社会貢献の功績
美野島司牧センター
平成2年頃、来日した主に南米の日系人労働者たちが、言葉や文化の違い、日常生活での不便な状況など問題を抱えており、福岡市でも同様の状況であった。カトリック教会が彼らの心の拠り所となっていたが、あまりに多くの相談がよせられることから、フランス人のマルセル神父に依頼し同6年にセンターが開設され、入管、健康保険、ビザなどの行政での手続きや、病院への付き添いから子どもの教育、賃金の未払いなど様々な面でサポトしている。また、同センターは施設の一部を薬物依存のリハビリをサポートするNPO法人九州ダルクや路上生活者支援のNPO福岡おにぎりの会、NPO法人美野島めぐみの家などにも開放し、センターの活動として共に歩んできた。これまでに延べ50万人以上が利用してきた。21年に亘る活動。
1952年創立。美野島カトリック幼稚園として設置され、中央区浄水通教会を移築した聖堂がある。1994年4月幼稚園が閉園され美野島司牧センターとなる。ラテンアメリカ共同体、薬物依存者リハビリセンター、路上生活者ホームレス支援、外国人移住労働者支援を支える拠点となり現在に至る。
この度、社会貢献者表彰を拝受し身に余る光栄を感じております。
この小さな美野島司牧センターは1994年より社会の中で弱い立場に置かれている方々と共に歩んで来ました。昨年は20周年記念を祝い、今年は社会貢献者表彰まで頂くことができ、感謝の念にたえません。
わたしどもは、カトリック教皇フランシスコの教えにならい「教会は現場の医院のようにならなければいけない」ということを実現し色々な働きで、寂しくなり、苦しみ喘ぐ人々に寄り添って、彼らの傷を癒していくこと、彼らの心が暖かくなることを、思いやりと優しさを持って続けてきました。当センターはカトリック信徒だけではなく超教派のクリスチャンや仏教徒、宗教を越えて大勢の人々が弱い立場に追いやられている方々と共に生き、働いています。
1990年に日本政府は労働力の不足を補うために、ブラジルとペルーの日系人3世までに労働ビザを発行しました。この日本政府の決定は日系人にとって「黄金の道」となり何千もの人々が一気に仕事を求めて日本に上陸することになりました。それに伴い入管、行政の手続きや、就業の諸問題、子供たちの教育問題など多岐にわたり問題が山積みとなり、それらの問題を解決し、心の拠り所とするためにカトリック福岡司教区の司教より任命を受け、美野島の地に「司牧センター」を開設することとなりました。
現在の活動としては主に、長崎県大村市の入国管理センターへ「移住労働者と共に生きるネットワーク九州」のメンバーと共に月に一度訪問し、様々な手続き、通訳、法律的なアドバイスと共に、スピリチュアルケアやミサ等精神的なサポートに重きを置いています。
1995年には薬物依存症者のリハビリ施設「九州ダルク」が開設されました。薬物依存症である当事者同士が助け合い、疎外と孤独に苛まれ苦しんでいる人に寄り添い一人にしないということが重要であるため、共同生活をしてお互い助け合いながら、日々ミーティングやプログラムをこなし「今日一日、薬物を使わない生き方」を積み重ねて現在12名の仲間と共に回復をめざしています。九州の地で20年前に蒔かれたダルクという希望の種は、九州全ての県に根付くことができました。
路上生活者支援として1998年より「福岡おにぎりの会」、2007年「美野島めぐみの家」が発足し、路上生活を余儀なくされた野宿者達に生きる力を与えるための一助として、温かい食事、衣類、日用品等を提供しています。2009年3月より生活保護申請が緩和され、野宿者は若干減少していますが、炊き出しには毎週平均100名前後の人達が温かい食事や、交わり、必要物資、散髪などを求めて集まっています。野宿者達の人権を守り、多団体と連携し彼らの自立支援の一端を担う事業を行い、公共の福祉に寄与すると共にこの場所が心のオアシスであることを願って活動しています。
この21年の歩みの中で、今の社会で弱い立場に置かれている人々と共に歩んでいくことは困難なことだと感じます。彼らの存在は認めにくく、理解しにくい現実です。しかし、神様のお恵みと支援してくださる皆様により今日まで外国籍の方々、野宿者の方々、薬物依存症の方々と共に歩んでこられたことを有り難く思います。
最後に、社会貢献支援財団より、小さな美野島司牧センターを表彰頂き、大きな喜びとともに心から感謝申し上げます。
美野島司牧センター
主任司祭 コース・マルセル