大分県フィリピン友好協会
フィリピン出身の吉武ロドラさんが1995年に設立し代表を務める大分県在住のフィリピン人による交流団体。現在の会員は700名ほどで、設立のきっかけは阪神淡路大震災。被災者支援の為に農家に嫁いだ会員を始め、多くの会員や関係者の協力を得て大量の物資支援に成功した。日本国内では毎月のタガログ語無料相談室やチャリティーイベント、在大阪フィリピン領事館の協力の元、出張パスポート更新、東日本大震災被災地支援など精力的に活動。フィリピンでは恵まれない子どもたちへの物資寄付、台風・津波被災地域への物資支援。この8年間の継続事業として、大分工業専門高等学校の足踏みミシンボランティア部により修理されたミシンを貧困地域に送り、使い方や修理方法、縫製、販売のサポートを行い、貧困家庭の経済的自立支援を行っている。また、大分では急速に高齢化が進み介護者が不足している事、そして安定した職を探すフィリピン人会員も多い事から介護スクールの協力の元、継続的に無償の介護教室を実施。フィリピンでは日本で働きたい若者の為に無償の日本語教室を実施するなど、大分とフィリピンの架け橋となっている。吉武さんは母親の勧めもあり、フィリピンで日本語を専攻。卒業後日本企業に就職し1986年に来日。
この度は大変栄誉ある賞を賜りまして、心からお礼申し上げます。
前日の懇親会では一緒に受賞された方々の素晴らしい活動を紹介され、外国人であるにも関わらず選ばれたこと、また錚々たる受賞者の方々の中で代表のスピーチを任せてくださったことを誇らしく思いました。また、帝国ホテルで家族ともども夢のような時間を過ごせた事は生涯忘れられない思い出となりました。安倍会長はじめ社会貢献支援財団の皆様、本当にありがとうございました。
1996年に当初在日フィリピン人の互助団体として始まった大分県フィリピン友好協会ですが、今年で27年目を迎えることが出来ました。今では県内のフィリピン人はもちろん、日本人の皆様や大使館・領事館の方々のお力で日本・フィリピンの両方で互助活動のみならず災害支援・貧困家庭の自立支援など、様々な活動を行えるようになりました。
中でも印象深いのは、大分工業高等専門学校足踏みミシンボランティア部の皆様と行った足踏みミシン寄付活動です。貧困家庭に一時的に物資を寄付するだけでは根本的な解決になりません。そこで電気代の要らない足踏みミシンを寄付し、元手となる糸と布、販路開拓のサポートをする事で経済的に自立できるよう支援するプロジェクトを始めました。寄付先は小学校にも通わせられないほど貧しい地域に絞っております。寄付から一年後に様子を見に行った際、軒先で待っていたあるお母さんに涙ぐみながら「子どもを小学校に通わせられるようになりました。本当にありがとうございます」と言われた事は今でも忘れられません。また、奇しくもコロナ禍のフィリピン国内で失業者が後を絶たない中、足踏みミシンでマスクを制作・販売することで無事乗り切れたという報告を聞いた時は心からこの活動をして良かったと思いました。
立場や人種を超えて手を携える事で恵まれない人々はもちろん、私たち自身もより良い未来を拓けるという信念の元走ってきた27年間がこの度の受賞で報われたような思いです。これからも日本とフィリピンの架け橋となるべく邁進して参ります。
会長 吉武 ロドラ