第二部門/多年にわたる功労
Dr.Arturo C.Cunanan, Jr. MD,MPH
ハンセン病患者を祖父母としてフィリピンのハンセン病患者隔離の島クリオン島に生まれたクナナンさんは、様々な障壁を乗り越えてマニラの大学を卒業し、ハンセン病専門医として1986年故郷クリオン島に戻った。クナナンさんは当時WHOが推奨を始めた多剤併用療法(Multi Drug Therapy-MDT)を他地域に先駆けてクリオンに導入しようと決意し、新しい治療法への患者達の根深い不信感と抵抗に対して、将来のクリオンがハンセン病のない島となるためにはMDTの服用でハンセン病を完治して感染源を断つ必要があると粘り強く説得を続けた。時には患者宅を訪問し、時には山の中まで患者を探して治療を続けた結果、2000年には島内の全ての患者への治療が終了し、クリオン島のハンセン病を完全に制圧するに到った。この実績を評価され、クナナンさんは、請われて南太平洋の国々にも赴き、ハンセン病制圧活動を指導して大きな成果を収めている。また回復者組織の成立を援け、回復者とその家族の経済的自立のために、小額貸付制度の創設、養豚事業、就学援助、就職支援プログラムの立案と実施など、回復者の自立のための自助努力を支援している。
1906年5月、最初の患者370人が到着して以来送られた患者は総計3万5千人とも4万5千人とも言われ、「絶望の島」「生ける死者の島」とも呼ばれた保健省直轄の隔離の島クリオン島は、2001年に地方自治体クリオン市として新たに出発した。数年前からクナナンさんを中心にクリオンの新しい100年への出発のために、住民の75%が元患者の子孫であるこの島100年の歴史の検証が始められている。クナナンさんは「隔離の歴史に背を向けるのではなく、その中で生き抜いた先祖たちの誇るべき姿を島の財産にしたい」と、過去の歴史を検証し島のアイデンティティを確立するため、島に残る数々の資料を整理保存する作業に着手した。今日、かつて世界のハンセン病研究のメッカとなったクリオン島の研究施設は、クナナンさんの努力で歴史資料館となり、過去100年の医療、施設、生活の貴重な資料の整理保存作業が続いている。
受賞の言葉
社会貢献支援財団並びに笹川記念保健協力財団に対して、我々の活動目的を信頼してクリオン及び、私の家族が私の理想と使命と情熱を理解し分かち持つことを支援下さったことに感謝します。また、私のスタッフが同じ献身と犠牲的精神を持って共に働くことへの支援に感謝します。中でも私はこの賞をクリオンとハンセン病回復者および私のひらめきと目的に捧げます。一度しかない私の人生で、仲間達のために私ができる良いことは今すぐに遅滞なく行います。