第二部門/多年にわたる功労
大森 和夫
大森 弘子
大森和夫さんは、1989年1月に長年勤めた新聞社を定年前に退社して国際交流研究所を設立し、妻の弘子さんとアジアの若者に日本語で日本と日本人を理解してもらう活動を始めた。きっかけは新聞記者として留学生問題を取材した時、中国の留学生から日本について多くを知って理解したいがそれが出来ずに日本を嫌いになって帰国する留学生が多いと聞いたことだった。
89年3月に季刊誌「日本」を創刊。内容は、日本の社会、文化、政治、文学のほか日本留学生の生活に役立つ情報などで、すべてにルビを振った。1号から97年3月の第33号まで毎号2万~4万冊を国内の大学や日本語学校、海外の大学等へ無料で配布した。年4回の発行は大変な労力を要し送料など費用の問題もあったため、季刊誌「日本」の第1~33号までをまとめて日本語を学ぶ学生用のテキストに手直しした日本語教材「日本」を作成した。編集、校正、追加の挿し絵や写真は弘子さんが描いたり撮影し、取材もなるべく自分達で行った。寄贈先は、それまで一番反響が多かった中国の大学に絞ることにした。これまでに15,000冊の「日本」を中国のほとんどの大学へ寄贈した。
また、1993年から2004年まで毎年、中国の大学生を対象に「日本語作文コンクール」を行った。募集から審査、授賞式に至るまでの作業も2人でこなした。その間の応募総数15,538編。応募や入賞がきっかけで日本語教師になった学生も多い。2006年には、「日本語スピーチ・討論コンテスト」を行う。中国の大学院生が対象で、院生の話す力を向上させたいとの教師からの相談がきっかけだった。彼等の多くが将来外交官や日本企業を担う人材となるため、日本人と対等に討論出来ることを目標とした。またコンクール出場のための練習が学生の日本語力を向上させている。表彰式は上位20名が出席して北
京で行われる。式にかかる費用、学生や審査員の旅費なども夫妻が負担している。
大森夫妻は、将来「日本」が不要になること、つまり学習に適したテキストが中国側で作られて全学生の手に渡り、日本語学習の環境がより良くなることを願っている。
受賞の言葉
日本と中国の友好にとって国民の相互理解が最も大切です。特に、中国で日本語を学ぶ学生は日中友好の架け橋です。一人でも多くの中国の若者が日本を理解して、日本ファンになってもらいたいと願っています。
夫婦の力には限りがありますが、栄えある賞を頂戴した感激を忘れずに「日本語交流」活動を続けていきたいと思います。