社会貢献の功績
岩田 亮子
客室乗務員として勤務しながら国際貢献がしたいとキャリアを積んでいた。2009年にカンボジアに移住し、人身売買の撲滅活動を支援していた縁でバッタンバン州の児童養護施設「ホープ・オブ・チルドレン」でボランティア勤務することとなった。当時施設の状況は酷く、岩田さんは衛生状態を改善しようと生活用水の水質浄化から着手。食料は差し入れ頼みだったため、稲作を始めた。子どもたちが自分のご飯を作る、家を建てる、修理する、お米を作るといったことができ最低限の生きるすべを養っていけるようにしている。
2015年に無農薬の野菜で作った料理を出すCAFE HOCをオープン。孤児院で育った子どもたちが野菜を育て、店で調理、サービスはもちろん運営もしている。このカフェから子どもたちが自立して巣立っていけることを願っている。
この度は私の不器用な支援活動に過大な評価を頂き、心よりお礼申し上げます。
式典当日、由緒ある帝国ホテルの大広間で諸先輩方の長年の素晴らしい活動報告を伺うにつれ、正直消え入りたい気持ちにもなりました。身に余る光栄と思っております。
草の根の活動とはいえ、私がこうして活動を続けることができましたのも多くの心ある人々の支えや応援があったからにほかなりません。
そうした皆様に立ち会って頂き、共にこの度の受賞ができましたことはこの上なく幸せで大変嬉しく思っております。分不相応の受賞にも思えますが、支えて下さった皆様への恩返しと、今後の活動への大きなインセンティブともなりました。改めて感謝申し上げます。
私がカンボジアを選んだ理由は、アジアの同胞でありながらその実態をあまりに知らないということや戦後これだけの年月が経過しているにも拘わらず何故未だに支援を必要とする国なのだろう何が起こっているのか知りたいという好奇心からでした。
およそ40年前クメールルージュで多くの指導者、教育者、医者、法律家から僧侶と言ったいわば国のブレインを失ったカンボジアで今この国を支えているのは、その付けを背負った人々であります。そして国民の半数はその戦争さえも知らない若い世代だという現実。
そのため人材育成は急務でした。しかし教育者、指導者は一朝一夕には作られはしません。
一方、子どもたちの成長は待ったなし、子どもたちの成長に歯止めはかけられません。教育者が育つ前に子どもたちが成長してしまい、十分な教育を受けていない人々がまたこの国を支えていかなくてはならない状況が今のカンボジアです。
産業も不足しており、毎年続々と社会人が誕生してもその受け皿がない状況です。
私は片田舎の小さな孤児院(Hope Of Children 略してHOC)で、孤児院自体と子どもたちの自立支援をしています。始めの4年(フェーズ1)は子どもたちの命を守るための「水の浄化」や「自給自足」といった活動でした。続く2年の(フェーズ2)は、寄付に頼らず孤児院自体が自立するための活動で、働いた経験のない村の女性たちを訓練し縫製工房を立ち上げ、孤児院の運営を補っていました。スポンサーの他界で廃業し、3年前に代わりに始めたのが孤児院で採れた作物を提供するカフェ「CAFE HOC」で、子どもたち自身が切り盛りしています。CAFE HOCが社会との接点であり子どもたちにとっては訓練の場でもありますが、その収益で孤児院を運営するためと、CAFE HOCを踏み台にして一人でも二人でも自分の足で立ち、巣立っていく若者を輩出すると言う子どもたち自身の自立(フェーズ3)を目指しています。お陰様で今年第1号が巣立って行きました。
また、特殊技能や更に上の高等教育を学びたいという意欲と熱意がある子どもたちを日本へ送り出したりもしています。
こうして巣立った卒業生たちがまた後に続く後輩たちを引っ張って育てていくという良い連鎖が起きることを夢見て、『支援を必要としなくなるための支援』を命の続く限り続けて参りたいと思っております。ありがとうございました。