社会貢献の功績
牧野 博子
それまで里親となる人が全くいなかった大阪府門真市で自身が1996年に里親第一号となり、1歳の男児を迎え子育てをしながらも、大阪府里親会の副会長や、里親・里子、関係者によるマラソン大会“はぐくみRunフェスタ”実行委員会委員長として活躍。今年11月23日には第二回目が日本財団のサポートで開催された。
ご自身が里親として得た様々な経験を通じて、里親制度の発展、児童福祉の増進、里親の資質向上に活かしたいと活動を続けている。
現在は、里親で構成される里親会のメンバーだけでは、到底他の親御さんのケアまで十分に出来ない現状を危惧し、単に里親を増やすだけでなく、専門的に里親をサポートする機関の必要性を訴え、支援機関プロジェクト会議を立ち上げ、リーダーとして全国で里親・里子が抱える問題に対応するべく尽力されている。
「受賞して、振り返って」
この度は誠にありがとうございました。授賞式で名前を呼ばれるまでの緊張した時間に頭をよぎっていたことを記して感謝と感想に致します。
小学生ぐらいの子供のころ、大きくなったら、好きな人が出来て、結婚して、なんとなく子どもをふたりぐらい生んで、楽しい家庭を作るんだにろうなぁ、と思っていた。
そして大人になった。20代で恋をしてすぐに結婚をした。ここまでは子どもの頃の思いのままでした。数年経ちました。子どもはできません。仕事を理由にしました。その後不妊治療に夫婦で苦しんだ末、結婚10年目養子里親になる決断をしたのです。やがてかわいい1歳の息子との出会で子どもの頃の夢に変則ではありますが追いついて幸せになりました。
ただ、この事が私に次々と大きな問題に気付かせてくれたのです。息子と出会ったのは大きな施設内の乳児院でした。当初息子との親子関係を早く構築するのに夢中で、周りの子どもたちのことは気にならなかったのですが、日を追うごとにそれは変わりました。多くの乳児たちが、そして気づけばその施設には数百人の児童が暮らしていました。日本の現実を知ったのです。
今日、虐待やその他の事情で実親と暮らせない児童は45,000人。この数字は一向に減りません。少子化が問題になっている昨今でさえ、保護される子どもは増加の一途。児童相談所の手が足りないことは皆様承知のことです。
その45,000人の子どもは、ほとんどが乳児院と養護施設に保護される、日本の社会的養護の現状を目の当たりにしたのです。
つまり家庭を知らない子どもたちを日本は作り出しているともいえるのです。諸外国と比較しても異常なことなのです。里親をどんどん増やさなければ!そう決意しました。
時同じくして、息子が小児てんかんだと判明。元々体の弱い子で様々な病気にかかりますが、この時は心がおれました。後にてんかんの病気治療で始めたマラソンのおかげで息子は健康を勝ち取ります。
社会的養護の大きな問題点とマラソンは不思議なつながりとなって、多くの仲間とマラソン大会を開催することになりました。マラソンでのPRは7年。響きあう仲間は今ではオーケストラのように美しいハーモニーを高らかに奏しています。
おかげさまでここ数年は里親登録件数が増えてきており、国も社会的養護は里親中心へと舵を切りました。
授賞式にも参加した23歳の養子の息子が言います。「養子や里子が普通のことになるような社会になってほしい」と。
乳児院で息子と仲の良かったあの子はどうしているのでしょう。養護施設の子どもたちはどうしているのでしょう。家庭的な環境で育ったのか? 思いを馳せます。