社会貢献の功績
米谷 新
インド等では、ボランティアによる医療と称して自らの技術向上のために、実験的な白内障手術等の医療行為が行われているともいわれる状況下で、大学の教授職を現役中の、技術的に自分のベストの時に、日本の最先端の医療技術による「マハラジャ(王侯)の手術」を施す活動を同国のカーシオン市で、平成15年から7年間、171人にわたり行っている。一方では、現地の医師を日本に招き、研修を行い医療技術の指導も行っている。現地で知人の協力を得ながら、機器の設置から手術までを、まさにたった一人でのボランティア活動を行っている。
インド・マハラジャ白内障キャンプ
2003年12月末から始まり2013年まで、7回に渡って行われたインド白内障キャンプが社会貢献支援賞授賞の対象となった。名誉であり嬉しい事であるが、「相応のことをした」という実感に乏しいのが正直の所である。
白内障キャンプの場所となったのは、有名なダージリン紅茶を産出する地域の小さな町のカージオンにある病院である。コルカタにある郡の病院の分院で、眼科医もいるが、呆れる程医療器械がなく、診療、手術に関わる一切合切の医療機器、器具、薬品から水にいたる迄、全て日本から持ち込んだ。特に、第一回目には精密機械である手術用顕微鏡の移送に際しては、航空便で送るなどの配慮を協賛の会社にして頂いた。
病院では、衛生、非衛生の意識が日本のそれに比べるととても鷹揚であったので、大学病院並のレベル維持に相当な神経を費やした。同行の医師はいないため、手術場のセッティングから、手術準備には、日本側窓口となった石井一家の皆様にご協力頂いた。俄仕立てだが有能な助手として活躍して下さった。
手術は、当時日本でも最先端であった、3mm幅の切開創から白内障を超音波で砕いて取り出し、そのあと、人工水晶体を折り畳んで挿入するという方法で行った。ちなみに、人工水晶体の日本での上梓価格は10万円であり、まさにインドではマハラジャしか受けられない手術であったので、プロジェクトの名前を「マハラジャ白内障キャンプ」とした。手術には、現地ドクターを助手につけ、最先端手術の教育も同時に行った。日本で行う多くの白内障と異なり、すっかり濁って固くなった水晶体が多いので、超音波での手術では困難があったが、第7回白内障キャンプ終了まで合計174例全例を安全に終了することが出来た。
白内障キャンプを始めた当時は、2、3回で終了する積りであり技術移転のため、第二回キャンプ終了後に現地ドクターであるDr. Goshを日本に招待し、白内障手術と眼科一般の研修を経験してもらった。白内障術者として高い評価を得る一方、彼も現地でボランティア活動をするようになっていると聞きいている。
最後に、このプロジェクトに関わった、ダージリンの茶園主であるラジャ・バナージ氏、バナージ氏をご紹介下さり日本の窓口と現地手術にもご協力いただいた石井一家、医療機器および製薬会社10数社に深謝してこのプロジェクトを終了致します。