社会貢献の功績
肢体不自由児水泳訓練教室 ラッコの会
昭和52年に障害児・者のリハビリテーションに開催された短期の水泳教室がきっかけで、継続したいという家族の要望に応えてラッコの会として始められた。肢体不自由児に水泳訓練を行うことで、運動機能や心肺機能の向上、併せて精神面の成長を促すことをめざし活動している。現在、毎週日曜日に25人の子どもとその家族が参加している。現会長鎌田さんは元大学のスポーツ専門家で、学生ボランティアを指導し、肢体不自由児と家族が参加できる海水浴やヨット乗船体験、スキー体験など通常では体験が難しい活動も取り入れていたこともある。39年にわたる活動。
肢体不自由児水泳訓練教室(ラッコの会)は、昭和52年に習志野市の広報で参加を募り実施された、4日間の短期水泳教室を発端にして始まりました。
参加されたご家族から継続を望まれて、週1回の水泳教室に発展しましたが、その頃はまだ定期的な障害児・者のための水泳教室は他に類が無く先駆的な存在でした。
それから38年続いてきましたが、この度社会貢献者表彰という大きな賞をいただくことになり大変感慨深く思います。
会の代表である夫が今年3回目の脳梗塞になり、表彰式や祝賀会等に出席するにあたり、財団の皆様、ラッコの会の仲間に支えていただき、あのような晴れがましい席で賞を受け取ることができました。会場で隣り合わせた受賞者の方々にも助けていただき、受賞の喜びに加えて感謝の気持ちで一杯になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。
懇談会では多種多様な社会貢献活動を知る機会となり、人の思いが社会を支えていることを目の当たりにし、尊敬の念が湧き上がってまいりました。
ラッコの会が発足した時、夫は順天堂大学院で「肢体不自由児の水泳訓練効果」を研究テーマに、この水泳教室に水泳指導者として加わりました。
以来ライフワークとして続けてきましたが、なぜこの水泳教室が長く続いてきたのか聞いたところ、「必要だったからだろう」との返事でした。
時の流れの中で多くのものが消えていきますが、必要とされ続いてきたことを宝物のように思います。
会の目的は水泳を通して運動機能の向上と精神面の成長発達を促すことですが、地域社会の中に於いて、身近な施設で、家族、コーチ、仲間と共に充実した時間を持ち、生活の質がより豊になっていることが、必要とされ続いてきた理由のように思います。
もちろん、この水泳教室を続けていくのには、多くの方々の協力が途切れなくあったからこそです。まずは、活動場所である千葉アスレチッククラブの協力、そして賛助団体、習志野ライオンズクラブの経済的助成、更にボランティア指導員の努力が3本の柱となって会を支えてきました。そこに子どもの健康や成長を願うご家族が一緒に参加することで、水泳が無くてはならない生活の一部となり続いてきたということです。
毎週日曜日の水泳教室の他にも、海水浴などの野外活動を行っており、障害の有無を越えて共に楽しみ、つながれる場所であり続けたいと思います。
東京オリンピック・パラリンピックに向けて障害者スポーツの関心が高まる中、ラッコの会のような活動が広まり、障害があっても好きなことが自由に選び参加できる環境が整う事を願います。
代表者 鎌田 正弘
(文・鎌田美奈)