新庄民話の会
1985年に山形県の民話調査が実施され、伝承民話の多くの語り手が高齢で亡くなっていたことが判明し、新庄に伝わる民話を継承しようと、1986年に有志53名で会が発足された。活動開始から37年、発足以来、語り手の発掘や民話の掘り起こしを行うとともに、毎年開催している「みちのく民話まつり」では、県内外から多くの人が集まり、新庄市を民話の里としてその名を知らしめた。また、担い手育成のために、語り手が市内小中学校の児童に民話語りの楽しさを伝え教えることで「新庄こども語りまつり」への開催に発展、地域への愛着や柔軟な感受性を育んでいる。さらに高齢者施設や老人クラブで出前口演を20年以上継続し、素朴で温かい語りは人々の心を癒している。先人の生きる知恵がいっぱい詰まった新庄の昔話、民話を後世に伝える事業として「新庄・最上の昔話」の書籍と、語り手たちにより復元された126話の音声CDを制作し、新庄の伝承民話という日本の無形文化遺産の継承に長きにわたって尽力している。
令和5年の初春に、豊作を祈願する会の恒例行事である雪中田植えを95歳の最高齢会員の手により行われ、それが第60回社会貢献者表彰受賞という最高の栄誉にたどり着いた。
私たちの37年間の歩みの最初の取組みは、伝承の語り手の発掘であった。探し当てたほとんどの語り手は、語る機会がないために、昔話を忘れていた。それを、会員が、語り手を訪れて語ってもらったり、みちのく民話まつりなどのイベントに招いて語ってもらったりするうちに、語り手は、語るごとに昔話を思い出していった。その語り手たちが、昔語りを24時間連続してリレーで語り継ぐ「24時間民話マラソン」を成功させ、以後、新庄最上は、民話の宝庫として全国の民話愛好者たちの注目を浴びていった。
次の段階は、復活した伝承の語り手の高齢化に対応することで、後継者育成の活動に力を注いでいった。現在の会員の半数以上が、育成講座などで育った第2世代の語り手という成果があった。まだ、市内の小学校の教育現場にも出向いて、民話の楽しさを伝える事業を行った。そして、昔語りを発表する場づくりも行ってきた。7月に地域向けの「みちのく民話まつり七夕語り」を、10月には全国に向けた「みちのく民話まつり秋語り」を、2月には「こども語りまつり」を毎年実施してきた。目常的な活動としては、毎週、新庄ふるさと歴史センターで観光客相手に、民話口演を行い会員の技術向上に努めてきた。
しかし、現在、会員の高齢化が進み、いつまでも不滅ではいられないという現実を突きつけられている。この課題解決のために、後継者を募ることや、子どもたちが民話に関心を持ち、それが将来につながるようにと努力しているが、それが実らず会が消滅した場合の担保が必要だと考えている。私たちが会を発足した時は、「歌を忘れたカナリア」的な語り手がたくさんいたが、今はもういない。何もない中から、新たな語り手を育てるためには、昔話を記録した文字を残すだけでは無理で、音声や映像で学習してもらうしかない。会員が、音声や映像で後世のお手本作りをするためには、現状での語りの最高傑作が必要であり、時間がかかる壮大な事業であるが、社会貢献者表彰の受賞を辱めないように挑戦していきたい。