第二部門/多年にわたる功労
李 敏龍
李さんは、1930年東京に生まれ、小学校一年の時に父親の転勤で韓国京城の日本人学校に転校した。学年で唯一の韓国人児童だった。中学は韓国系中学を卒えた。朝鮮動乱終結後、李さんは梨花女子大学日本語科講師、共同通信社ソウル支局の翻・通訳などを歴任し、66年に世邦旅行社に入社、71年から5年間日本支社長として東京に駐在した。82年「銀星旅行社」を起こし、日本などへの旅行団の派遣、日本からのミッションや旅行団の受け入れに従事した。現在は、高麗大学一民国際関係研究院委嘱の日本関係の諮問委員を務めている。
李さんは日韓両国の歴史・文化に対する造詣の深さを生かし、日系小・中学校同窓会の人脈を通じて来韓した各種団体と中味の濃い交流を行った。韓国訪問の日本人には、単なる観光案内を超えて両国の歴史に対する深い洞察と博識に裏打ちされた説明を行い、冷静で客観的且つ率直な意見を述べて深い感銘を与え、日韓関係の正しい理解の促進に寄与した。その博識と人柄に魅了された日本人は多い。また、日本訪問の韓国人に行き届いた案内を行い、日本理解を助けた。旅行社退職後も、個人的に招かれて日本各地で講演を行うなど、日韓の民間交流活動を続けている。
歴代天皇の名前を諳んじ、日本人以上に練達な日本語を話す李さんは、日韓民間経済協力の会議等の通訳も務めてその力を遺憾なく発揮し、両者の円滑な意思疎通と相互理解の促進に貢献した。また、元韓国外交通商部長で駐米韓国全権大使の日本関係アドバイザーとして調査報告を担当し、日本に対する誤解を無くすべく努めた。更に、日本での人脈を生かして、日韓関係正常化について目立たないが多様な活動を続けている。また、雨の日も風の日も街角に出て、地図を開いて場所を探している日本人の道案内役を買って出ている。日韓両国間の円滑な関係を進展させるには、民間レベルでの冷静で客観的な相互理解の積み重ねが欠かせないが、その意味で李さんの活動の持つ今日的意義は大きい。
受賞の言葉
夫 李敏龍はこの度の表彰式典からの帰途大阪にて倒れ、手当ての甲斐なく74才の生涯を同地で閉じました。
韓日両国のために多年尽くして参りました功績が認められ、栄えある表彰を頂いた喜びを胸に生を受けた国日本で他界いたしましたことが、せめてもの慰めでございます。
生前の御厚情に心から感謝申し上げます。(金 錦玉)