特定分野の功績
金城 浩二
沖縄県で、白色化した珊瑚の無残な姿をみて、順調に経営していた店を譲渡し、平成10年から珊瑚の養殖を始めた。珊瑚の養殖は容易ではなく、借金を抱え苦労しながらも研究を重ね、同17年に素人でありながら養殖して移植放流した珊瑚からの産卵を成功させ、珊瑚礁の再生と海に対する理解を深めるための啓蒙活動を続けられている。
私は、ちょうど沖縄が日本に復帰した頃に、この沖縄で生まれ、育ちました。
沖縄という島には、自然に対する信仰的な風習が古くから伝わっています。
私の母も、私が海や山で遊んでいると、いつも「海に感謝しなさい」、「山に感謝しなさい」と私に教えてくれましたし、海や山といった自然を尊び敬うということが当然のことだと思っていました。しかし、私が尊び敬っていた場所は、時代の流れと共にどんどん無くなっていくのを肌で感じながら私は成長してきました。
そして年月は流れ、そんな私も大人になり、自営業を営みながらごく普通に生活していたとき、あのサンゴの大規模な白化現象を目の当たりにしたのです。それは、当たり前にあったものが消えていくというさまであり、まさに恐怖でした。そして消えていったものが当たり前に忘れられていくという事に怖さを感じました。
「サンゴ礁をなくしちゃいけないし、豊かな海を忘れちゃいけない。」という想いが私の中で大きくなり、サンゴを増やし、海に植える仕組みを作ろうという想いにいたりました。
いざ、始めてみると、想いと現実のギャップにびっくりしました。
生態系を育むはずのサンゴ礁を、「資源」と考える人はあまりにも少なく、それを守り育てるという発想に共感してくれる人は、ほとんどいませんでした。
その当時は、最近のようにエコロジーという考え方も無く、まさに利益優先の発展を考えているかのような印象で、そんな中での普及活動は、一人一人に伝え歩くというような極めて地道な作業となりました。
また、サンゴの養殖や植え付け作業というものには具体的な前例が無く、技術面においても一つ一つ考え、自らの手で作り上げるしかありませんでした。
更に、サンゴを「保護動物」として扱うルールは、養殖という新しい考え方に対応する事が難しく、その数十年前に作られたルールのために、養殖用の種親すら手に入れる事が困難でした。
最近ようやく、養殖用の種親の採取ということが可能となってきたのですが、許可を発行する側に適切な判断基準がないため、1種類の採捕許可に1年はかかってしまうのが現状です。
それは、サンゴ礁が減りゆくさまを、だだ指をくわえて見ていることしかできないルールだと、私は思うのです。
最近では、サンゴを植えるという事に理解を示す漁業者や、企業がたくさん増えてきました。それでも、いまだ採捕許可という特別なルールがあるために、赤土を被り死んでいくサンゴを別の場所に移そうと思っても、それも違法行為となります。
また、サンゴは過密に成長する場所から間引きをして増やす事も十分可能なのですが、それもいまだ、法律では認められていません。
再生をしなければいけない時代に、このルールは合っていないのかも知れません。このように、行政側もいまだこの現状に追いついてはいないのです。
これから私の役割は、これまでよりももっと多くの人にサンゴの性質や現状を知ってもらいながら、サンゴ礁の価値を伝えることであり、私はそのための活動をずっと続けていきます。多くの人がサンゴ礁に価値を持つ事ができたら、他人事から自分ごとへと意識が変わるはずです。
そしてその波は、サンゴ礁再生に向けての新たなルールがうまれることや、再生活動が盛んになっていくことへとつながっていくでしょう。
そうしてはじめて、サンゴ礁が後世に残せるようになるのだと思いますし、きっとそうなる事を強く願っています。