ガイドボランティアサークル「風車」
昭和50年前後の街並みの変化に伴い視覚障がい者の外出が困難になり、福岡市ボランティアセンターで「外出支援ボランティア養成講座」が開催され、受講した修了生の中から、継続的な必要性を感じたメンバーが自発的に活動を開始したことをきっかけに、1981年3月ガイドボランティアサークル風車(かざぐるま)が誕生した。40年前の発足時は有志7名で活動をスタートしたが、会員は徐々に増え続け、現在は賛助会員も合わせると20.80代の約60名が所属し、年間400件以上の依頼に応えている。養成講座では、専門家によるボランティアや視覚障がいについての講義、実際に街を歩き地下鉄の乗降の仕方など、風車会員も同行指導を実施し、食事実習や利用者との交流などを3回にわけて学ぶ。会員は年間2,500円の会費の他500円の傷害保険に加入。ガイドの前日には移動場所を歩き、階段やトイレの場所等を確認する。毎月例会で活動報告を行い互いに学びを深めていることが功を奏し、40年間に1回も事故は起きていない。ガイドは通院や買い物などの日常の活動や旅行、登山、テニスや卓球のスポーツ介助など多岐にわたる。利用者の目となり、会話をしながら手引きをして同行するだけでなく、自立した歩行を目指している。理解を広めるための福祉体験広場や小中学校の出前講座でアイマスクの体験指導なども行っている。
この度は、公益財団法人社会貢献支援財団からこの様な名誉ある賞をいただき、身に余る光栄に心から感謝申し上げます。受賞に当たり我々のこの活動にご理解、ご指導ご協力頂きました多くの関係機関の皆様に深く感謝申し上げます。有難う御座います。
私たち「風車」の視覚障がい者(利用者)のガイド活動は1981年3月有志7名の方々により発足しました。それから40年間、夏の暑い日、また寒い冬の吹雪の舞う日、利用者のためにガイド活動を続けて来ました。
ある会員は、ご自身がガンでもう余命幾許もないと医師から告げられる中「目の見えない方がお困りだから」と利用者がバスに乗る時刻に合わせ、昇降のお手伝いを続けられていました。いつも「目の見えない方の目になるのですよ」と言っておられました。
また、ある太宰府の利用者は奥様の介護もあり、ご自身は思うように病院の治療も受けられず、失明の危機にみまわれ大変厳しい状況でした。ある時、太宰府社会福祉協議会から風車を紹介されました。その方は福岡の病院では治療ができない難病でした。最初は福岡から風車の手引きで高速バスを利用し山口大学病院に通院、その後広島大学病院に転院し月に1~2回、約6年間治療に通い続けられ、少しずつ近くの物が見えるようになり、大きな文字も書けるようになるまでに快復され、本人も大変喜んでおられました。
この事例のように今日の風車があるのは諸先輩の地道で献身的な努力の積み重ねと利用者との堅い絆によって築かれたものです。
会員は徐々に増え続け約60名となり、年間400件以上の依頼に応えています。会員は専門家によるガイドの講習終了者で、ガイド活動は通院や買い物などの日常の活動、テニスや卓球等のスポーツ介助など多岐にわたります。
毎月の例会以外にも年に1、2回はフォローアップ講座を開催し、ガイド技術だけでなく、特に交通安全については互いに学び理解を深めています。お蔭様で40年間無事故を続けております。
また、社会福祉協議会の取り組みで福岡市内の小学校の出前講座も行っています。
さらに、周辺地域でボランティア活動のグループを立ち上げたいとの要請があれば、積極的に支援活動にも取り組んで参ります。
これからも風車の活動が利用者の皆様に喜んで頂き、少しでもお役に立ち安心して頂けますようにボランティアセンターと各関係機関の方々と共に、社会貢献に努め未来に向かって手を携えて参りたいと思います。誠に有難う御座いました。
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