第48回 社会貢献者表彰 受賞者一覧
(敬称略)
人命救助の功績
- 海難・水難、交通事故、遭難等に際し、身命の危険を冒して救助・救援に尽くされた功績
- 犯罪等の発生に際し、身命の危険を冒してその解決に協力された功績
- 災害・事故・犯罪の発生を未然に防いだ功績
古室 好光(茨城県)
熊谷 凌(茨城県)
飯田 拓海(茨城県)
2015年8月10日、午後3時20分頃、茨城県高萩市の高戸小浜海岸の遊泳禁止区域で遊泳中に高波にさらわれて流されていた男子中学生を古室さんが発見した。古室さんは浮輪やロープを用意し、岩場にいる男子生徒に投げ入れ救助に向かった。その様子を見ていた飯田さんと熊谷さんも海に飛び込み連携して男子生徒を救出した。 >>詳細
推薦者/高萩市
内藤 義雄(北海道)
2015年9月17日、午前10時50分頃、北海道野付郡の尾岱沼漁港で、車が海中に転落したことを聞きつけた内藤さんは現場へ駆けつけた。海中に軽自動車が浮いており、協力者が岸壁から棒を使い後部ドアを開けたので、内藤さんは海に飛び込んで車内に入り、助手席で腰まで水に浸かっていた男性を引っ張り出し、投げ渡された浮輪を男性に掴ませ、ロープも巻き付けた。その後、別の協力者が係留してあった台船まで男性を引っ張り、台船から岸壁に引き上げ救出した。 >>詳細
推薦者/別海町役場
川部 澄子(山形県)
2015年12月22日、午後4時30分頃、山形市蔵王成沢地内の須川河川敷を散策していた川部さんは、須川で溺れている高齢女性を、同じく散策中の2名と共に発見した。川部さんは110番通報し、躊躇することなく一人で河川幅約15mの川に入り、腰まで水に浸かりながら溺れている女性を岸まで手繰り寄せ、他の2名と共に河川から引き揚げ救助した。 >>詳細
推薦者/山形市消防本部
前泊 優斗(沖縄県)
2015年8月10日、午後4時10分頃、沖縄県宮古島市内の渡口の浜ビーチで遊泳していた前泊さんは、沖合で4人が溺れて助けを求めているのを目撃し、浜辺にいた人から浮輪を借りて荒れていた海に入り、浜辺から約30メートル地点で溺れていた女児を浮輪につかまらせ救助した。女児を救けに向かった祖父や父を含む他3名は亡くなった。当時台風13号の影響で波の高さは約2mで強いうねりを伴い、晴天ではあったが海は荒れており、離岸流が発生する場所で起きた事故だった。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 警察協会
楠瀬 昌澄(大阪府)
佐藤 旭(大阪府)
2015年5月30日、午前6時40分頃、大阪府大東市諸福の戎大黒橋付近の寝屋川で、橋から飛び込んだ人が仰向けの状態で浮き沈みしながら下流へ流されているのを楠瀬さんと佐藤さんは目撃した。楠瀬さんは川の左岸を走り、橋から約100メートル先に設置されていた点検・作業用の鉄梯子を伝い降りて川に飛び込んだ。続いて佐藤さんも川に飛び込み、ふたりでその人を抱きかかえながら立ち泳ぎを続け、レスキュー隊の到着を待った。川は水面から6メートル以上の岸壁が垂直に立ち上がり、水質は極めて悪くヘドロが発生していて、一度飛び込むと自力で這い上がることは不可能だった。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 警察協会
斎藤 修治(北海道)
2015年12月28日、午前8時25分頃、JR北広島駅ホームにて電車を待っていた斎藤さんは、人がホームから落ち、線路上にうつ伏せに倒れたのを目撃した。通過列車が接近していたがホームから飛び降り、その人を線路上からホーム向い側へ移動させて命を救った。救助の10秒後には時速110キロで列車が急停車しながら通過し、ホームを超えて停車した。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 警察協会
須田 龍(埼玉県)
高橋 伸治(埼玉県)
2015年6月16日、午後8時36分頃、埼玉県北足立郡伊奈町の豪雨で冠水していた町道を車で走行中の須田さんは、水没した車から自力で脱出した高橋さんに遭遇した。二人は道路の状況を110番通報し、警察官の到着を待つ間に他の車が冠水した道路に進入しないように交通整理をしていたが、迂回させたはずの車が進入して水没し、身動きが取れなくなってしまった。高橋さんが浮いた車を抑えている間に、須田さんが車の窓から中にいた子ども2人を救出し、駆け付けた警察官と共に運転していた女性ともう一人の子どもを救出した。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 警察協会
坂本 徹哉(佐賀県)
2015年9月18日、午前7時40分頃、佐賀県武雄市内の国道34号二俣交差点を車で走行中だった坂本さんは、交差点を左折した大型トラックが、自転車で横断歩道を走行中の女子高校生と衝突し、女子高校生を車底部に巻き込んだまま気づかず走行を続けているのを反対車線から目撃した。坂本さんは車から飛び降りて両手を広げて立ちふさがり、進行してくる大型トラックを停止させた。事態を把握できないトラック運転手は再び車両を発進させたが、坂本さんは再度立ちふさがり、身を挺して車両を停止させ、運転手を降車させた。運転手にトラックの前輪を持ち上げるように指示し、他の救助者と共にトラックの下から女子高校生を救出した。女子高校生は軽傷で済んだが、うつ伏せの状態で約25メートル引きずられていた。 >>詳細
推薦者/公益財団法人 警察協会
奥田 凌一(北海道)
2016年2月29日、20時37分、北海道美唄市峰延駅からの帰宅途中だった奥田さんは、自宅近くの親戚の家が燃えているのを発見した。自宅にいた母親に親戚宅が火事であることを伝えた後、走って親戚宅へ向かった。家全体に火の手が回っており、炎に包まれた玄関内で倒れている叔母を発見した。奥田さんは叔母を抱きかかえ屋外へ救出した後、燃えている衣類に雪を掛けて消火した。さらに玄関内でつながれていた飼い犬のリードを外し救出した。 >>詳細
推薦者/北海道美唄市消防本部
袋本 将史(滋賀県)
伊藤 修一(愛知県)
八木 隆太郎(愛知県)
2015年10月9日、午後3時17分頃、福井県小浜市の犬熊漁港の突堤から国道162号を見上げていた伊藤さんは、鉄柵を破り約10メートル下の海に転落する車を目撃した。伊藤さんは八木さん、袋本さんと共に法面を伝って転落現場付近に向かった。国道のガードレールから海岸まで下がっていたロープを伝って、伊藤さんと袋本さんが水ぎわまで降りた。八木さんが外したロープの端を伊藤さんに握ってもらい、袋本さんが体に巻きつけて海に入り、約10メートル程流された車に近づいたが、水深が袋本さんの胸まであったため、後部座席のドアガラスを石で割って車内から母子を救出した。 >>詳細
大谷 雄一郎(千葉県)
永井 真人(千葉県)
2015年6月28日、千葉県市川市東浜付近の干潟で野鳥観察会を開催していた大谷さんと永井さんは、「溺れている人がいる」と助けを求められた。現場に先に向かった永井さんが、突堤から100メートル程沖で浮いている女性のもとに泳ぎ、あおむけで浮いていた女
性の頭部を抱えて戻ってくる途中、大谷さんも泳いで救助に向かい、力尽きかけていた永井さんと交代して女性を岸まで運んだ。外国人女性2人と男性1人が、現場で貝採りをしているうちに潮が満ちて起きた水難事故とみられている。 >>詳細
性の頭部を抱えて戻ってくる途中、大谷さんも泳いで救助に向かい、力尽きかけていた永井さんと交代して女性を岸まで運んだ。外国人女性2人と男性1人が、現場で貝採りをしているうちに潮が満ちて起きた水難事故とみられている。 >>詳細
推薦者/公益財団法人船橋市公園協会
社会貢献の功績
- 精神的・肉体的に著しい苦労、危険、劣悪な状況に耐え、他に尽くされた功績
- 困難な状況の中で黙々と努力し、社会と人間の安寧・幸福のために尽くされた功績
- 先駆性、独自性、模範性などを備えた活動により、社会に尽くされた功績
- 海の安全や環境保全、山や川などの自然環境や絶滅危惧種などの希少動物の保護に尽くされた功績
- [補足] 社会貢献の功績は、日本国内での日本人並びに外国籍の方、海外での日本人による活動など、広い活動を対象とします。
進藤 和昭(福岡県)
勤務先の障害者支援施設、「第一野の花学園」(福岡市西区今津)の隣に、鎌倉時代の蒙古襲来の際に命を落としたモンゴル人の慰霊碑として建てられた「蒙古塚」が荒れ果て、放置されていることに心を痛め、自分たちの手で保全管理しようと、2004年に県に譲渡要請を行い、有償で譲り受けることとなった。以来、蒙古塚を公園として整備し、保全管理を野の花学園の利用者らと行っている。同2005年に開催した「蒙古塚公園慰霊祭」には、在日モンゴル大使をはじめ多くのモンゴル人が参列し、慰霊祭は毎年開催されるようになった。モンゴルとの交流は、親善訪問や、アジア太平洋立命館大学のモンゴル人留学生を通じて更に深まり、両国の橋渡し役となった進藤さんは2015年にモンゴル政府から「北極星勲章」を授与された。 >>詳細
高本 エリック、高本 スーザン(宮城県)
東日本大震災発生以来、石巻市を何度も訪れ瓦礫撤去作業などのボランティア活動を行う内、翌年に一家で兵庫県から同市に移住した。地元の女性たちが働く場所を求めている事を知った夫妻は、瓦礫撤去の際に見た陶磁器のカケラをリメイクしたアクセサリー作りを思いつき、女性たちやボランティア仲間とサンプルづくり、ジュエリー作りの技術習得を始め、2012年に「のぞみ(希)プロジェクト」を設立して雇用を創出している。ジュエリーはこれまでに38ヵ国へのネット販売を中心に約3万個販売された。 >>詳細
推薦者/青柳 泉 青柳 友子 榎本 恵子
ミャンマー/ビルマご遺骨帰國運動(神奈川県)
ミャンマー(ビルマ)に残された旧日本兵の遺骨調査の活動資金を集める運動を2012年から行っている。同国には4万5千に及ぶ日本兵の遺骨があると厚生労働省では推測しているが、同国の近年の民主化と和平の進展で、これまで立ち入ることのできなかった少数民族支配地域に、民間レベルで遺骨の事前調査が可能な状況になった。この運動は教派や宗派を超えた日本の宗教者と、運動の趣旨に賛同する国内外のボランティアなどによって運営されている。この活動により、2016年3月4日にミャンマーから10柱のご遺骨が帰国した。現在、協力関係にあるNPO法人によって、遺骨収容活動が継続されている。 >>詳細
特定非営利活動法人 POSA(佐賀県)
佐賀県神埼市の眼科医倉富彰秀医師が、1995年の開院と同時に発展途上国の貧困者にアイキャンプ(白内障の手術)を行う団体として設立し、1999年にNPO法人化した。初めはインドでアイキャンプを実施したが、同12年以降は眼科医が国内に100人ほどしかおらず、富裕層以外は手術を受られず白内障で視力を失う人が多いバングラデシュで実施している。事前のスクリーニングは1,000人から2,000人が受け、そこから現地の医師が手術を受ける人の優先順位をつける。現地医師の活動費用も負担している。2014年度は日本から眼科医3名が現地に赴き、3日間で123名に手術を施した。これまでにインドでは合計756名に、バングラデシュでは合計1,135名の患者に手術を施した。アイキャンプに携わる医師、看護師は自費で参加。医学生や高校生、大学生も自主的に参加しており、未来の若い力の育成にもつながっている。アイキャンプ以外にも、ビタミンA剤の配布やタオル、眼鏡の配布なども行っている。 >>詳細
推薦者/佐賀県 くらし環境本部 男女参画・県民協働課
認定特定非営利活動法人 ジャパンハート(東京都)
小児外科医の吉岡秀人医師が中心となって2004年に設立され、「医療の届かないところに医療を届ける」を理念に、国内外で医療ボランティア活動を行っている。ミャンマー、カンボジア、ラオスなど、東南アジア地域での貧困層を対象とした診察、治療や手術、現地の医療人材の育成、また各国のニーズに対応して子ども養育施設の運営、視覚障がい者自立支援、ASEAN圏内の大規模災害に対する国際緊急救援活動など、多岐に渡る活動を行う。日本国内では、東日本大震災をきっかけに宮城県内にて「こころのケア」活動や、医療者不足が深刻な僻地・離島の病院への医療者人材支援、小児がんと闘う子どもとその家族の旅行をサポートする活動「すまいるスマイルプロジェクト」を行っている。 >>詳細
谷川 洋(東京都)
「建物を建てて終わり」といった学校建設支援ではなく、「建設後も学校を育て続ける」支援をしようと、2004年に「アジア教育友好協会」をスタートさせた。谷川さんは商社で長年働いた経験を活かし、支援先となるインドシナ半島の現状の調査を数ヵ月かけて行い、2005年のベトナムのパカン小学校を皮切りに、これまでの13年間の活動で合計250校の学校を建設した。建設後の学校の運営資金作りのため、地域住民を巻き込んだ自立支援プロジェクトで学校運営に参加・協力を促していることから、一校も廃校になっていない。これまでに、ベトナム151校、ラオス80校、タイ13校、中国(雲南省)2校、ネパール1校、スリランカ3校を建設した。 >>詳細
推薦者/石塚 勝巳
AAAアジア&アフリカ(埼玉県)
埼玉県さいたま市を拠点に、地球家族の助け合いをモットーに国際協力救援自立支援活動を行う団体として1993年に設立された。ケニア共和国、ウガンダ共和国を中心に、必ず現地に赴き、顔の見える活動を行っている。ケニアでは、植林、井戸掘り、孤児院の支援を行っている。ウガンダでは植林、農業支援、教育支援、サッカーAAAカップの開催、医療支援を行っている。またスリランカではスマトラ沖地震津波被害緊急救援活動を経て、被災10周年慰問や教育支援、日本国内では東日本大震災復興支援活動、グローバルリサイクル活動(眼鏡、鍵盤ハーモニカの収集)などを行っている。 >>詳細
推薦者/埼玉県県民生活部国際課
シスター黒田小夜子(東京都)
1973年にマリアの宣教者フランシスコ修道会(以下FMM)に入会し、1983年に世界で最も貧しい国の一つとされるブルキナファソのサノロス国立病院に看護師として勤務した。そこで治療を受けているにもかかわらず、栄養失調で多くの子どもたちが亡くなるのをみて、専門の知識を身に付けて実践した栄養処方が成果を上げた。また栄養失調を繰り返す子どもの家庭環境の改善が必要と考え、病院を退職後は、農園、養鶏、菜園、動物飼育をしての肥料づくり、飼料のための製粉所の設立、植林、自営のための作物販売所も経営し、FMM栄養失調児センター(CREN)を設立した。食料の提供とともに、学校教育のための子どもに寄宿舎も設置した。CRENの運営が現地のシスターに引き継がれた後、2009年からは最も危険な国のひとつパキスタンに派遣され、2012年に赤字が続き破産の恐れがあったファイサラバードの聖ラファエル病院の再建を託され、経営不振の原因を解明し、黒字経営を実現させた。2015年8月15日、同病院は国の認定病院とされ、自立自営でFMMミッションを続けている。 >>詳細
推薦者/海外邦人宣教者活動援助後援会
認定NPO法人 地球市民の会(佐賀県)
1983年に佐賀県で故古賀武夫氏によって設立され、国際協力、国際交流、地域づくりを通して人材育成に取り組んでいる。その理念は「地球市民運動」(多種多様な文化、宗教、民族は等しくその価値を認め、尊重することで自分以外のひとの幸せを自分の幸せだと感じられる人になろうという運動)にある。日韓の偏見と誤解を払しょくする民間交流事業や、タイやベトナム、スリランカでの教育支援、2003年からはミャンマーのシャン州の山岳少数民族のエリアで循環型農業の普及を始め村民が当事者として関わる参加型地域開発や教育支援などを行った。国内においても震災被災地への緊急支援活動や復興支援事業を行っている他、2009年からは限界集落の地域活性化事業にも取り組んでいる。 >>詳細
推薦者/香月 武
1991年の湾岸戦争と、2003年のイラク戦争で使用された劣化ウラン弾の放射能の影響と思われる、がん・白血病の発生率が増加したイラクの子どもたちの窮状を救うために、NPO、市民グループ、企業、日本とイラクの医師たちによって2004年に結成された。2012年にNPO法人に認可され、戦争の影響によってがんや白血病などに罹るイラクの人々が医療を受けられ、命が助かることを目指し、①効率よく、②専門性をもち、③継続的に支援を行い、平和で安心できる社会づくりを目指している。また、国内外を問わず放射能汚染から人々を保護するために必要な活動を行っている。東京都豊島区とイラクのアルビルに活動の拠点を置く。 >>詳細
NPO法人 日本ベラルーシ友好協会(秋田県)
1992年からチェルノブイリ原発事故で被ばくしたベラルーシのための医療支援を行っている。事務局長の佐々木正光さんがベラルーシの医師と出会い、日本の医療技術でベラルーシの被ばく者を助けてほしいとの依頼を受け、秋田県を中心とした医師や企業関係者を集め、前身となる秋田ベラルーシ友好協会を設立した。毎年同国の若手医師を秋田大学医学部に招聘し、半年間医療技術を学んでもらうプロジェクトを行い、これまで73人に、彼らの渡航費、滞在中の生活費を支援している。卒業した人の中には世界の医学学会の中で活躍する人も輩出するなど、特に血液学で同国の医師にとって秋田医大への研修は登竜門のようになっている。医師への研修以外には、同国の血友病協議会の要請に基づいて、血液分離機、血液凝固能力検査装置や使い捨て医療用手袋など延べ3万点もの医療器具を送っている。 >>詳細
1988年から京都市に拠点を置き、フィリピンと日本で貧困問題に取り組む国際協力NGO。「10人に3人が小学校を卒業できない」とされるフィリピンの都市貧困地区と農漁村貧困地区で、子どもを対象に奨学金の支給や学校建設、授業料無料の幼稚園運営、給食などの教育支援事業を行い、女性には収入を得てもらうための仕事を提供して、生活改善のための支援活動を続けている。日本国内では、教育機関での講義や講演などの啓発活動、フェアトレード商品の開発・販売やボランティア活動の促進などを行っている。スタディツアーや現地訪問を通じて日本とアジアの市民の相互交流をすすめ、アジアに市民のネットワークを広げて、貧困のない、基本的人権の尊重された平和なアジアをつくることをめざし活動している。 >>詳細
ピナット〜外国人支援ともだちネット(東京都)
1991年に発生したフィリピン・ピナツボ火山噴火の被災者支援と交流を機に、東京都三鷹市の「はちのこ保育園」関係者や近隣の大学生などが集まり「地域レベルで、顔の見える国際協力・交流活動を進めよう」と発足した。現在、活動の大きな軸は「日本語教室」「子ども学習支援教室」「赤ちゃんのいる“国際ママ”のための交流会」これらの活動に共通しているのは「居場所づくり」。外国人ママの駆け込み寺的な存在となっており、頼りにされている。また、多文化共生に関する勉強会や、大学の授業への講師派遣、フィリピンを紹介する教材の貸し出し、行政や他団体とのネットワーク活動を行っている。 >>詳細
推薦者/伊藤 みき
イースタービレッジ・ミンダナオを支える会(北海道)
1996年からフィリピンに滞在してた祐川郁生神父が、同国の児童養護施設と福祉政策の乏しさを目の当たりにして、カトリック札幌司教区の協力と、現地のカトリック・キダパワン司教区の協力を経て、2002年にスタートさせた児童養護施設「イースタービレッジ・ミンダナオ」の運営を援助している。2004年には会の援助により緑や南国の花々に囲まれて子どもたちがのびのびと育つ環境に新築され、少人数できめ細かいケアができる施設を目指している。0歳児からの受け入れを行っており、国内外の養子縁組も行っている。また、施設で育った青年の自立を目的にした訓練プログラムの実施や、幼稚園も発足させ、現在45名ほどの子どもや青少年のケアを行っている。同国から模範施設との適正承認を受けてはいるが、財政的支援は一切受けておらず、同会が日本のキリスト教会を中心に集めた寄附で運営している。 >>詳細
推薦者/南 槇子
平野 喜幸(ミャンマー)
1995年からタイ、ミャンマーなどで国際協力活動を行い、2004年に地元熊本を本拠とする認定NPO法人「れんげ国際ボランティア会」に加わり、タイ国境のミャンマー難民支援活動に従事。 2013年6月より、「れんげ国際ボランティア会」ヤンゴン事務所代表として、ミャンマーのエーヤワディー地方域で学校建設を通じた地域開発事業に携わる。水害多発地帯同地で求められる堅牢な校舎建設のために、地域住民は「建設資金の4分の1」を自助努力で負担し、集められた費用は、彼らが組織した「地域開発委員会」の基金に蓄える。この資金を使い彼らのアイディアで実施される共同水田、籾殻発電、公共交通手段の提供などの収益で、教科書や文具、制服の提供、校舎の修繕、トイレや衛生設備の設置等の学校運営に係る費用が賄われ、さらに地域の開発を支えていくことが可能となり、子どもたちの教育環境のみならず社会経済環境が長期的に維持・運営されている。平野さんは、日々現場に赴き、地域住民・地元学校関係者を叱咤激励しながら地域発展を支えている。 >>詳細
久野 美奈子(愛知県)
1974年に重度身体障がい児と出会ったことで、「その子をなんとか治したい」という思いからヨガや針灸などの東洋医学を学び、健康づくりの普及活動を愛知県内外で、大きな大会を通じて長年行っている。ヨガの本を出版したことがきっかけで、インドで医療奉仕活動を行うことになった。久野さんの活動を知ったマザー・テレサから連絡があり1987年からインドの彼女の施設や路上で横たわる子どもたちやデリーのスラム街の学校などへの支援活動などを行う。この活動について愛知を中心に長野、岐阜、三重各県の小中学校や企業、市町村などで講演を行っている。講演先の小中学校の生徒から文房具や衣類などを託されると、同国の恵まれない子どもたちに直接手渡し、その様子をビデオに収録し、贈ってくれた学校の生徒たちに見せて現地の様子を伝えている。1999年よりNGOインターナショナル・ボランティアグループを発足させ、今までの活動が引き継がれている。これまでインドには50回以上も自費で渡航している。 >>詳細
袴着 英子(福岡県)
福岡県北九州市で1957年に洋装店を開き、1987年に北京市科学技術協会の招聘で日中技術者交流センターの訪中団に加わり、北京市服飾研究所と初の服飾セミナーを開いた。その後、中国側から縫製の基礎を習得したいと要望を受け、北京、天津、上海、広州、大連などの服飾研究所と交流し、製図から立体裁断などの技術指導をした。この活動が続き、教え子が指導者やデザイナーに育った。袴着さんの指導はいつも無償で、渡航費なども自己負担で行った。1999年に袴着さんら洋装店の経営者が中心となって「北九州市国際文化交流協会」を設立し、袴着さんは初代会長に就任した。その後、大連大学の学生を自宅に開放して受け入れ、日本の文化、生活体験、日本の大学生たちとの交流会などを開き、国際交流に情熱を注いでいる。 >>詳細
推薦者/矢野 敏行