架け橋 長島・奈良を結ぶ会
創設者は岡山の長島にあるハンセン病療養所(「長島愛生園」「邑久光明園」)を尋ね、回復者やその家族の苦労を知った。その後落語家や音楽家を連れて慰問に通って交流するうち、“入所者の家族にも親戚にもなれないが、良き友人になりたい”との思いで1979年に交流会として発足した。ハンセン病患者やその家族の方々が受けた過酷な差別の歴史を繰り返さないために、啓発や教育活動に取り組んでいる。これまでの活動の中心は、美術展の開催で、回復者の中には俳句や絵の才能のある人が数多くいたため、その作品発表の場として1982年から年に一度美術展を開催するようになる。回復者の高齢化と新型コロナウイルスの影響もあり、2019年の第35回をもって美術展は終了した。その後2021年から「架け橋交流講演会」と名前を変えて退所者の講演会やセミナー&分科会を、リモートを中心に開催している。その際、完成している作品があれば陳列して発表している。こうした活動で少しでもハンセン病そのものや回復者への偏見が無くなり、正しい理解が広まるようにと、地道な努力を続けている。
ーハンセン病回復者との交流と正しい理解をー
「ハンセン病って知ってるか」と県庁職員から聞かれ、知らぬので自ら学習し岡山県の瀬戸内海にある長島の二つの療養所(長島愛生園、邑久光明園)を訪ね、ハンセン病回復者とお友だちになろうと先輩たちが決意し、架け橋長島・奈良を結ぶ会を1979年に発足させました。
はじめ、楽しい落語や音楽で交流しようと努力するのですがなかなか心の距離が縮まらなかったようです。1982年から入所者(回復者)の園内で作ってる手芸や陶芸、絵画や書道などを奈良県で公開して「架け橋美術展」を始めました。しかし奈良県出身の入所者が「ここに居るのがわかるからやめて」と抵抗を受けました。心の架け橋を築くのはなかなか大変でした。国による隔離政策、家族への差別がこういう状態をつくって来たのです。
ハンセン病問題の行政的解決を求め、市民団体として、自ら学習し、正しい理解を求めて啓発・学習活動もとても大切ですから、会としての県民への啓発にも力を入れてきました。美術展は7つの縁に拡がり、お友達は10の園に拡がりました。美術展も県内の多くの機関団体が後援をしてくれることになりました。しかし啓発も兼ねて35回続いた架け橋美術展も回復者の高齢化に伴い制作出品にも困難が生じ、コロナ禍を境目に、2021年から「架け橋交流講演会」を(県内団体と共催、後援で)やっています。回復者と県民との交流と啓発に重点をおきながらも、従来より出品数は減っていますが作品展・啓発企画展も交流講演会時にやっています。
退所者や家族との交流も拡がって来てます。これまたある意味では入所者よりも受ける差別は厳しいとも言えます。分散会にして交流をしやすい工夫もしています。
また奈良県出身者や、架け橋美術展で親しくして来た入所者の半生を聞き取り、冊子を編集したり、ハンセン病問題学習交流をしたりしています。
今回いただいた社会貢献支援者表彰に感謝し、それを有効に活用して、自分の過去を、家族の病気歴を語っても何の差別も受けない、人間の尊厳を大切に出来る社会創りにさらに努力していきたいと思います。
会長 稲葉 耕一