社会貢献の功績
吉田 三千代
平成 9 年 12 月、世界最貧国の一つと言われるバングラデシュを私が訪れたことをきっかけに、翌年5月「飛んでけ!車いす」の会は市民活動団体として発足した。海外で車いすが必要でも持つことができない人々へ、旅行に行くついでに直接手渡すという方法で、一台ずつ贈った車いすは、この 11 年半で世界 67カ国へ 1,800 台近くになった。
会を一緒に立ち上げた、当時、北海道大学の医学生だった柳生氏がサークルの旅行でアジアに車いすを手土産に持っていき喜ばれ、預け入れ手荷物 20キロの範囲なら無料で持ち込めるというノウハウが斬新だったため、会の活動は急速に広まった。
札幌通運(株)は、立ち上げ当初から、車いすの引き取りや空港での引き渡しなどに全面的に協力してくれ、同 14 年には「第一回パートナーシップ大賞」という名誉を一緒に受賞することができた。CSRという言葉がまだ一般には知られていない頃だ。
はじめは手探りだった車いすの整備は、今では技術が向上し、丁寧な整備ぶりは好評で、その主な担い手は退職したシニアのおじさまたちだ。事務系の仕事は、主に学生がやっている。企画やプロジェクトを「学生だけでもやる」実力は社会に出ても役立っている。
課題は山とある。後のフォローをどうするか、空気が入れられない、部品がないなどで使われていない車いすを現地で何台も見てきた。現地の人に整備・修理技術を覚えてもらい、安全に長く使ってほしい。また、個人に届けるには相手の体に合った車いすの情報を的確に得るにも多くの苦労があるし、ボランティアを長く続けてもらう工夫も必要だ。
この会は、会費や寄付金、助成金などが主な財源だが、利益を生むシステムではないので、いまだにボランティア団体だ。今後、後継者を育て長く続けていくには、ある程度のお金も必要なので、資金調達は大きな課題の一つだ。
私自身は今年から事務局長という職から退き、「やることを毎日20項目くらいチェックしながら」という忙しい生活からは解放された。この会を通して出会った国内・外の人たちとの交流は、今後も私の宝物となるだろう。
一番うれしい瞬間は、車いすを受取った人の笑顔の写真を見るときだ。それは1,800枚にもなるわけだが、これからも、ゆっくりでも着実な歩みが続くようにと願っている。
受賞の言葉
身に余る賞を頂戴しました。ありがとうございます。今後も途上国の障がい児・者の生活の向上に尽力したいと思います。車いすを一台送るには 10 人ほどの人の協力が必要です。そのすべての人たちに感謝して賞をいただきました。