医学部付属病院耳鼻咽喉科看護婦長だった今野弘恵さんが、声帯摘出手術を受けた患者たちの声を取り戻そうと、病院と折衝を重ね、患者たちを説得し、病院独自の発声教室を開設し、その後、長野赤十字病院とも連携し、県の協力もあり、同44年に長野県喉頭摘出者の患者会「信鈴会」を誕生させた。当時は治療が中心で術後のリハビリにまでは手が届いていなかったが、声を失った患者たちに希望と勇気を与え、発足当時は2教室であったが、現在は6教室にまで拡大されている。>>詳細
推薦者/今野 弘恵
豊能障害者労働センター(大阪府)
大阪府箕面市で、養護学校を卒業する予定の脳性麻痺の少年が、「行き場がない」と訴えたことから、昭和57年に築30年の民家を事務所にし、障害者2人を含む6人で、粉石けんの袋詰め、販売を手始めに豊能障害者労働センターが始まった。それから33年、現在は障害者37人を含む55人が活動を続け、リサイクル事業としてショップ4店舗を運営し、オリジナルTシャツの通信販売事業、飲食店、点訳事業等を行なっている。これらの事業収益と同市独自の「障害者雇用助成制度」に基づく助成金によって重度の障害者を含むスタッフ全員に最低賃金以上の給料を生み出している。また、阪神・淡路大震災や東日本大震災の被災障害者支援にも、バザーを開催するなど、取り組んでいる。>>詳細
推薦者/箕面市健康福祉部障害課
ファイナルステージを考える会(福岡県)
余命告知を受けた癌患者や難病を抱えた人が、人生最後の舞台を人任せではなく自分で企画し、良き死を迎えるために、医療や看護のすきまを埋める組織として、平成6年に、当時癌により余命6ヶ月を告知された小山ムツコさん(同12年に57歳で死去)と、麻酔科医(ペインクリニック開業)の清水医師らによりボランティア団体として福岡市で発足。22年目を迎える。活動内容は (1)患者やその家族の悩み苦しみに寄り添って聴く傾聴 (2)デイホスピスの運営 (3)毎月定例のグリーフケア「なごみの会開催 (4)保育ボランティア (5)模擬医療面接の際の患者役を養成、派遣の為の模擬患者 (6)ハウトケア(手足のマッサージ)など。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
うつろ木ファミリー(広島県)
広島市安佐南区緑井地区の西村家は自宅兼店舗お好み焼き店「うつろ木」を営んでいたが、平成26年8月20日に広島市で発生した土石流災害で、自宅が床上まで埋もれた。事態を心配した友人や常連客が駆け付けたが、自宅や店舗の片付けよりも「地域の復興が先」と駆けつけてくれた人々と地区の復旧を行なった。やがて同家はボランティアセンターのようになり、平日は100人、休日は400人もの人が各地から集まるようになった。地域を回ってボランティアを必要としている家を探したり、県外からのボランティアの受け入れ拠点となったり。ボランティアに必要な資器材を調達、ボランティアへの炊き出しなどを行った。この活動は支援要望が殆ど無くなるまで継続され、ようやく店舗再開へ向けて乗り出し、昨年12月に営業を再開した。同家は災害復旧工事関係者やボランティアの人たちからいつのまにか「うつろ木ファミリー」と呼ばれるようになった。>>詳細
推薦者/中井 聰
認定NPO法人 うりずん(栃木県)
栃木県宇都宮市で、医療的ケアが必要な重い障がい児者を日中預かることで、その家族を支援する「レスパイトケア」を行う施設として平成20年に設立された。同県内で唯一民間の診療所が行なっているレスパイトケア施設。同市で外来診療、在宅医療を行うクリニックを運営する髙橋昭彦医師が、在宅医療を行う中、24時間子どもにつきっきりで介護しなければいけない状況を目の当たりにし、日中重い障がいのある子どもを預かって家族の負担を軽減しようと、運営の困難を承知の上始めた活動。民間財団の助成を受けて事業を始めたところ、同市が関心を示し、事業委託先となったが、利用者の立場に立った「臨機応変な対応」ができる施設を心がけているため、財政面では負担も多く運営は厳しい。利用者のニーズに合った運営を行うため、規模を広げて新しい拠点をつくる計画を進めている。>>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
草柳 和之(東京都)
平成9年から、自ら主宰する心理相談機関「メンタルサービスセンター」を通じて、未開の領域であったDV加害者更生プログラムに着手した。同11年には岩波書店からDV加害者に関する日本で初めての本を出版した。草柳さんが提唱した専門用語「加害者臨床」は2010年代に入り、多くの専門家が使う様になり、専門誌への執筆や学術集会での講演。研修も行っている。DV防止の啓蒙活動にも関与し、DVカルタの作成やDV根絶を呼びかけるコンサート活動を行ってきた。20年近く、加害者の更生、被害者のカウンセリングや裁判支援、DV防止の社会活動に一身に取り組んできた。>>詳細
推薦者/鈴木 真吾
五色園区自主防災隊(愛知県)
愛知県日進市で平成12年に地域自主防災組織として設置され、地域における自主防災訓練の実施、災害時避難行動支援者の掌握、火災予防夜警啓発などを毎年実施し、地域住民に防災意識の普及・啓発活動などを積極的に行い、「防災・減災」をキーワードに地域の繋がりと絆を深め、災害発生時には住民通しが声を掛け合い、助けあう「共助」の意識を浸透させている。15年にわたる活動。>>詳細
推薦者/愛知県日進市 危機管理課
平成2年に全国に先駆け神奈川県で制定された知事認定資格「神奈川県森林インストラクター」に認定されたインストラクターによって同4年に発足し、同20年にNPO法人に認定された。県の進める「かながわ水源の森林づくり」などに協力し、同県の緑を守り、育てる環境保全を行っており、森林と人をつなぐ県民運動を同県下一円で展開している。植樹や間伐、枝打ちなどの山仕事を指導したり、自然観察や普及啓発イベントの開催などを行っている。>>詳細
推薦者/公益財団法人 かながわトラストみどり財団
柾美会(京都府)
京都市で昭和28年から同市の障がい者支援施設大照学園で月一回第4月曜日に利用者の散髪を無料で続けて61年目を迎えた。同市内の理容学校の同期生7人によって、当時聾唖児施設だった大照学園で毎月2回のカットモデルとして入所者の散髪を行っていたことが活動の始まり。一時期は40人の理美容師が会員となっていたことがあり、これまでに500人近くの理美容師が関わって来た。現在の会員は18人。月一度の散髪の他、節目の年には同学園の園児と潮干狩りなどのレクリエーションを行ってきた。>>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
女川1000年後の命を守る会(宮城県)
平成23年に発生した東日本大震災で、宮城県女川町は43.7メートルの津波により住宅の9割が被災し、873人が死亡・行方不明となった。その中で震災の年に女川第一中学校に入学した生徒たち64名が、社会科の授業で「愛するふるさと女川に出来ることは何か…」と考え始め、同年11月 (1)災害時に住民同志が助け合える絆作り、(2)広い避難路と高台の町づくり、(3)震災を記録に残す、の3つの対策を実現させ、「1,000年後の命を守ろう」と活動を開始した。その願いの一つとして、町内21ヵ所の全ての浜に津波の襲来を伝え、全ての人の命を守ための「女川いのちの石碑」を建立する計画を立て、目標となる1,000万円の募金を同25年2月に開始し、半年で目標額を達成。同年11月に最初の石碑を完成させた。中学校を卒業した現在も約20名が石碑を9基完成させ(残りは高台集団移転が完成後)、震災時にいただいた多くの支援の恩返しとして、自然災害から人々の命を守る『女川いのちの教科書』をつくり、日本、そしてアジアの国々に届けようと活動を続けている。>>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
高橋 美知子(岩手県)
盛岡市の公民館の一角に図書室「うれし野文庫」を開設して以来、40年間近く子どもの本にかかわる活動に携わり、岩手県を中心に青森、秋田の各県で子どもたちにストーリーテリングや読み聞かせを、また大人には子どもと読書の大切さについて講話や講座を行っている。そのようななか東日本大震災に遭遇し、とりわけ陸前高田市では市立図書館が全壊し、館長ら職員7人が犠牲になった。髙橋さんは「この街に何ができるのか。子どものための小さな図書館なら作れるのではないか」と思い、同市に小さな図書館を作るための活動を開始した。その後、市側から用地の提供を受け、2つの団体からの助成も決定し、トレーラーハウスによる子ども図書館「ちいさいおうち」を平成23年11月25日に開始した。「ちいさいおうち」は開設以来の利用者が約15,000人を超え、寄付等により蔵書も約4,900冊に増えるなど、被災地の子どもを育む図書館として運営されている。>>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
大石 由紀子(兵庫県)
神戸市で昭和40年から自宅で英語教室を開く傍ら、平成12年に保護司として活動していくなかで、外国人を金銭で売買し、売春を強要されたり、地域での教職員や公務員による女性・障がい者への性犯罪がややもすると隠蔽されたりすることに心を痛め、自宅に「Oishiサポートセンター」を開設、被害者の女性の心のケアを担ってきた。国内ではソロプチミスト会長としてそのような活動報告を続ける中で、国内外の様々なネットワークにより、広報・啓蒙活動を続け、国際的な活動を行っている。国内外での人身売買防止に向けての法律改正や各種機関の設置が徐々にではあるが進みつつある。>>詳細
推薦者/兵庫県会議員 芦田 賀津美
特定非営利活動法人 ロバの会(京都府)
昭和38年、会の代表者となる山田新作さんが京都市の点字図書館で朗読・録音活動を開始。点字図書館の蔵書を次々と作った後、同50年にボランティア仲間に勉強会を呼び掛け「ロバの会」を結成。医療や音楽、スポーツ、食事、旅などバラエティーに富んだテープ情報誌「ロバさんの情報ファイル」を全国に発行した事で、利用地域を限定する図書館での活動から独立した。その後、終日電話で聞ける「朝日新聞天声人語」、「郵便局ふるさと小包・全国版」「高島屋通信販売カタログ」を発行、爆発的な反響を呼んだ。ロバの会は、全国に先駆けて録音図書のデジタル化に取り組み、テープを全てCD化、視覚障がい者の自立のための医学書・参考書をはじめ、セパメンバー表などは「いつまでも手元に置いて利用して下さい」という貸出しをしている。平成20年にはNPO認可も取得、同22年には文化庁から「視覚障がい者等のための複製又は自動公衆送信が認められる者」の指定を受け、43人の会員は活動を続けている。>>詳細
推薦者/社会福祉法人 日本ライトハウス情報文化センター
鈴木 剛生(東京都)
東京都台東区で柔道整復師として接骨院を経営する傍ら、平成14年から近隣の小学生から高校生に無償で格闘技を教えてきた。そこでは学校で教師に暴力を振るうような問題児や不登校児、いじめの被害者にも門を開き、区内の学校の生徒指導にも協力を続けてきた。道場生の中には隅田川でホームレス生活をしていた中学1年生もいたが、その子の父親代わりとなって定時制高校卒業まで援助したこともある。200名以上の子どもに格闘技を教え、その内10名のプロ選手を育てた。格闘技を通じて感謝する心や自分が愛されている事を教え、間違った方向へ行きそうな子どもたちに生きる目標を与えてきた。現在道場は教え子たちが引き継いで活動を継続している。>>詳細
推薦者/■■
笹原 留似子(岩手県)
岩手県北上市で納棺や復元納棺の会社を経営している。東日本大震災の後、岩手県北上市から岩手県沿岸被災地に入り、約4ヶ月の間に300人以上の損傷や腐敗の著しい遺体の顔を元に戻すボランティア活動を行った。損傷が激しい遺体のおもかげを探すため目や口の中に手を入れ、4時間程かけて復元した遺体もあったという。笹原氏は復元した人たちを思い出して描いた似顔絵と共に震災を伝える活動も行っている。そのような中で出会った子どもたちの話を聞き、心を和らげる場をつくろうと山口市で社会福祉法人「夢のみずうみ村」を経営する藤原茂氏らとともに大槌町に「子ども夢ハウスおおつち」を平成25年に設置し、家族を失った子どもたちの悲しみに寄り添い、自立支援のための活動をしている。>>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
平田 彰宏(大阪府)
平成7年から大阪府寝屋川市でほぼ毎朝、自身が経営する事業所の社員と共に勤務先周辺の清掃活動を行い、地域美化に貢献している。市の環境イベント「エコフェスタ」や市内駅前一斉清掃「美しいまちづくり条例啓発事業」、河川清掃にも積極的にボランティアとして参加している。また、子どものうちから環境美化や地球温暖化などに関心をもってもらうため、自身がエコリーダー『エコ仮面』に扮し、地元や近隣市の小学校・保育所を対象に、得意の音楽(自作の環境ソング)を取り入れながらの楽しい環境学習『エコすくーる!』を実践中。>>詳細
推薦者/大阪府寝屋川市環境部環境推進課
齋藤 充(宮城県)
福島県出身の医師で、東日本大震災の前年に旧女川町立病院に派遣され、災害当日、病院内で被災した直後から、入院患者や老人保健施設入所者のケア、薬を失くして来院する患者の診察のみならず、町内20か所以上の避難所の巡回や被災した全町民の支援、などの同病院職員による活動の陣頭指揮を執った。町民の健康問題は刻一刻と変化したため、行政と「保健医療福祉調整会議」を継続的に開催し、町の保健医療福祉のマネージメントを行った。また地域の繋がりの再構築も目指した包括的な相談支援チーム「女川町こころとからだとくらしの相談センター」の活動にも医師として指導。協力を現在も継続している。女川町では仮設住宅用地が少なく、隣接する石巻市内に同町民用の仮設住宅が設置されたことから、町外に出向いて巡回診療を開始した。また、震災後一時避難していた出島・江島の離島住民の帰島後に、譲り受けたプレジャーボートを用いて、時には自分で操船して巡回診療を開始し、現在も継続している。同病院は女川町地域医療センターと名前を変えたが、震災後、光を失った町内で、同病院だけが唯一の光の灯る場所であり、町民の心の支えであった。今後も町民に寄り添い、女川町の復興を陰で支えて行く。>>詳細
推薦者/日本医学会 会長 高久 史麿
広瀬川倶楽部(宮城県)
職業・年齢・役職・性別を問わず、会員相互の親睦・交流を図ることを目的として平成12年に仙台市で発足。平成16年からスタートした「収益金を全額寄付するチャリティコンサート」は、平成27年現在「15回」開催し、各種福祉施設への寄付金の累計金額は「5,475千円」となっている。東日本大震災発生直後から、会の代表坂上さんは、全国の知人に支援の呼びかけを行い、特に出身地広島県のマスコミに再三にわたり取り上げられたことで、広島県の方々を中心に、全国の3,700名以上もの個人の方々からダンボール35,000箱以上の大量の支援物資や多額の義捐金を集め、40ヵ所以上の被災地の仮設住宅・町内会、他へ届けている。被災者に「笑いと元気」をプレゼントしたいと平成24年2月に発足した「杜の都の笑楽隊」は趣旨に賛同した「40名」もの隊員が参加し、仮設住宅集会所を中心に9月末現在「176回」もの「バラエティーショー」を開催、平成24年5月にスタートした「ダツ教室」は9月末現在「481回」開催するなど、被災者から「こんな楽しいイベント」は他には無い」と大喜びされている。平成26年に発生した「広島土砂災害」では、仮設住宅の方々を中心に「東日本大震災で助けて頂いた広島の皆さんにお見舞いをしたい」との申し出が続出し、窓口となって「150万円」もの義捐金を被災地町内会へ直接届けた。>>詳細
推薦者/震災復興支援グループ「きぼう」
特定非営利活動法人 ジャパンマック福岡(福岡県)
依存症からの回復をサポートする組織「ジャパンマック」の17番目として平成25年に福岡に設立された。年中無休で、朝9時から5時まで、回復意欲のある人なら誰でも受け入れ、アメリカで行われているリカバリーダイナミクスの回復プログラムを基に、黙想やテーマに基づいたミーティング、体験を分かち合うミーティング、個別面談等を行って回復のサポートする。特にジャパンマック福岡の特徴として、男性の前で自分のことを話すことに抵抗がある女性の依存症者に配慮し、女性だけのミーティングを週1回開催している。また福岡で初めての女性依存症者のためのグループホームの運営を開始している。>>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
渡邉 修次(宮城県)
東日本大震災発生時、宮城県山元町立山下中学校の校長として勤務しており、同校は避難所となって、750人以上の避難者が集まったが、ボランティア活動を生徒や避難者から募ったり、避難者に各教室を活用させ、連絡員が毎日、連絡会議を行ない生活環境の改善に努めたり、コミュニティの課題を解決することを理解させて、避難所運営を避難者が自立するようにリードし、自分たちの生活を円滑にした。学校を定年退職後は山元町に観光協会がなかったことから「やまもと語りべの会」を平成25年に設立し、震災の記憶や同町の魅力を伝える活動を始めたり、「山元の未来への種まき会議」も設立し、町内で支援活動やボランティアの情報の共有や各団体の融合、調整等連携し情報発信する活動など、同町のために「自分の立ち位置で背伸びせず出来る事を活動する」と自然体で取り組んでいる。>>詳細
推薦者/りんごラジオ
社会福祉法人 北海道いのちの電話(北海道)
昭和53年に自殺予防を目的として札幌に設立され、36年に亘り年間平均19,000本の電話を、24時間年中無休で受け55万件に及ぶ相談に応じてきた。電話相談員は2年間の養成研修を自費で受講し、講義とロールプレイの演習、研修担当相談員の支援のもと、電話を受ける実践を経て、適性などを踏まえた上で相談員になることが出来る。相談員はここ数年10名~20名程誕生しているが、高齢化や負担の大きいことにより、それ以上の人が辞めて行くのが現状。以前に実施した通信利用状況調査では、受信率は約4%と非常に低い数値であり状況は今も続いている。このような相談員不足と厳しい財政難の中、運営資金を得るための募金活動やチャリティーコンサートの開催や広報紙の発行などを行いながら活動を続けている。>>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
神戸市立住吉中学校野球部OB会(兵庫県)
昭和52年に結成された神戸市住吉中学校野球部のOB会で、毎週日曜日に野球を楽しんでいたが、何か地域に貢献したいという思いから神戸市重度心身障害児(者)父母の会・東灘支部の障がい児(者)とその家族を支援している。支援活動は同54年から開始し、5月には運動会、12月には餅つき大会をするようになった。当時は今日のように障害福祉サビスが充実していなかった状況で、重度の障害者が家族だけで外出する機会が少なかった時期からの支援活動。特に「大運動会」は当初同OB会と重度障害者の家族の行事だったが、住吉中学校の生徒や先生、東灘区16の小学校区の地区民生員も参加し地域行事に発展しており、障害者を理解するための交流行事として位置付けられるようになった。>>詳細
推薦者/武田 純子
羽田 勝(徳島県)
徳島県で歯科医師として従事しながら、介護保険制度の要である介護支援専門員の職業倫理の向上と専門的教育及び研究を通じた資質の向上、更には、介護保険に関する知識・情報の普及を図ることによる県民の保険・医療・福祉・介護の増進に寄与するために、平成11年に「徳島県介護支援専門員協会」を全国に先駆けて設立した。 >>詳細
推薦者/特定非営利活動法人 徳島県介護支援専門員協会
金田 聖夫(山形県)
桜回廊で知られる山形県置賜地方で、同県の天然記念物である桜の名木、樹齢1300年の「薬師桜」と樹齢約800年の「釜の越桜」、いずれも老木で衰えが目立ってきたことから保存のために苗木作りを平成元年から開始し、7年の試行錯誤の上、苗木を創り出すことに成功。天然記念物であることから枝を切ることは出来ず、種を集め発芽させた苗を台木にし、雪折れした枝を接木する方法で増やしていった。(種を発芽させるのも最初は1/1000の確率だった)金田さんらの努力により、当時放置され、花数も減っていた置賜さくら回廊は息吹を取戻し、大勢の観光客が訪れるようになった。育った苗木は同県庁前を始め北海道から沖縄まで全国に贈られている。>>詳細
推薦者/川野 楠己
及川 リウ子(東京都)
12歳で発病し、14歳の時に病気の治療薬による副作用のため失聴、20代で東京のろうあ運動に参加、全日本ろうあ連盟に入局して昭和54年から平成5年まで同連盟に勤務した。当時足立区ろう者協会の会長も務めていたが、50歳の時に同連盟を退職して以降、足立区でろう者のための活動に専念し、当時バラバラに活動していた区内のろう者のための活動団体をまとめ、「特定非営利活動法人足立区ろう者福祉推進合同委員会」を設立し代表に就任した。平成16年には都内ではゼロに等しい高齢のろう者のためのデイサービス「デフケア・クローバー」を設立し、目下は「ろう者の高齢者ホームを東京都に一つでもいいから建てる」という目標の元、精力的にろう者のために活動している。及川さんの活動はほぼ無給で行われている。>>詳細
推薦者/佐藤 映司
栗山 さやか(静岡県/モザンビーク共和国)
東京・渋谷のファッションビルのショップ店員として勤務し、金髪に派手なメイク、黒く焼いた肌と流行のファッションで、若者らしい毎日を送っていたが、24歳の時に友人が夭折したことで、それまでの自身の生き方に疑問を抱き、25歳でバックパックひとつで海外に出発。平成18年からエチオピアの医療施設でボランティアをはじめた。その後アフリカ各国を巡り、同21年にモザンビーク北部で暮らし、エチオピア以上に過酷な環境にあるこの場所でNPOアシャンテママを設立し、最貧困地区に生きる子どもや女性への生活指導を開始した。更に同国の国家資格「医療技術師」の取得のため医療学校へ入学。猛勉強の末、現地の公用語、ポルトガル語での試験にも関わらすトップの成績で同資格を取得した。アシャンテママでは、子どもと女性合わせて約300名近くにまで増えている登録者に対し、生活指導、教育指導、医療援助などの支援プログラムを無償で提供している。>>詳細
推薦者/武藤 寿信
岩田 雅裕(大阪府)
口腔外科専門医で、日本国内でフリーランスの医師をしながら、年に8回、1回に1週間から10日ほどカンボジアに滞在し、ボランティアで手術や診察を行なっている。大学病院や総合病院の外科部長職に就いていたが、平成13年にカンボジアを旅行し立ち寄ったNPOが運営する小児病院に数か月後再訪した際、執刀を頼まれたことが活動のきっかけ。専門医の少ない同国で、同国の医師の育成にも力を入れ、講義や医療実習も行っている。活動範囲をスリランカ、ラオスやミャンマーまで拡大しています。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 社会貢献支援財団
奨励賞の贈呈
- 顕著な活動の発展や拡大を継続中の過去の受賞者に、毎年1件奨励賞を贈呈しています。
片桐昭吾・片桐和子夫妻(平成23年度受賞者)
「“子どもの憩いの村”のグラウンド整備」
インドのビシャカパトナム市郊外に建設した「子ども憩いの村」に、将来のオリンピック選手の育成に寄与できるよう、グラウンドを整備しました。